文学研究系

日本語 敬語 使い方







日本語の敬語表現は、言葉を使用する「場」の状況にもたれかかる場面の多い

難解かつ曖昧とも言うことができる言語であろう。


日本語の場合、敬語を使いこなす上で、まずは話し相手や話題の人物と

自分自身との位置づけの認識が必須となる。

相手が身内か身内ではないのかで、言葉遣いが全く異なってくるからだ。

また、同じ状況だとしても、実際に話している場所が公の場か、

それとも私的なくだけた場所か、ということでまた違ってくる。

更には、その会話をしている本人から自分が恩恵を受けるか受けないかでまた違ってくる。


一言で敬語表現と言っても大きなくくりが二つある。

話し言葉と書き言葉ではまた使用方法が異なってくる、ということを忘れてはならないのだ。

最も、書き言葉では書き手と読み手の間の具体的な状況表現というものが乏しいことから、

基本的に『敬語表現』と深くかかわるのは、『場』を同じくする『相手』との

同時的・双方向的コミュニケーションとなる
『音声表現形態』である。


すると日本語の場合の敬語とは、人と人との面と向かった場合のコミュニケーション、

相手への思いやりや気配りであることになる。

自分の意思を口頭で相手に伝えるための道具としての言葉を、

いかにスムーズに相手に分からせるかということになる。

独り言などの自己表現や、何かを説明する際の理解要請表現など

という特殊例もあるが、
相手に理解を求める行動展開表現が、

一般的には敬語が最も重要視される場であろう。


具体的な敬語の形態は様々である。

敬語といっても、「おっしゃる」という動作の主体を高くして表現する方法、

伝えたい内容は全く同じとしても、「もうしあげる」というように

受け手を高くしつつも、主体を高くせずに表現する方法、

「弊社」のように自分を低くすることで確立させる方法、

「お」をつけることで美化する方法から、「です、ます、ございます」のように

ただ文末を丁寧にすることで完成させる方法など
多様性があるのが敬語である。


農耕民族であった日本人は、集団生活を円滑に行うためには

周囲との関係を保つことが必要であり、封建時代に取り入れられた上下関係、

そして今でも続く社会での年功序列などがあり、現代人にとっても敬語は欠かせないものである。

それは別に相手にへりくだるという意味ではなく、

要は自分の利益を確保するために相手をスムーズに動かす必要

というものがあり、その円滑化のために有効な道具として言葉がある、ということが重要である。


敬意を表することと合わせて、敬語の機能としては相手との距離を保つことにある。

それは自分の教養を相手に示すことであり、
相手を尊重しているという言葉外の意思表示である。


このことが人間関係において、社会の潤滑油の機能を持っていることは大切である。

ただし、敬語の使いすぎは逆の効果をもたらすというマイナスの面がある。

それも結局は自分が持っている尊重の意思を相手に伝えることが目的なのであるから、

例え言葉尻だけとらえられて皮肉に聞こえたとしても、

表現主体が一人一人の人間に対して配慮し、尊重しようとする意識や姿勢を持つようになり、

相手を尊重することが感じられればいいのである。


そもそも言葉とは変わってゆくものである。その発したところを追求し、

正しい用途を求めようとすれば現代人の使い方は間違いだらけであろう。

しかし、既に昔の言葉や使い方は古典化し、
現代人からすれば化石も同様である。

間違った敬語は自分の無知を相手に知らしめている、

ということは事実であるが、言葉が変遷してゆく時代の当然の趨勢を考えれば、

ひとつひとつの間違いは大きな問題ではない


それよりも、敬語という表現を通して自分が相手に敬意を示している、

ということを伝えることが大事であり、例え間違った文法の敬語になってしまったとしても、

自分が伝えたい気持ちを相手が汲み取ってくれて、

それで物事がスムーズに流れれば
それだけで第一の目的は適ったということになる。


そもそもが「場」にもたれかかることの多い、不安定な音声の言葉である。

表面上は時代に合わせて変わってゆくことだろうが、

その奥底に流れる相手への尊敬の精神が変わることはない限り、

敬語表現は日本語の中で重要なポジションを占め続けることだろう。



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