小説「代理愛人」3話

愛人




それから男はCrazyになっていった。

執拗なまでに「有美香」の名前を呼び続ける。

メールで、電話で、男は「有美香」を何度も何度も繰り返した。


「有美香、有美香。君に逢えたからもう迷わない。何を捨てても有美香を愛し抜くよ。

今度こそ、形振り構わず有美香に愛を注ぎたい。

有美香、受け止めてくれ。愛させてくれ、有美香!あぁ――」

「有美香が欲しいよ、毎晩有美香が欲しい!」

「この身体一杯の情熱で有美香の中を動きたい。

上下左右、浅く深く、有美香を愛したい。あぁ、有美香、有美香!」

「俺はもう有美香に帰ろう。有美香の中に帰りたい。有美香の中へ、あの熱い有美香の中へ!」

「有美香、この強い想いをぶつけたい。

有美香、有美香はもう俺のものだ。有美香のために俺がいる。

俺で有美香の全てを埋め尽くすよ!」

わたしはその様から、メスを捕らえた野生のオスの雄々しい肉体の躍動を連想した。

強いオスに求められるメスの本能で、身体が疼いた。


そしてケンに「有美香」の身体を与えた時、男の狂気は頂点に達した。

部屋を真っ暗にしてベッドに入る。互いの顔は必要ない。

「――有美香――」

ついにケンがわたしをそう呼ぶのを聞いた。

メールや電話はともかく、直接面と向かっては「さん」付けで遠回りに接してくるだけだったのに。

これでようやくわたしはケンに抱かれるの。

さぁ来て、ケン。わたしを求めて。


「有美香」の名前を呼び続けながら、情熱的に、執拗に、ケンはわたしの身体を愛した。

身体の上で幾度も呼ばれる「有美香」の名前。

優しく激しく、豊富で的確なケンの愛撫にわたしはつい乱された。

性愛の花が開き、わたしは非現実の海に堕ちる。

「――有美香、有美香、……あぁ、ゆみか……。ゆみか……ゆみか」

ひときわ深い「ゆみか」を求めに合わせて、ケンが果てるのを膣で感じる。

――あぁ、呼ばれたわ。そうよ、ケン。わたしが「ゆみか」。

ついに呼んでくれたのね――。

――「ケン」――!

咽喉の奥から、そんな音が湧いてきた。

あぁ、わたしもようやくこの愛しい名前を呼ぶことができるのね。

あぁ、「ケン」、お願い、そのままわたしの中でイって。わたしも今、一緒にイクから。


名前の世界は、心と身体の扉を開くキーワード。

漢字が硬いなら、仮名に崩して呼ぶと、もっと近くに感じる、もっとあなたを感じる。

そしてわたしはあなたの元にイクの。身体を抜けて、今だけ「ケン」、あなたに重なるわ。

……「ケン」!……「ケン」!!





