小説「夏侯覇仲権」4話

許チョ 怪力




間もなくして曹操軍は動き出した。

夏侯惇を先鋒として、五万の先発軍が洛陽に向かう。

夏侯淵が指揮する中軍に甲冑姿も初々しい仲権と子雲の姿もあった。

李カクと郭汜から逃れるために洛陽の都を落ち延びた献帝の一行は虎牢関の近くで曹軍と遭遇した。

主将である夏侯惇は帝に軍礼をし、まもなく曹操が本隊を引き連れてくることを言上する。

帝を虎牢関に移して曹軍は一帯に布陣した。

李カクと郭汜の軍勢が間もなく現れることを察知していたからだ。


曹軍の到着から遅れること半日、李カクと郭汜の軍が姿を現した。

曹軍を甘く見て李カクと郭汜は突撃をかける。

しかし曹軍、李軍や郭軍とは軍隊の格が違った。

袞州で軍事訓練を積んだ曹軍の精兵は李カクや郭汜の寄せ集め兵の比ではない。

李軍と郭軍は散々に蹴散らされ、李カクと郭汜は逃亡した。

数日後、曹操が本隊を率いて到着する。

執り行われた謁見の席は至極穏やかな空気であったが、内心では両者が共に驚いていた。

曹操は帝と近習の者のみすぼらしさに衝撃を受け、哀れみすら覚えていた。

天下人であるはずの漢の献帝が、洛陽を追われて以来艱難の道を歩き続けたせいで

衣類や装飾品は疲弊し、覇気は損なわれ、帝に値する風格がどこにも見当たらなくなっていたのだ。

いや、多数の将を引き連れ威風堂々と謁見に現れた曹操にこそ、王者の気風があった。

曹操は帝の前で礼にかなった拝跪をし、帝を賊軍から護ることを約定する。

そして、そのためにも許都への遷都を敢行すべしと献案した。

献帝はそんな曹操の姿に驚きを隠せなかった。

帝であるはずの己には軍も将もなく、ずっと目前の安全にさえ困り続けてきたのに、

まだ四十歳にも届かないこの一人の将は、強い軍隊と数々の部将を従え、

しかも遷都を促すぐらいに将来の計を考えていた。

真の王者の前に立った仮初の王者は己の非力さに何も言うことができなかった。


英雄曹操孟徳はこうして帝を擁することに成功した。

これによって曹操は常に正当な大義名分を持つこととなり、

中央の覇権を握るための資格を得たのである。

中華の歴史では世間や民衆に訴える権力の正当性が欠かせないものであった。

正当性のない権力に長続きはない。

大義がなくては戦も起こせないし、土地を治める理由そのものが存在しなくなる。

そのため各地の権力者は自らに正当性を課すことに躍起になっていた。

この漢の帝は権力の欠片すら持っていない。

しかし、天子というだけで最大の正当性があった。

天子を擁したことで、計り知れない権益が曹操の元に転がり込むことになる。

曹操が唱えた遷都を献帝は拒まなかった。いや、拒むことができなかった。

曹操はすぐさま許都へ人員を派遣し、帝を迎える設備を造らせた。

できあがるや否や許都への遷都を実行した。

ここに、曹操の入朝を喜ばない人間がいた。

それまで紛いなりにも帝を擁護したということでいばりちらしていた楊奉と韓暹である。

楊奉はもともと李カクの部下だったが、機会を窺って帝を手中にした。

韓暹は都落ちの途中で護衛のためにやむを得ず帝が召した盗賊の頭領である。

二人は生面線である帝を離すまいとして洛陽から強引な逃避を続けてきたが、

曹軍が来ると同時に陽を浴びない境遇となり、

しまいには曹操から害されることを恐れて逃亡していた。





許都への道中、山間の険路に差し掛かると突如一軍が現れて行く手を遮った。

楊奉と韓暹である。

帝を再び自分たちの支配下に収めようと野心を抱き、無謀にも曹操に戦いを挑んできたのだ。

楊奉軍の先頭には見るからに剛直勇猛、全身から奔馬の勢いを発する将がいた。

「――帝をかどわかし、私腹を肥やそうとは不届千万!

この徐晃が一命を賭けて帝をお救いしようぞ!」

そう言うや否や、徐晃は突撃してきた。

道が細くては、大軍の利点を活かすことができない。

しかし曹操は冷静だった。曹軍には一騎当千の勇将が何人もいるからだ。

「許褚!あの獲物は貴様にくれてやる!早々に討ち取って参れ!」

曹操の指揮の元に一人の将が馬を飛ばす。


許褚、字は仲康。

段違いの剛力で知られ、ある時逃げ惑う二頭の牛を引き戻すため

牛の尾をそれぞれ片手に持ち、暴れる二頭の牛を引きずるように歩いたという。

身の丈八尺(百九十二cm)という巨体の持ち主である。

許褚は曹軍でも屈指の武人であった。

悪来典韋や夏侯惇・夏侯淵と比較されるほどの、

いや個人技であればそれ以上の武芸を持つといわれる偉丈夫で、剛力王を自称していた。

徐晃と許褚は馬を突進させ、一合目にそれぞれの得物を撃ち合わせた。

許褚の大槍と徐晃の大斧がぶつかり、火花を散らす。

互角であった。許褚の剛力に匹敵する力を徐晃の大斧は秘めているのだ。

確かに斧という武器は重く破壊力に優れ、短期戦に向いている。

しかし、許褚の全力の大槍を受け止めた相手はこれまで幾人もいなかった。

許褚は軽く舌打ちをすると、馬を返して再度徐晃の大斧へと向かっていった。

数合、数十合に及んでも勝敗はつかない。

両将の槍と斧が打ち鳴らす攻撃的な音が両軍の兵の耳をつんざく。

そのあまりの激音にいつしか兵と兵との戦いは止み、

徐晃と許褚の一騎撃ちを両軍が見守るようになっていた。


数千人が見守る戦地の片隅で、一対の虎が戦っている。

一匹の巨虎が激しく攻撃の牙をむいて飛び掛ると、もう一匹の虎がその大きな爪で弾き返す。

大きな爪が巨虎に襲い掛かると、巨虎も牙で応戦する。

虎対虎の死闘がそこで繰り広げられていた。

両者は互角であった。

互いを好敵手と認めたのか、惜しげもなく秘技を繰り出して相手を仕留めようとする。

しかし、勝負はつかない。大槍と大斧がぶつかる金属音。

一合打ち合わせるごとに両軍の兵士たちは

肝を冷やしながら勝負の帰趨を見詰めていた。

撃ち合うこと五十余合。両者とも肩で息をし、全身は汗まみれになっている。

徐晃の大斧は勝負が長引いても衰えを知らなかった。

恐るべき体力である。もとより許褚の大槍も鋭さと剛力を保っている。

突然、曹軍から退却を命じる鉦が鳴った。

許褚は撃ち合わせた馬を徐晃へと返すことなく、そのまま曹軍へと引き上げた。

徐晃も馬を退いたが、このまま軍を進めるのは危険と判断して陣を遠ざけた。

両陣は硬直状態になったまま、夜の闇を迎えた。



戻る←   →進む



トップページ小説トップ夏侯覇仲権トップ








Copyright (C) 2003 - Ken Box. All Rights Reserved.