小説「汗と無力感」1話

汗と無力感




僕の十代は無力感と汗の匂いのうちに過ぎ去った。

恋でも上手くいっていればまた違ったのだろう。

好きな娘はいたが、僕には恋を叶えるための具体的な知識が全くなく、

何よりもその度胸が欠落していた。

恋はいつでも理想のままで、十代の僕の現実では有り得なかった。


そして僕には何もなかった。

大学入試に合格すると同時に目標を失った。

勉強できるうちに勉強しておくということの大切さにも気が付くこともなく、

少しずつ目の前に現れてくる社会の壁には目を閉じて、みんな下らないと決め付けた。

僕には何もなかった。何一つとして誇るものはなかったのである。

大学の名前がなんだろう。友達の数がなんだろう。

より大きな顔をしようとする仲間付き合いがなんだろう。

仮初の恋が、幻の夢がなんだろう。





バイトで稼ぐわずかな金はあっという間になくなり、自分の欲しい物まで回らない。

酒や煙草に十代ならではのささやかなレジスタンスを依存し、

豪快だという勲章を求めて飲む酒に意味があるのか。

あの詰め込みの勉強はもう忘れてしまってよいというのか。

環境が変わった。友達が変わった。金がない。恋人はいない。

何もない。空白ばかりだ。

空白が僕を支配してしまった。僕には何もなくなってしまった。


そして、僕はひたすら汗を流していた。

何もなくなった僕に戻ってきたものがある。

それは、受験勉強に取り掛かると同時に興味をなくしたはずの己の身体であった。

中学から高校にかけて狂気のように鍛え上げた肉体であった。


だがその身体はもう意味をなさないはずだった。

大学に入る資格に身体は無関係だったし、

この数ヶ月間の新しい生活で身体が求められることはない。

いや、そんな時間こそが無駄なはずだった。

もっと他にやるべきことがあり、最早自分の身体に時間を費やすことなどないと思っていたのに。

それがどうして僕の心を捉えることになったのか。


時間の合間に僕は僕の身体と向き合っていた。

授業もバイトもない日は川辺を走ることが日課になった。

もう必要ないと決め付けたはずのこの身体が、

どうしたことか、次第に僕の大切な心の拠り所となっていたではないか。


よく走り、よく苦痛に耐え、僕は汗を流した。

夏草のむせかえるような匂い。咽喉の大きな荒い息。

伝う汗の塩の味。風を切る身体の感覚。緑色と青色の世界。

それらに日常との接点を見つけることができなく、走るとまるで違う世界にいるように感じた。


身体を伝う珠の汗が、失われつつあった僕の心を不思議と磨いてくれるように思えた。

もう一度原点に返ったような気がした。

その純粋さを初めて貴重だと、ようやく無意識のなかにも感付くようになったのだ。

だが、そこから一歩離れていつもの生活に戻ると、やはり僕には何もなかった。

一時の汗も、もっと大きな渦のなかに飲み込まれてゆく。

十代の僕は無力感のなかに立ち尽くしていた。



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