小説「愛日常」
人間 限界




――突然、男の怒声が響いた。

「いい加減にしろ!可愛いからって黙ってればいいってもんじゃねぇ!

何とか言え!人形か、お前は!」

テーブル席のさっきの男が女にわめき散らしている。

キレた男に驚いたのか、女は身を縮めたまま何も言えずにいた。

「チッ!いい金払ったのに馬鹿馬鹿しい!ガキが!!」

憎たらしそうに舌打ちすると、男は金を払って出て行った。

一人取り残された女は俯いて動こうとしない。


Barに嫌な空気が漂った。僕はこの場にいたたまれなくなった。

あの二人の関係なんてどうでもいい。

いずれにせよ、男がかなりの金を使って女をここに誘うまで漕ぎつけたのだろう。

その結末がこれだ。あぁ、嫌だ。

どんな事情であれ、男女のつまらない修羅場なんて見て嬉しいものではない。


「いや、良かった!いやぁ、良かったじゃないの!

うるさい奴を巻けたでしょ、これで当分は平和だって!」

突然、彼が独り言のようにそう言い出した。

女に直接語りかけるのでもない。

女は反応せず俯いたままだ。構わず彼は続ける。

「結局のところ、男が女に求めるのは愛嬌なんだよ。

いくら可愛くても、黙っていちゃぁ男にとっての女の価値は下がるようですよ。

中身はなくても、間をつくらず話ができる女性の方が魅力的だ。

これは仕方ない。男の目から見ればそうなってしまうんだよ。

所詮人間だからね、人間。そこは分かっておいた方が良い。

そんなうわべだけしか求められていないんだから、

真面目に考える必要なんかない」


その容赦のない物言いに僕は呆れた。

別に好きでもなんでもない男だったのだろうが、

あんな言葉を受けたばかりの女性に言うべき台詞ではない。

大体そんな男性的な論理を聞いてどこの女性が慰められるのか。

まるで分かってないな。

女が顔を上げた。

どきっとするぐらいに彼女は若く、そして可愛い顔立ちをしていた。

目の前のグラスを勢いよく飲むと、

飲みかけのグラスを手にしたまま彼女はこっちに近寄ってくる。

そしてヒステリックをぶちまけた。


「何?!じゃぁ、どうすれば良かった?!

客だからと思ってこんな時間に外まで付き合ってやったのに

どうしてあんなこと言われるんだよ?!」

グラスから溢れた液体が彼女の服を濡らした。

手にグラスを持ったまま、顔を長い髪に埋めて彼女は立ち尽くしている。

恐らく自分がどうすれば良いのか分かていないのだろう。

そのあまりの弱々しさに僕は顔を背けたくなった。


「大したことじゃない。この世の中にあるゴミのひとつだよ。

明日になれば忘れられる。気にしないでお帰り」

言葉は優しいくせに、口調は優しくない。

馬鹿にされた気がしたのだろう。彼女が噛み付いてくる。

「大したことあるから!

せっかくできた初めての常連さんなのにもうおしまいじゃない!

無理してこんな所まで着いてきたのにどうしてくれるんだよ?!」

「いいや、君では遅からずこうなっていたと思うよ。

それがちょっと早くなっただけ。

いずれ結果は同じになるんだから、別に今日のせいじゃない」


言い過ぎだろう。僕は思わずフォローに走っていた。

「すいません、ちょっとこの人は口が悪くてね。

あなたをかばおうとしてるつもりで、言い回しに容赦が無さ過ぎるんですよ。

あまり気にされないでください」

「本当のことだよ」

まだ言う。余計なことを。


「だから!大したことあるから!……でも、本当は大したことない」

彼女の声が小さくなった。

「……そう、わたし、大したことはしてない。

確かにあのオヤジの言う通り、わたし、お客さんと上手く話せないから……。

それは自分でも分かってる」

益々小さくなってゆく声。

「わたし、店に出ちゃダメかも。でも、これが一番手っ取り早いから……」

「いいんだよ!大した仕事をしなくてもいい!

大したことなんて誰にもできやしないんだから!」

今度はあいつ、そこで妙に同調し始めた。急に声が元気になっている。

「えっ?」

彼女には分からない。


「だから!大きな仕事なんて誰にもできっこないよ!

人一人の限界なんて知れているものだから。

大したことをできる人間なんていない!」

「そっか……。わたしなんかに大したことできっこない」

「そうだそうだ!よっぽどの強運でもない限り人は大きなことなんてできない!」

少女を安心させるためか。それとも自分の本心か。

僕には区別がつかない。

ただし、僕はその言葉に賛成できないのだった。


人は大した仕事をするべきだと僕は思う。

どんな事情があろうともプロなのだから、

お金を貰う以上はしっかり仕事して欲しい。

この厳しい社会の中では、若過ぎるからだなんて理由にならない。


「みんな同じだよ!立派なことを成し遂げられる人間なんてほんのわずかだ!

彼らだってきっと自分の力じゃない。

周りの人たちの助けを借りてるだろうし、

それ以上に時代や環境に恵まれただけなんだよ。

才能じゃない、運だよ、運。

普通の人は大したことをする必要なんかない!

ただ平凡な今あるのみだ!人間なんてつまらないものだ!

あははは、そんなもんさ!

あははは、真面目に考えるなんて馬鹿馬鹿しくて笑っちまう!

あはは!笑止!笑止!!」


僕も彼女も呆気に取られた。

何だ、コイツは。

自分で言い出したことに自分で笑って腹を抱えている。



戻る←   →進む






トップページ小説トップ愛日常トップ








Copyright (C) 2004 - Ken Box. All Rights Reserved.