小説「変身願望の女」5話

帰る場所




ケンとは本当に連絡をしないままだった。

メルアドも伝えていないし、着信拒否しているから、ケンからは連絡も取れないんだけど。

以前は、ケンからの連絡に対して、回数が少ないとか、

もっと長くおしゃべりしたいとか、そんな不満ばかり私は口にしていたよね。

でも逆にこうして連絡をこばむと、連絡をくれること自体が優しさだし、

私への想いだって分かってくる。


思えば、ケンに求めてばかりいないで、自分からケンに何かを与えること、

それが大事だったんじゃないかな。

足りないって言うなんて、まったくおかしいよね。

私がケンに言うべき言葉は、「いつもありがとう」のはずだったのに。


ねぇ、ケン。

ようやく私、自分のことが自分で好きになりかけているみたい。

どうしようか、迷うよ。

もうケンに逢える?

いいえ、まだ早いかなぁ。


まずは自分を試してみたいから、いざなぎさんに行こうと思った。

仕事帰りのいざなぎさんは本当に久しぶりだったけど、もちろん何も変わっていない。

おみくじを引いたら、何が出たと思う?

大吉よ、大吉。


う〜ん、ちょっと違うな。

私は大吉のおみくじをさっさと小枝に結んで、いざなぎさんを立ち去った。

最高のLuckなんて、今の私に相応しくない。

だから、大吉を転機にする気持ちなんて少しも起らなかったじゃない。


まだまだ私は修行が足りない。

次は何をしようかな。

職場の仲間にチーズケーキ焼きを教えてもらおう。

般若心経を読んで心の鍛錬を、江戸春画で昔の人たちのエロスを知ろう。

あと、星座をひとつふたつ覚えて、夜空を語れる女になろう。

公園に咲く花の名前を当てられる女性なんて素敵じゃない?


私自身にどんな変化を見つけられれば、ケンに逢いに行けるのかな。

もっとネイルが上手になったら?

もっと堂々と、お寿司屋のカウンターで中トロを注文できるようになったら?

まさか季節の花の移ろいを言い訳に、桜が咲いたから、

紅葉が色付いたからってケンにメールできるわけじゃないし。


確かな目印のない旅に出ている私ね、でも私は心に決めていたことがある。

翌週、いざなぎさんでおみくじを引いたけど、今度は中吉、だから、それじゃダメなの。


また私はやり直しみたい。

次は宴会芸のための手品を覚えたり、熱血教師のテレビを見て号泣したり、

思い立って甲子園球場で阪神タイガースのゲームを見たり。

お気に入りのカフェも見つけてね、別荘地の丘の上にあるそのカフェで、

海に沈む淡路の夕陽をぼーっと眺めたりして。

お金をかけて全身エステも行ったし、見えないお洒落をしようと下着をみんな新調した。

ベルギーの高級チョコの食べ比べをしていたら、

母親に「ストレス?最近お金の使い方が荒いんじゃない、あなた?」と心配された。


まだまだ自分磨きの道中は続くよ。

自分自身が輝くのを感じるまで、ケンに相応しい女になるまで。

今まで地味に貯めていたお金はだいぶ使ってしまったけど、

買い物依存症ではなくて、自分への投資へのつもり。

大金を使う時、小心者の私だから、心に痛みを感じるぐらいだもん、

いつか「その時」が来たらまた地味な生活に戻るのは簡単にできるはず。


自分を探す旅に出て、半年が過ぎた頃。

3度目のいさなぎさん、会社帰りの天の声を聞こうと思った。

期待もせず、緊張感ゼロでおみくじを振ると、吉が出た。


吉。

小吉と中吉の間。

凶でも大吉でもなく、目立って悲しくも嬉しくもない。


不思議な感覚が、私を包むのが分かった。

なんだか、納得できるって思ったの。

私の新しい出発には、凶も大吉は出来過ぎでしょう。

せいぜい、些細な幸せから始まるのがお似合いなの。





誰もいないいざなぎさんの境内に座る。

風になびく森の穂先が、いつもよりも少し色を増した音を伝えているように思えたの。

吉から再出発する私も、ありかな。

泣いたり笑ったり、感情をフルに使って過ごした半年間、

前に進んだのか戻ったのか、よく分からなくて、進んだとしても

本当に一日一ミリが精一杯だったけど、後向きでなければまぁよし、って自分を認めてあげたりして。


ようやく、その時が来たようです。

いざ、凪ぎ尽くした私の心、自分のことを好きになり始めた今だから、

ケンにも最高の愛を伝えることができると思う。


壁を乗り越えて新しくなった私よ、もうケンの連絡にすがって過ごす、

みじめな生活ではないから。

数カ月もケンに連絡が取れないのは苦しかったけど、

自分に自信を持ち始めた今、ようやくケンに飛び込んでいける。


だから私は、ケンにメールを送るわ。

ずっと待っていた、ようやく書けるこの言葉の重みを、ケンは受け止めてくれるかしら。



「ケン、ただいま〜♪色々経験して、ようやく自分のことが好きになれました!

ケン、やっぱり私はあなたが大好き。

ねぇ、まだ私の帰る場所はありますかo(≧∇≦o)!」



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