小説「愛日常」
思い出の場所




「ここだよ。話してたのはあの桃の老木のことだよ。

ここまで走ってたんだ。家から遠回りして、途中の桃園を突っ切ってね。

いつもここがゴールだった。

この丘で休んで、でも考え事してなかなか帰らなかった。懐かしい」


ここの景色は変わらないのか。

廃れたようにも見えるが、久しぶりに来た僕からすればあの頃のままだ。

歳月を無視するかのような独特の時間が流れているからだろう。

でも僕は違う。五年の間に明らかに変わった。

進化か衰退か分からないが、我が身に変化は確実に訪れている。


みんなの表情が気になってしまう。

どうだろう、気に入ってくれただろうか。

そんなに汚ない場所でもない。

拝島から一時間半だから遠過ぎることもないと思う。どうかな、みんなは。

「どう?この場所を蘇らせようと思うんだ。

そんなに広くもないでしょ?四人もいればなんとかなる。

雑木林と竹林に囲まれたこの狭い空き地に、

一杯の桃の花を咲かせたい。そんな夢だよ」

みんなの言葉を待った。

「まるで洞窟の天井穴だ」

珍しそうに空を見上げながら慶はそう言った。

風は雑木林の天辺で凪いでいた。竹林の先が揺れる音。

「ここは不思議な場所だな。

竹林と雑木林の真ん中にぽっかりと開いた土地。

昭が夢中になったのも分かる気がする。

この特殊な空間が、今の穏やかな君の礎を築いたのだ」

偉く難しいことを言った。腕組みをして空を見上げている。


「あの大きな木がカワイイ」

靴に付いた泥土を払いながら美夜子が言った。

良かった。彼女にすればきっと良い意味だ。

「酷い荒れ様。地主に見捨てられたのね。

でも、いいじゃない。これなら私たちの勝手にできるでしょ?」

四季がそう言ってくれると心強い。

あぁ、良かった。少なくともみんなに反対はされなかった。


「昔はこんなんじゃなかったんだ。

まぁ、そんなに整備もされてなかったけどね。

地主の鴨川さんがこまめに雑草刈りしていたし、

あの老木だってまだ活き活きと葉を付けていた。

毎年四月のここは良かったよ。

あの桃の老木に花が咲き乱れてね、

近所の人たちもここでお弁当を広げていたな。

その時季だけは僕も独占はできなかった。

この近所の人たちの春の楽しみのひとつだったんだよ。

それ以外の季節には鴨川さんと僕しか来なかったけどね。

鴨川さんも、もういい歳になったからな。

現役を引退したと同時にここも廃れたみたい。

丁度僕が社会人になった頃と同じだ。

嫌な巡り合わせ。社会人になって僕の身体が

廃れていったと時を同じくしてここの土地も荒れていった。

ここも僕と同じ分だけ、無為な時間を重ねてしまったんだ」


「ほう、随分とカタルシスを語ったね」

半笑いしながら慶がそう言う。

「そんなに自分を卑下しなくてもいいだろう。

古いものは去り、新しいものが生まれる。

当たり前のことだよ。別に君のレベルが下がったわけじゃない」

「だから、もうちょっと優しくフォローすればいいのに!」

よそを向いて美夜子がぼそっ、とつぶやいた。

それを聞いた慶は黙る。

面白い。さすがの慶も美夜子に言われると何も言い返せないようだ。

彼女に溢れる若さが慶の悪い口も塞いでしまうのだ。


近寄ってみると、老木の朽ち果て具合もだいぶ進行しているようだった。

見た目にも随分痛々しい。以前はもっと幹が太かった気がする。

せっかく実がなっているのに円型の病班がある。

春先に雨が多い年には昔からこうなった。

タンソ病というヤツだ。

ミイラ化した末期症状の実も残ってるじゃないか。

残っていちゃ他の実に悪いのに。


それでも老木の存在感は圧倒的だった。

この狭い平地の支配者は彼だ。否定のしようのない存在感。

この老木があることで、この場が成立していた。

大地を照らす太陽があれば、都会を見守る東京タワーがある。

闇夜の大海の灯台。幼児にとっての母親。

この中間に開けた空間は桃の老木によって締められている。

幹は老いても芯は強い。


――あぁ。ここだ。この場所だ。ここで僕は再生しよう。

この場所を再生させることで、自らを再生してみせよう。

この仲間たちと共に。

彼らにとってそれがどんな意味を持つのかよく分からないが、

少なくても僕にははっきりとした目的がある。

知らない仲でもどうか手を貸して欲しい。

一人では頑張ろうとする勇気がどうしても弱いんだ。


四季と美夜子は丘に上がって

手で太陽を遮りながら周囲を見渡している。

慶は足元の土を蹴って硬さを確かめていた。

どうかな。みんな、気に入ってくれかな。

いいかな、ここで始めてもいいかな。

「みんな、」

彼らの最終的な意思を確認したかった。

「いい?ここは、好き?」

そんな聞き方になってしまった。

「嫌な人は遠慮なく言って欲しい。

昨日話した通りの僕たちの関係だから、文句なんてない。

個人の自由だからさ」

四季と美夜子は顔を見合わせてニコニコしていた。

しゃがみこんだ慶は頭の上に両手で丸を作った。

OKサインじゃないか。馬鹿だな、僕。こんなに遠慮して。

「よし!じゃぁ、決まりだ!!」

良かった。なんとか上手くいった。これで本当に進められる。



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