小説「夏侯覇仲権」3話

夏侯淵の子供




曹操軍の先陣は、数ある諸将の中でも常に夏侯惇と夏侯淵が務めてきた。

右手に惇を、左手に淵を従え、曹操は戦場を駆け続けてきた。

今度の戦でも先陣を任されるのはこの二人しかいない。

子雲と仲権の初陣はまだだった。

子雲は十三歳、仲権は十二歳になった。

二人とも同年齢の少年と比べると身体は大きい方だが、まだ戦場で敵と槍を交えるのは早過ぎる。


子雲が出て行ってしまうと、仲権は父の元に向かった。

弓の名手である父に恥じない男になろうと、最近は集中して父から弓の鍛錬を受けている。

「父上」

部屋に入ると、淵は槍と弓の手入れをしている途中だった。

「おお、仲権か。丁度良い。お前に言っておくことがある」

淵は仲権を招き入れ、自分のすぐ前に座らせた。

「仲権。曹操小父のところに帝からの勅命が届いたのはお前も知っているようだな」

近頃大人らしくなりつつある我が子の顔を見て、父は膝をさらに寄せる。

「よいか、仲権。今度の戦は今までのものとは全然意味合いが違う。

今や漢王朝の権威は地に落ちた。

ただな、そうは言っても帝は帝だ。戦には大義というものが必要になる。

帝を擁する者はその大義を常に手にすることになるのだ。

今回はよりによってその大義が自ら転がり込んできたようなものだ。

分かるな?まさに千載一遇の機会、これを逃す手はない」

仲権は黙って父の口元を見つめていた。

「元譲とわしは出陣する。

そこでだ。よいか仲権、お前は夏侯家の長男だ。

わしらがいない間は、お前がこの家の主となって一族を守れ。

わしと約束しよう。わしは軍に従って帝を保護し、曹操小父が天下人となるために働く。

お前は間もなくやってくる一族をしっかり守れ。よいな?」

「承知しました、父上。でも、いつかは仲権も戦場に連れて行ってください」

「分かっておる。だがな、まだ若い。その身体ではまだ戦場で役に立たん。

仲権、今のお前は夏侯家の長男として家を守るのが役割だ。

よいか、お前に任せたぞ」

「父上、分かっております。さぁ、今日も仲権に弓を教えて下さい」

「うむ、庭に出ようか。子雲はどうした?」





仲権は、子雲が惇伯父に出陣を直訴して断られ、馬に乗ってどこかに行ってしまったことを話した。

淵は黙ってそれを聞くと、仲権を促して庭の弓の稽古場に連れ出した。

夏侯淵には覇を長男に、威・恵・和・楙と五人の男子がいる。

女子も生まれたが早死にした。

淵はその女子のことを不憫に思ってか、同じ年頃の娘を養女にしている。

幼い弟たちと母と妹は間もなく陳留からこの東郡に移ってくる。

一方、夏侯惇は子宝に恵まれていなかった。

男子も女子も、まだ子はない。愛妾が懐妊したことはあったのだが、流産した。

最近諦めつつある惇は

「いずれは妙才の息子たちから一人二人、貰うことにするか」と軽く笑い飛ばしている。


夏侯家の血の繋がりは深い。惇と淵はあえて同じ家に住み続けている。

陳留の時もそうだったが、この東郡でもそうだ。

今は家族を陳留に留めているが、間もなく東郡に家族を呼び寄せた後も

惇と淵の家族を同居させようとしている。

それには夏侯家を優先させるという意味があった。

惇に男子がいない今、淵の男子を夏侯家の男子として後継ぎにさせるべく、教育をしているのだ。

惇も淵も兄弟は戦死しており、今は歳の離れた惇の弟・恩だけが残った。


戦国の時代、不意の事故はいつでも起こりうるものであった。

どんなことがあろうとも名門夏侯家を存続させるべく対処してある。

この本家とは別に、淵の亡弟の息子・尚が陳留にいる。

遠縁の一族も陳留や各地に散らばっている。

惇や淵世代の息子で一番年上なのは覇だ。恩も同世代の男子である。

この二人を後継ぎと見込んだ惇と淵は、東郡にも帯同した。

幼い頃から様々な経験を積ませようとしたのだ。

また万が一に片方が欠けてしまった場合を考えてか二人を同時に教育した。

急襲をさせたら曹軍随一であり、その抜群の豪胆さをもって鳴らす夏侯淵も、

家に帰れば子煩悩な父親であった。

得意の槍と弓を自ら進んで子供に教え込もうとした。


庭に出ると弓の鍛錬が始まった。

仲権はまだ大人用の弓は引いていないが、最近はだいぶ狙った所に矢が集まるようになっていた。

曹操軍でも一、二を争う腕前の淵の教えもあるし、父譲りの血があるのだろう。筋は良い。

弦の鳴る音。空気中を走る矢の音。そして子を叱咤する父の声が屋敷に響く。

静かである。戦の前とは思えないぐらいの平和な時間があった。



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