小説「愛日常」
山梨 桃の名所




「地主の鴨川さんっていうおじいさんはね、僕も知っている人だよ。

鴨川さんも僕を覚えていると思う。

走ってた頃、結構ここで出くわしたし、時々話もしていたからね。

もう八十近いんじゃないかな。僕がここにいた頃までは現役だった。

で、今日はまず鴨川さんに許可をもらいに行こうと思っている。

さすがに黙って作業するわけにはいかないからね」

「大丈夫?他人の土地でしょ?」

心配そうに美夜子が聞いてくる。

「大丈夫だよ、断られることはないと思う。

別に土地をくれって言っているわけじゃないし、

こんなに雑草ぼうぼうなんだから誰も使ってないんだよ。

お願いすれば大丈夫だと思うよ。

それに鴨川さん、昔結構僕のこと気に入ってくれてたし」


鴨川さんの家に向かうことにした。

車で行くような距離でもない。駐車場から桃園沿いに歩けばすぐだ。

「この道を毎日走ったんだ。

今の季節はいいけどね、ほら、桃は木が低いでしょ。

夏は日差しが容赦ないし、冬は風が寒くて。

まぁよく走ったよ。あれは本当に何だったんだろう。

今考えると不思議な情熱だなぁ。

今やれと言われても同じことはできない。別のやりかたを選ぶだろう」

また愚痴っぽくなった。

走っていた頃の自分を思い出したら、眩しく感じたからだ。

ごめんね、みんな。僕が弱気でいちゃ駄目なんだよね。


「もう今年は終わったけど、この辺りの桃の花のシーズンは凄いよ。

山梨には一杯桃の見所があるけど、特にこの御坂は名所中の名所。

大勢の人が見に来る。

でもここら辺は他と離れているからあまり観光客は来ない方。

それがね、道の両脇がきれいに桃の花で埋まるんだ。

圧巻だよ。知ってる人は知ってるし、地元の人が集まるから

その時だけここで渋滞が起こるんだよ」


「え〜っ、本当?こんなところに渋滞?ちょっとオーバーじゃない??」

四季と美夜子が顔を見合わせる。あっ、信じてないな。

「それが本当なんだって。

今はどのぐらいか知らないけどさ、当時は凄かった。

地元の人が桃を見に来る場所だよ。

それが全部鴨川さんの仕事だったんだよ。

あの頃はあれが当たり前だと思っていたけど、

鴨川さんの桃園は本当に凄かったんだな、って今になってようやく分かる。

凄い情熱を持って仕事をしてたんだろう。

それが今は人に任せて引退して、自分は一番の生き甲斐を失ったってわけだ。

人間変わってないか心配だよ」

「ご家族はいないの?」

「いないはず。

随分前に奥さんを亡くしてる。子供は独立しているから一人暮らし。

僕が知っている鴨川さんはいつも一人だった」

「それは可哀想。私たちの一人暮らしと一緒じゃないもんね」

「そう。もういい年なのに」


僕と四季が同情していると、慶が相変わらずの言葉を挟んできた。

「自由でいいね、自由で。後腐れの心配がない。

これで子供たちが遺産のことで目をギラつかせていなければ言うことがない」

おいおい、どんな考え方だよ。

慶らしいと言えばらしいが、もうちょっと楽しい発想をしてもいいのに。

四季や美夜子は冗談にとってくれたようだけど、僕には分かるぞ。

いや、四季だって絶対に気付いている。美夜子だって感じているかもしれない。

あれは冗談じゃない。ヤツは本気だ。悪気はないけど、あれは本気だ。


そうこうしている間に鴨川さんの家が見えてきた。

「古い家だよ。この辺りでもかなり古い方。

これで大地主さんなんだからね。

昔はこの辺りなんて何もなかったんだから、土地はいくらでも買えたみたい」

「今でも何もないから!」

美夜子がそう突っ込む。

「まぁね!」

「何かあったら怖いけど!」

四季も笑って乗ってきた。するとまた慶が余計なことを言う。

「桃園っていうその何かがあるけどね!」

そう言うと慶は一人で笑い続けていた。

馬鹿にしているのか。していないのか。

あいつは本当に変だよ。変でもいいんだけどさ。まだ一人で笑ってる。


玄関が近くなってきたのでみんなの会話はそこで止まった。

「着いたよ。いるかなぁ?」

僕の顔を覚えてくれているだろうか。

走っていれば分かるかな。

ランニングウェアで汗まみれになっていた方がいいかな。

こんなことだったらあの頃もっと仲良くなっておけば良かった。


庭にはきちんと人の手が行き届いていた。

トマトやシシトウの自家菜園がある。

雑草はきちんと刈り取られているし、鉢植えの草花もきれいに咲いている。

誰かの仕事が入っていることが一目で分かった。

砂利道を進むと玄関だ。僕も家に上がったことはない。

突然五年ぶりに、それも知らない若者を三人も連れてだからびっくりするだろうな。

それにお願いをすることがおかしい。

理解の範囲をきっと超えてしまう。

土地をよこせ、と脅しているように勘違いされないように気を付けよう。



戻る←   →進む






トップページ小説トップ愛日常トップ








Copyright (C) 2004 - Ken Box. All Rights Reserved.