強い体液を注がれた後、熱の残る身体を重ね合わせていると、頬に冷たい筋を感じた。

それはきっとケンの涙。

暗闇の中でケンの胸板は喜びに満ちている気がした。

いいえ、虚しさに震える涙なのかもしれない。

でもわたしには関係ない。そんなの興味ない。

「ケン」の愛さえ感じられたのなら、わたしはそれでいいのだから。


一度だけでは終わらない。果てるとすぐにケンが求めてくる。

異常なぐらいに回復が早い。病気のように、またあの名前をささやいてくる。

「――ゆみか、ゆみか、やっと愛したぞ。

もっと愛させろ、愛させてくれ、ゆみか。

どこにも行くな。ゆみか、いいな、ゆみか。

愛するぞ、愛するぞ。愛させろ、ゆみか、愛させろ。

ゆみか・ゆみか・ゆみか――」

変わらぬ激しさ、止まらぬ名前。また性愛の開花がやってくる。

凄い男。本当に狂っている。

結局、ケンは一晩中わたしの身体を離さなかった。


長い夜が明け、カーテンの隙間から細い朝日が漏れ入ってくる部屋。

ケンは疲れ果てて眠っている。

「ゆみか」を存分に愛した、ケンの満足そうな寝顔。

――ケンに深い愛情が宿ったことを、わたしは確信した。

従順に愛されるままの女の身体に、この男は陥ってしまったのでしょう。

わたしではなく、「ゆみか」でもなく、我がままな熱情を受け入れてくれる、ただの生身の女。

顔のないセックス、玩具みたいな代理愛人。

ところがそれはわたしの望むところ。

ただ狂おしく求められればいいって、最初からわたしも割り切っている。


それから時々、このケンとホテルで夜を過ごすようになった。

ケンの誘い方は次第に強引になっていった。

不思議とわたしもますます従順になってゆくのが分かる。

どうしてか、ケンの誘いが断れない。

性で愛を紡いでいるだけ、愛情もどきのすり込みだって分かっている、分かってはいるけど。

いつも激しいケンの愛撫。そのくせ丁寧に女の芯を突いてくる。

だからどこにも逃げられないの。

抱かれる時は、二人が叫ぶ数え切れない名前の花で、ベッドの上が埋まる。

愛しい名前を引き金に、わたしはいつも頂点に押し上げられる。

それは一種の麻薬のように、わたしの身体を汚した。


女の身体の惨めさをわたしは初めて知った。

わたし個人への愛情がなくても、

「ゆみか」への本物の愛情がある性愛だから、身体は身体で勘違いして濡れてくる。

わたしは美しい夜に跪く女。

女の身体は、本物の愛情には反応する。

例えそこで愛すべき相手が入れ代わっていたとしても。

「ゆみか」に対するケンの愛情は、真実以外の何物でもなかった。





――ある日わたしは突然、姿を消した。何の前触れもなく、何の説明もせずに。

狂ったようにケンがメールを送ってきた。

「ゆみか、金曜の夜はまた来れるよな?たっぷりと愛させてくれ」

「――ゆみか?返事下さい。都合悪いなら土曜の朝からでもいいし」

「ゆみか?メールの返事ないから留守電残しておくよ。連絡頂戴ね」

「ゆみか?!どうした?全然返事ないから俺、おかしくなっちゃいそうだ!

ゆみか、連絡くれ!早く連絡くれ!」


ゆみかからの連絡がなくなったケンは、

ますます狂気じみた執着の態でわたしを追いかけてくる。幾度も名前を呼んで、形振り構わずに。

「ゆみか!オマエはもう俺から逃げられないんだぞ!

たっぷり愛してやるから、早く連絡くれ!

分かったから、何か嫌なことがあるなら何でも言うこと聞く。

もう分かったから。ゆみか、だからお願いだ、

電話くれ!メールでもいい!何か言ってくれ!頼む、ゆみか。

ゆみか!ヘンになりそうだ!ゆみか!?ゆみか?!」

「ゆみか、オマエは俺を捨てるのか?!俺はもういらないのか?!

分かったよ、本当に分かったからもう勘弁してくれ!

ゆみかのために何でもする!本当に何だってするから頼むよ、ゆみか!

頼む、俺を殺さないでくれ!ゆみか、お願いだ、ゆみか!

あぁ、死にそうだ、狂っちまいそうだよ、ゆみか!ゆみか!!」


でも、わたしが返事することはない。

決して何も伝えず、何も与えず。電話番号も黙って変えてしまう。

これでケンはもう二度と「ゆみか」を愛せない。

――これでいいの。これは、過去にわたしを捨てたあの男への復讐。

遠い昔、わたしの純粋な心を奪い去って行った男。

この「ケン」をわたしは盲目的に愛して、愛して、愛したのに、

「ケン」はそ知らぬ顔でどこかへ行ってしまった。

わたしの気持ちをかき乱すだけかき乱し、身体を中途半端に弄び、

女の喜びに火をつけたままにして。


だからわたしはずっと「ケン」を恨んでいた。いつか復讐しようとじっと待ち続けていた。

これでようやく心の整理がついた。わたしはケンから必死に追われた。

ケンが愛したのはわたしじゃないことは良く分かっている。

結局、ケンは「」の幻を愛しただけ。でもあの悲鳴は偽物ではない。

「」を追う時のケンの必死な表情が、今のわたしには容易に想像できる。

わたしはケンに必要とされた。

その事実だけでいい。それでわたしの心は充分に満たされる。


「ゆみか」を愛したケンへの裏切りは、わたしを捨てた「ケン」への返事。

わたしの中の狂気を、わたしは知っている。これが、わたしなりの最高の愛情の返歌。





一度愛を失った時、本物の愛が見えてくる。それこそ恋愛のフルコース。

結ばれるだけじゃない。失うだけでもイヤ。

愛して、別れて、そして想って、またいつか出逢いたい。


もう、あの「ケン」だけとは限らないよ。元々あんな男じゃなかったんだ。

ただ心から愛を開放させられる本当の居場所、これから愛すべき本物の男に出逢いたい。

苦しさがないままの愛なんて、一生は続かない。汚れを知って、清らかさを知る。

若い日の愛はただの動物的な勢いだけ。端的な感情や、身体だけでつながる貧しい愛。

さみしさに負ける愛。ひとりではいられない愛。いつも誰かとつながっていたいための愛。

愛の奥深さも知らずに、表面の華やかさだけで、愛を愛していた。

心を形なす、深い愛とはかけ離れた、ひどく浅い場所で。


だから今こそ、あなたにこの愛を捧げたい。このどこまでもピュアで、狂喜的な愛を。

今すぐ逢って、もう離れたくない。

今のこのわたしだから、もう永遠にあなたを愛することができる。

わたし、ようやく本当の「愛」を口にできるよ。どこまでも純粋に。いつまでも終わりがなく。


――あなた。本当に愛すべき、まだ見ぬあなた。

わたし、今こんなに純粋にあなたのことを愛している。

この本物の気持ちを、わたしは手に入れたかったの。

今なら、あなたを心の底から愛せる。

理想だけじゃなく、現実も知った愛よ。人の細かい醜さも笑って許すことができる。

この純粋な心で。何の打算もなく。

――今こそ、この愛を見て。わたしに愛させて。



「代理愛人」 完






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