小説「愛日常」
拝島 バー




金曜日の朝は爽やかな気持ちだった。

いつもは憎たらしく見える出勤途中の駅さえも晴れやかに思えてくる。

あと何時間かすれば僕はここに戻ってきて、

新しい自分自身を探す冒険に出ている。

変化のない生活にピリオドを打とうとしていることが新鮮で堪らなかった。


来週に回せる仕事は可能な限り回して、夜八時にはタイムカードを切った。

普通に残業してしまったが、うちの会社では結構早い方だ。

この時間帯なら途中で乗り継がなくても直行電車がある。

身体が先を急いでいた。遂にこの時が来た。

テストの結果待ちを何倍も濃くしたような動悸。

あの悪戯の結末はどうなるのだろうか。


Time’s Barに着いたのが九時半。

僕は軽い気持ちで階段を下った。

いるわけがない。誰もいるわけがない。

薄暗い店内に入ると、カウンターに人影があった。

あいつだ。彼だ。あいつがいた。


「――待ち兼ねたよ。ようやく来た」

あいつは楽しそうに笑って僕を迎えた。

本当に、いやがったぞ、コイツ。

「昭です。よろしく」

思わず名乗っていた。

「慶です。興味がある。やってやろうじゃないか」

楽しそうな彼の声。僕は冷静にこう言う。

「男が二人もいれば何かはできる。

あの娘は来ないだろうが、大の男が力を合わせれば何かしらできるさ。

お互い自分自身の為に頑張ろう」

「その言い方は素直で良いね。お互い自分自身の為に頑張る、か。

互いのことはともかく、共通の目標がある限りはチームを組んでみるってね。

腹黒を隠して」


「おいおい、悪用はしないでよ!ちゃんとルールはわきまえてくれよな!」

笑いながら彼に言う。妙に素直で良い。

「分かってるよ。大丈夫。で、一応もうちょっと待ってみる?一応」

彼も気にしているようだった。

でも、来るわけがないのはお互い承知だ。

「一応ね、一応」

「じゃぁ、飲もう。マスター、僕は黒ビール。ギネスね」

「カシスソーダお願いします」

横顔のまま慶が続ける。


「Barで男を待つなんてロクなもんじゃないと思っていたけど、

これがまたなかなか悪くない。

いやぁ、待ったよ。八時の店のオープンから来ていた」

「早過ぎ。そんな時間無理。

これでも今日は結構無理して早く上がってきたけど。

実はさぁ、自分から言い出しておいて変だけど今日が待ちきれなかった」

本当にそうだ。待ち切れなくなっていた。

「僕も考えました。あれからあの言葉が頭から離れなかった。

あれは、とてもいいですよ。

聞いた時はすぐに分からなかったけど、

一日また一日と経つにつれて分かってきた。

あの言葉はあなたの一番の本物の部分から放たれたものだと思う。

あの娘は黙っていたよ。

ちょっとして帰る、と言うから大丈夫かなとは思ったけど、

そのまま一人で帰らせた」


「彼女は来ないでしょ。あの年じゃ僕の真意はまだ伝わらない。

どう見てもまだ十代だろ?

それに、男二人の中に入って来ようとするわけがない」

「だね。あなたが変わっているから」

慶はぼそっ、とつぶやいた。僕は鼻で笑い飛ばしてやった。

変わっているのはどっちだ。

僕もそうだが、それ以上にお前だろう!


グラスを合わせて乾杯した。

場末の町で偶然知り得た男だが、貴重な友人となってくれるのだろうか。

僕の人生にかすかな灯りでも点してくれる一因となってくれるのだろうか。



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