小説「白馬風樹」2話

白馬 リゾートバイト




5月の夜、普段通りの一日を過ごして家に帰った私に、思いがけないことが起きました。

恵子さんから電話がかかってきたのです。

電話番号は交換していなかったのに、まさか彼女から電話が来るとは

思ってもいなかったので、私は驚きました。


何を話して良いか分からず、「どうして僕の電話番号が分かったの?」と聞くと、

白馬のホテルに問い合わせして教えてもらったとのことでした。

祇園白川で買い物をしたいけど、親が許してくれない。

誰か信用のある人と一緒であれば許してくれる」

と彼女が困った様子で訳を話してくれました。

「迷ったけど、Tさん(私)しか思いつかなかったので、

電話させてもらいました」と言われば、私もお断りすることなんてできません。

日曜日の午後に河原町で再会することで、彼女と約束をして電話を切りました。


私は、不思議な感情が心の中から浮き上がってくるのを覚えました。

恵子さんに、また恵子さんに、逢える。

私は嬉しくなってその日を心待ちにするようになっていたのです。



少し時間を空けて考えてみると、色々と不思議なことが浮かんできました。

そもそも、バイト先の人事課までわざわざ連絡して

私の履歴書から電話番号を調べるなんて、普通の行動ではありません。

彼女も大学生なのですから、少なくても数人は女友達がいるはずなのに、

異性の私を何故選んだのか、よく分かりません。

親が厳しいとは白馬でも聞いていましたが、

リゾートバイトまで出してくれるのですから、そう厳しいとも思えず、

何故、地元の京都でも買い物を許してくれないのか、よく分かりませんでした。


それは京都の祇園白川は、十代の私にとっては大人の町というイメージがあって、

十代の女の子が一人で歩くようなところではない、と思っていました。

年を重ねた今でこそ、何ら心配することのない町と分かっていますが、

当時は自分一人でも行けない、ましては恵子さん一人では歩かせられない町、

そんな思いも重なって恵子さんの買い物に付き合う気持ちになったのです。


1か月半ぶりに逢う恵子さんは、雰囲気が違って見えました。

白馬では活き活きと話をしてくれて、目立つ色の服装だったのに、

地元で逢った彼女は自分自身を抑え込んでいる様子で、

服装までもが白色中心で大人しく変わっていました。

彼女に付き合って祇園白川の店を歩きましたが、

色々迷ってどれにするか決められない彼女は、

なんだか白馬での活発的なイメージとは大きく違っていて、

別にすぐに決めるとも思ってはいませんでしたが、店を歩きまわるのも、

なかなかどれを買うのかを決められない彼女を見るのも、

私にとっては苦痛でしかありませんでした。


ようやくお目当ての物を買うと、時計の針は3時を回っていました。

6時が門限の彼女です、あと2時間はあるのでお茶でも飲もうと言って、

丸山公園へ向かいました。

古い洋館を改造した雰囲気の良い喫茶店が丸山公園の中にあって、

そこが私のお気に入りでしたので、彼女にまた自慢しようと、

得意げにその喫茶店を案内したのでした。





恵子さんは色々なことを話してくれました。

親が日本舞踊の師匠で、自分も日本舞踊の免許を持っていて、

いずれは跡を継ぐつもりということ。

大学を出ていないと他人に信用されないと聞いたので進学したということ。

白馬行きは親と大ゲンカをして、それまで温室で育っていたから

社会勉強をしたい、と熱望して無理矢理認めさせたこと。

それらを聞いて、白馬での彼女がやけに活き活きとした理由が

初めて分かった気がしました。


恵子さんと向かい合って会話をしていると、

私の胸のうちには優しい空気が広がっていきました。

バイトの休憩時間、風樹でのお休みの日、一緒に滑ったスキー、

あの時間に感じていた優しい空気が蘇ると、

「私は恵子さんのことが好き」ということに今更ながら気付いていたのです。


一方で、つまらない遠慮も生まれていました。

そんな厳格な家に育っているならば、

他人との付き合いは制限されているのだろう。

ましてや異性との付き合いなんて許されているはずがないし、

私から家に電話をしたら、困るのは彼女だろう。


わざわざ電話番号を調べて誘ってきてくれた彼女だから、

多少なりとも私に好意を持ってくれているはずなのに、

実際に今日逢ってみると彼女の態度からは

私に好意を持ってくれているのかいないのか、良く分からなかったのです。

5時には店を出ないといけない、それが分かっていても、

私には答えが出せませんでした。

好きと伝えるべきなのか、電話番号を聞いて良いものか、

次の約束はどうするのか。

結局、時間切れを迎えてしまった私は、

「夏、白馬で逢えたらいいね」と口にしたのが背一杯で、

バスに乗って帰って行く彼女の可憐な白い後姿を見送ったのでした。



二か月が過ぎて、夏になると私はいつもの白馬のリゾートバイトへ向かいました。

あれから彼女からの電話はありませんでしたし、京都でも彼女の電話番号を

聞いていなかったので、私から彼女へ連絡することもできませんでした。

勝手知ったる職場ですから、私は到着してすぐにホテルの人事課へ、

今年のメンバーを聞きに行きました。

ベテランの私ですから、新人が多いのか経験者がどれだけなのか、

その辺りを聞くのは普通のことなので、

特に不審がられることもなく教えてもらうことができます。

「えーっと、今回は、地方から来るリゾートバイトさんで、

経験者は、T君、君だけだね」


予想していたことでしたが、私は本当にがっかりしました。

これまでずっと楽しくバイトできていたのに、テンションが上がらないどころか、

逆にテンションの下がり方は傍目にも尋常ではなかったらしく、

色々な人から「大丈夫?」と声をかけられるほどでした。

最初のバイトの時からお世話になっている正社員の先輩・千恵さんに

お酒に誘われ、そこで理由をしつこく聞かれたので、

渋々と恵子さんのことを話しました。

気が強く、はっきり物事を話す性格の千恵さんでしたが、

その話を聞くとさすがに私に同情してくれたようで、

「振られたわけでもないし、きっと今回は事情があって来られなくなったんだよ

と慰めてくれました。


元気が出ないままのバイト中、私は例の風樹に何度か足を運びました。

コーヒーが恋しいというよりも、そこで恵子さんと一緒に

おしゃべりした思い出に触れつつ、旅人のノートに白馬での恵子さんとの思い出、

祇園白川での一日のこと、そして恵子さんが好きになってしまったことなどを、

少しづつ書き加えていくことで、心のモヤモヤを解消していたのでした。

千恵さんからは「連絡先を人事課に聞いて、アンタの方から連絡しなさい」

と言われていましたが、その時の私にはそれが不道徳で、

してはならないことに思われて仕方がありませんでした。

「女心がわからんバカが!」と千恵さんには散々言われましたが、

受け身の私は、事情が許して連絡が取れるようになったら

恵子さんの方から連絡がある、と信じて大阪へ帰ったのでした。


自分がしていることが正しいとは思ってはいませんが、決して間違っているとも思えませんでした。

ただ、その時の自分の身の丈に合った行動をした結果がそれであって、

自分から彼女に電話するなどしたら、自分が自分でなくなってしまう恐れすら感じていましたのです。



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