小説「女の嫉妬」2話

馬鹿な女




翌朝。翌朝って言っても何時間も眠ってないけど。

いつもの時刻に起き出した夫の気配でわたしも寝床を出た。

昨夜遅くなったことを何か言われると思ってドキドキしていたのに、

結局夫はいつも通り静かに朝食を食べるといつもの時刻に牛車で出仕して行った。


わたしもいつも通り子供の世話をしていたけど、

昼過ぎになってお昼寝で寝かしつけるとお使いの人に家を任せてあの牛飼童の家に向かった。

訪ねると丁度家の前の道で遊んでる牛飼童を見つけた。

好都合ね。「ちょっと」と捉まえてお菓子を手渡すと、無邪気に喜ぶ童子。

いい気なもんね、わたしの悩みも知らないで。

「ねぇ、ちょっと聞きたい」

そう切り出しても、お菓子を食べるのに夢中で聞いてるのか聞いてないのか微妙。

「昨夜は遅くまでかかっちゃったみたいでごめんね。帰ってきた時にはわたしももう眠ってたのよ。

ね、昨夜はどこから帰ってきたの?教えて」

そう言ったらあっさり答えられた。


「あー。とっても遅くにいつものお宮を出ましたから。おいらたちもずっと待ってたんです。

それよりも奥様、昨夜は帰り道大変だったんですよ。賊たちに囲まれたんですから!」

「え?賊って?」

「大宮大路から二条大路に牛車をやらせたら、

途中で5人ぐらいの盗っ人どもに囲まれてびっくりしたんでした!」


え?そんなことがあったのは知らなかった。

ここ平城京の夜の治安が良くないのは誰もが知ってることだけど。

「それで?無事だったのね?」

「うん、大丈夫でしたけどー。ご主人様ったら凄いんですよ!」

童子が笑顔になってなんだか楽しそうに話し始めた。

「盗っ人が来たでしょ。みんな怖くて真っ先に逃げ出したんだけど、

おいら遠くから振り返って見たら賊が牛車の戸を開けようとしてるとこで、

中には素っ裸のご主人が座ってたんです。

何か話してると思ったら賊どもが急に大爆笑してそのまま何も盗らずに立ち去って行ったんだ。


戻っておいらご主人に聞いたんだよ。

そしたらあれはわざと裸になってたって言うんだ。

盗っ人どもはどうして笑ってたの?って聞いたら、真面目な顔でご主人が言ったんです。

こんな遅くに大路を通ったらいつ賊が来てもおかしくないから、

最初から高価な着物は脱いで床下に隠しておいたって。

賊が来た時には先の大宮路でおたくらのような貴公子が寄ってたかって

私の着物を脱がしておいきになさったって言ったら賊はみーんな爆笑して帰って行ったって。

すっごいですねー、ご主人って。今思い出しても笑えるよー」

そう言って童子はケタケタと笑った。





――驚いたのはわたしよ。これっておかしい。すごい笑えてくる。

童子が笑うから、わたしもつられて思わず声に出して笑っちゃった。

「あははは。おもしろいわね!あはははは!」

「そうでしょ?!こんなおかしな話ってないよ!おっかしくてお腹痛い!」

笑い転げる牛飼童。お腹を丸くして笑ってる。

わたしもそのぐらいおかしいの。

おかしいってあの人じゃなくてわたしのことなんだけどね。

「あははは!おかしい!おかしいわ、わたし!」

馬鹿馬鹿しくて笑っちゃう。くだらなくて涙が出てくる。

わたし、何であの夫を疑ったりしたんだろう。


あの夜、家に着いても裸だったのは

盗賊に衣装を奪われないようにしたあの人の知恵だったみたい。

なんだか想像できる。

意気込んだ盗賊たちが牛車の戸を開けたら、素っ裸のあの人がポツンと座っていて、

馬鹿みたいに神妙な顔にかしこまった口調で、着物はもう他の盗賊に取られたって言うの。


それは賊たちも笑うしかないよね!

まさかそれがあの人の策だって気付くことなんてないのでしょう。

そんな立派な亭主を浮気者呼ばわりで疑っていたわたしが一番馬鹿馬鹿しい。

笑っちゃう、笑っちゃうよ、わたし。

「あははは、馬鹿ね!ホントに馬鹿ね!」

頭を抱えて笑うわたしを見てまた牛飼童が笑う。

「でしょう?奥様、ご主人様って天下の知恵者だよ!あはは、盗人どものバーカ!あはは!!」

「あはは!ホント馬鹿!馬鹿!馬鹿!あはははは!」

立ってられない。やってられない。馬鹿馬鹿しくて愚か過ぎて。


天下一の知恵者の夫と、天下一の馬鹿の妻。

仕方のない愚かさにわたし、嘲笑を止められない。

そんなことがあってもきっと家族には心配ないようにって、あえて黙っていたのでしょう。

そうよ、あの人はそういう人。今までもずっとそうだったじゃない。

何あんなに狂ったみたいに嫉妬していたのかしら。

あんなに心を動揺させて。あんなに自分を醜くさせて。


今晩帰ってきたら美味しい物を食べさせてあげよう。

あの人の好きな豆腐料理を一杯作っておいてあげよう。

どんなに遅くなっても今晩だけは絶対に待っててあげよう。


馬鹿な話ね、面白い話。笑っちゃうよ、笑っちゃうよ、わたし。



「女の嫉妬」 完



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