小説「白馬風樹」5話

祇園白川の恋




夕闇の迫る祇園白川に、目立たぬ光が灯り始め、人は足早に立ち去ってゆく。

深い懐古の情から覚め、私は頭を上げた。


あれ以来、20年も白馬に行っていない。

拙い性格は結局変わらず、そのせいか、40を過ぎてまだ独身のまま。

彼女を忘れられないから結婚しないわけでもなくて、ありのままでいたらこうなっただけ。

身の丈に合う生き方って、そう大きくは変わらないようです。





愛に動かされていた思い出が、眩しく私を照り返す。

白銀を背に受けて、喫茶店のドアを眩しく開いてくれた彼女が、私の永遠の思い出。

旅人のノートに残された最後のメッセージで、私は初めて愛の大切さを知った。

生まれたままの私だから見失った、なんて未成熟な恋。

結ばれるだけが恋じゃない、結ばれないまま悩み苦しむのも恋、

と強がってみても、やはり結ばれたかった、愛しい人。


合わさらなかった風樹も、こうして散り流れる桜の花びらのひとつかな。

この言葉を餞に、私は思い出の祇園白川を立ち去ることができると思うんだ。

「心から、愛していました」


彼女からすれば、きっとじれったくて、忘れたいと願う中途半端な思い出でも、

私にとっては若さ精一杯の、ありのままの自分が成したこと。

二度とは会えなくても、例え彼女が忘れてしまっていても、私には人生の宝物。

恵子さん、その後のあなたの人生が、幸せで良いものであることを祈るばかりです。


それは過去系の、もう返らない、愛に動かされていた時間への、ありがとう。





Tさん。

あの時は悩みました。

夏のリゾートバイトに行くこともできたけど、そんな強制的に

あなたに逢ってもらうより、あなたの意思で私に連絡して欲しかった。

だから、わざと夏は白馬に行かないで、その後いつかあなたから

電話がかかってくるって期待していたのです。

それもなかったから、冬のスキーで白馬に行ったのは、

本当に最後の最後の行動だったのよ。

あなたの気持ちはきっとあの旅人のノートに書いてあると思ったから、

白馬駅に着いたら真っ先に風樹に行ってノートを読み返すと、

あなたは嬉しいことを書いてくれていた。

祇園白川での一日のこと、夏のバイトで私が姿を現さなかったこと、

何より私が好きって、はっきりと書いてくれていたじゃない。


私は本当に嬉しかった。

わざわざ白馬まで来た甲斐があったし、今度こそ逢ったら

あなたの口から何かが聞けるって、そう信じて疑わなかった。

ノートに書いて、たくさんの人たちに公表できるぐらいなんだから、

たった一人の私に伝えることなんて簡単のはず。

そう思っていたのよ、そう思っていたのに。





あなたに出逢って、あなたと時間を一緒に過ごせたのは

偶然に偶然が重なった、とても幸せなことだったわ。

でも、最後の偶然をあなたが必然に変られなかったこと、

それは最初から決まっていた私たちの限界だったのかもしれませんね。


今、私は幸せ。

ちゃんと言葉で伝えてくれる人と一緒になって、毎日を過ごしているから。

あなたのことは良い思い出って言うのかな、いいえ、どちらかと言えば、

私にとっては苦しかっただけの、忘れたい思い出よ。





「白馬風樹」 完


この実話の依頼主 大阪T.O.さんのコメント




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