小説「愛日常」

フルムーンサイクリング





それはアイディアだよ。本物のアイディアだよ。


頭から離れなくなってしまった。

フルムーンサイクリング。

満月の夜、白砂の砂漠がバイシクリストだけに開放されるらしい。


砂漠が白砂。とても想像できない。実際にこの目で見なくては分からないよ。

ただ、そんな場所を満月の下、マウンテンバイクで走ると考えたら僕の心は震えた。


フルムーンを浴びて白砂漠は輝くのだろう。

眩しく、温かく、そして妖しく。

月色に染まる白い砂漠をフルムーンサイクリング。

五感が麻痺してしまう。僕はすっかりそのイメージに夢中になっていた。


遅い帰宅の電車に揺られながら、旅行雑誌で見かけた

フルムーンサイクリングのことを考えていたら、

あっという間に乗り換えの駅に着いていた。

これから各駅電車を乗り継いで最終駅の拝島までまだかかる。

夜中になると接続の待ち時間が長いのが辛い。


ふと僕の着メロが鳴り、ケータイを出そうとしたら、

それが隣で電車待ちをしていた男からだと気が付いた。

同じ着メロとは珍しい。男はボソボソと小さな声で話し始めてすぐに切った。


国立公園のホームページに載っていたフルムーンサイクリングの案内を

鞄から出して薄い明かりの下で広げる。

すると、また着信音。今度は僕のケータイにメールだ。

月曜を休む先輩から仕事の引継ぎメールだ。

隣の男も同じ着メロに気が付いたようで、こちらをちらりと見た。


ケータイをしまおうとしたら、フルムーンサイクリングの紙が落ちた。

風に転がされて隣の男の足元まで飛んだ。男は無表情にそれを拾う。

拾う途中に男の視線が紙の文字と絵に注がれたのを僕は見た。

彼に分かるのだろうか。


「音同じですね。落ちましたよ」

親しみのある声色。

着メロが同じなんてなかなかないから近くに感じるのだろう。

「ありがとうございます、珍しいですよね」

礼を言って受け取ろうとする。

すると、隣のフォームに入ってきた電車が風を起こした。

飛ばされそうになって男は咄嗟に紙を両手で掴む。

「おっ、危ない危ない」

電車が止まるまで男はしっかり掴んでいてくれた。

「どうもありがとうございます、すいません」

僕は丁寧に礼を言った。

「いいえ。同じ着メロ同士ですから」

そう言うと男は小さく笑った。まだ若い。僕より少し下ぐらいだろう。

面白い。僕はそう思った。

着信音が同じというだけで互いに近くに感じることができる。

そうだ、どうせ時間は余っている。

こんな深夜の駅でやることなんて何もないし、

ちょっと試してみるのも面白いかもしれない。


「どうですか、それは。どう思われます?」

突飛な聞き方になった。

「ん?これですか、」

男は紙に目を通し始めた。

英語のホームページの切り抜きだが、

砂漠や満月の写真があるから何となく分かるだろう。

じっと見ている男。他の人がどう思うのか是非とも聞きたい。

たまらず話しかけていた。

「満月の夜に、白砂の砂漠が、自転車の人たちだけに、開放されるんです。

どうです、素晴らしいと思いませんか?」

本心からの言葉。これは話し言葉ではないよね。何も言わず男は見続けていた。

「僕にはたまりませんね。本物のアイディアだと思います」

フォームが暗いからだ。迷わず独り言が出る。


「あぁ、大体こんな感じですよ、いいでしょう」

男が言う。どうもひっかかる言い方だ。

「大体、ですか?僕にはこれ以上のアイディアはないと思いますけどね」

「興味はありますよ。でもちょっと違うかな。

僕はもっと大きなことを探しているから。そうでなければシンプルなヤツね。

まぁ、これはシンプルなものの中ではいい方だと思いますよ」

――この男は。ひまつぶしにするつもりが、逆に遊ばれてしまった。

悔しいので更に突っ込んでみる。

「シンプル。シンプルですか。確かにそうだ。

でも、こんなアイディア本当になかなかないですよ。想像できます?」

「できますよ。アメリカにそんな白い砂漠があるとは初めて聞いたけど、

一面真っ白な世界に道一本!

いいね!しかも車を締め出した満月の夜なんでしょう?」

「そう!車じゃなくて、またマウンテンバイクっていうのがポイントでね」

「時季がいいよ、時季が。これを見ると五月頭と九月末でしょう。

暑くもなく、寒くもなく。いやぁ、いいね!いい!」

男はプリントをパーンと指で叩きながらそう言う。食らいついてきた。

どうせ暇だし、次の電車が来るまでのつなぎにでもなればいいと思っていたら、

これがなかなか話が終わらない。結局、電車に乗ってからも続いていた。


「で、その白い砂漠にはいつ行くんですか?」

それはちょっと話が早い。

「いやぁ、行かないよ。こういうのは空想だけの方がいい」

「あれ?そうですか。まぁ、そういう考えもありですけどね」

「仕事してるから休みも取れないし。

でも、これぐらい素晴らしいとイメージするだけで

伝わってくるものがない?それで充分だよ」

「確かに。これって、どんな人のアイディアなんだろう。

普通の人では無理でしょ」

「何か分かる気がするなぁ。偶然なのか、意図的なのか、

見回りのレンジャーがマウンテンバイクで走ったんじゃないかな。

それが満月の夜だったとか」

「それで、あまりに素晴らしかったのでそのレンジャーが企画した、と」

「そう。それなら説明がつく」

「ははは。なるほど」


僕以上に男が乗ってきたから話が長くなった。

拝島駅に着いても、改札を出ても会話が終わらない。

仕方ない、どちらからともなく周りを見渡してまだ開いている店を探した。

こんな最果ての駅にはファミレスもないし、

もう十二時近くになっていたからファーストフードも閉まっている。

ひとつだけ開いている店を知っていた。

Time's Barという、こんな場末の町には相応しくないほどお洒落なBarだ。

何度か入ったことがあるのでそこに行くことにした。



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