小説「白馬風樹」4話

旅人のノート




大学を卒業し、小さな会社に就職して数年過ぎた時のことです。

車の免許を取った私は、夏の休日に思い立って長距離ドライブに出かけました。

相当遠くまで行ける連休だったのですが、

やはり車は自然と長野県を目指して高速を走り出していました。


5時間もかかりましたが、懐かしい白馬のホテルの駐車場に着きました。

ここを離れてたったの数年ですが、外装は同じホテルとはいえども

経営者は変わり、フロントやレストランにも知り合いはおらず、

寂しい気持ちを抱えて車に戻りました。

あの風樹がまだ残っているかだけが、私の最後の興味でしたので、

歩いて駅前まで向かうと思い出の喫茶店だけは、マスターも店も昔のままでした。



旅人のノートのナンバーも、数年前は120番台だったのに、

今や140を越すナンバーになっていて、久しぶりにこのドライブの思い出を書きつけると、

やはり昔の自分の書き込みを読み返したい思いに駆られました。

恵子さんと出逢った最初の春の書き込みに、

恵子さんのことが書きこまれていないのは、彼女と二人でこの店にいたからです。


次の夏には恵子さんがバイトに来なかったことで落胆している様、

祇園白川でのデートの思い出、自分が恵子さんを好きになっていることが、

なんだか痛々しい様子で書かれています。

その次の冬は、はっきりと恵子さんが好きなこと、

でも逢う機会が作れなくて留まっているダメな男の様が書かれています。

少なくとも、恵子さんには直接伝えられなかった「好き」という気持ちが、

この旅人のノートにははっきりと描かれていて、

私の心のうちはここだけには書き刻まれていたのだと思いました。


数年前の、行き違いの恋。

成就できたはずが、最後の意思表示が出来なくて終わらせてしまった情けない自分自身。

あの酸っぱい思い出がよみがえってきて、恥ずかしいような、

情けないような気持でページをめくっていくと、最後のページで「Tさん」という文字が目に留まりました。

別に「T」という名前は珍しくないので、どうせ他人のことだろうと思い、

でも自分の名前ですから興味を引かれて読んでみると、

最後に小さく「○○恵子」と、彼女と同姓同名の名前があるではありませんか。

私は目を疑い、鼓動が高鳴るのを感じてノートを掴みました。



1月10日。

Tさん、ここでは言ってくれるのに、直接私には言ってくださらないのですね。

私はずっとあなたのことが好きでした。

でも、男性に告白するなんてこと、とてもできませんでした。

昨日、喫茶店まで行ったのは私にとって最後の賭けでした。

あなたが白馬に来ているかどうかも分からないのに、

友達のスキーを白馬にしたのは私のわがままでした。

あなたが私の連絡先を私に聞いてくれる。

でないと、もう会えないかも知れないのだから。

私はあなたに何かヒントになるような態度を取るつもりはなかったのに、

千恵さんにしてやられましたね(笑)。

でも、あなたは応えてくれなかった。

さようなら。

お互いに良い人生を過ごしましょう。

○○恵子





数年前に書かれ、そのまま埋もれようとしていた彼女のラブ・レターを読んで、

私は人目を憚らずに泣きました。

彼女は、この旅人のノートに書いた私の言葉を読んでくれていた!

彼女は、私の想いを知っていた!

無理をして白馬まで逢いに来てくれたのに、

私が取るべき最後の最後の行動だけが欠けていて、

彼女の精一杯の行動を受け止めてあげることができなかった!


私は、なんという馬鹿だったのか。

自分の気持ちを伝えられないだけではなく、恵子さんの気持ちさえ台無しにしてしまった。

その本当の愚かさ、情けなさにようやく気がついて、私は心の底から涙を流して悔やんでいた。



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