小説「夏侯覇仲権」5話

許都 魏




子雲は玉思を誘って鞍の前に乗せ、馬を走らせた。

その前を仲権が走り、獲物を射る。

狩りの雰囲気をもっと体感したいと言い出した玉思に応えようとしたのだ。

茂みから飛び出してきた野兎を追って、仲権が馬を飛ばす。

一目散に逃げる野兎の小さな身体に矢を命中させるのは難しい。

仲権は二矢まで放ったが、野兎は深い繁みに逃げ込んでしまった。

「なんだ、仲権!だらしないなぁ!!」

「お兄様!頑張って!!」

後ろの馬から浴びせられる笑いと声援を聞いた仲権はむきになった。

馬を走らせ、獲物を探し続けた。

鹿の親子の姿を見つけた仲権が馬を寄せる。

鹿の親子は飛び跳ねながら逃げ回ったが、

ふと小鹿が逃げる方向に迷ったのか立ち止まってしまった。

その隙を逃さず小鹿に矢を定めた仲権だったが、

すかさず母鹿が子をかばうようにして小鹿の前に立った。

「今だ、仲権!」

後ろを駆けていた子雲が声を出した。大きな母鹿を射止める絶好の機会だった。

しかし仲権は矢を放たなかった。鹿の親子は森に逃げ込んだ。

「どうした、仲権!手柄を逃したぞ!」

すると仲権はさみしそうに答えた。

「今のは駄目だよ。誰でも当たる」

優しい仲権であった。子を庇う母鹿を見て、矢を放てなくなってしまったのだ。


突然、仲権は空を仰いだ。見ると、数羽の雁が列になって森の上空を飛んでいる。

「あれだ!見てろよ!」

そう言うと仲権は弓を引き絞り、狙いを定める。放たれた矢は最尾の雁に命中した。

「おお!!」

「わぁ、凄い!」

子雲と玉思が大歓声をあげた。父譲りの見事な腕であった。

子供にできる技ではない。さすがの子雲もびっくりしていた。

「やるじゃないか、仲権!さすがの僕でも鳥には一度も当てたことないのに!

なんだ、玉思がいると力の入り具合も違うのか?」

余計なことを言われて、仲権は少し顔を赤らめた。

(……いや、本当は一番前の雁を狙ったんだけどなぁ。まぁ、いいや)

あえて仲権は黙っておくことにした。正直者の仲権には珍しい。


馬を寄せ、落下した雁を自慢気に玉思に見せる。

「空の鳥を射ることは凄いんだぞ。僕が獲ったんだ!」

「お兄様、凄い!玉思は驚きました!!」 

玉思は大きく手を叩き、散々に仲権を褒めた。

仲権は嬉しそうに笑って、雁を掲げた。

それを子雲の方に見せ、どうだ、という悪戯な表情をする。

子雲は露骨に悔しそうな顔をした。


「――よし、仲権。あの場所に行こうぜ。」

突然、子雲が馬を走り出させた。今度は仲権が後ろから続く。

「お兄様?どこに行くのですか?」

首を後ろに捻って、玉思が子雲に聞いた。

「――玉思。この前、面白い場所を見つけたんだ。びっくりするような景色を見せてあげるよ」

子雲は優しい声で、玉思にそう言った。

二頭の馬は道を登り、山頂付近まで走った。

道なき道を抜けると突然森が切れ、目の前が開けた。





子雲は馬の足を止め、遠くを指差す。

「玉思、あれが許の都だよ。見えるかい?」

子雲の指の先、遠くに見えるのは四方を城壁に囲まれた都であった。

随分距離があるからはっきりとは見えないが、

平野の一角に、白色の壁に囲まれた四角の地帯がある。

空は厚い灰色の曇に覆われていたが、

ちょうど許都の上空の雲の隙間から眩しい光が許都へ差し降りている。

天から降り注がれるその細い光は、地上に近付くほどに太くなり、

四角い許都の空間を照らし出した。

仲権は子雲の馬の横に並び、その景色を眺めていた。

以前、狩りをしている途中で偶然見つけたこの場所。

他のどの場所よりも美しく許都を見渡すことができる場所だった。

玉思は瞳を輝かせて眼下の光景を見つめていた。

玉思にとってこんな景色は生まれて初めてだった。

「子雲お兄様。仲権お兄様。あれが、私たちの住む許都なのですね。

なんと美しい都なのでしょう……」


子雲と仲権は、玉思を見つめた。

まだ十一歳になったばかりの少女のあどけない顔。

日の射さない森に光る白い肌。

玉思の広い額の左右に流れる真っ直ぐで美しい髪。

両瞳は玉を思わせるが如く煌いている。

内面の美は外面にまで染み出すものであろうか。

子雲も仲権も、物心ついた時から玉思と一緒にいた。

彼女が淵の実子でないことも知っていた。

子雲にとっては姪、仲権にとっては妹として接してきたが、

玉思が許都に移ってきてからは家族の一員としてだけではなく、

別の意味で彼女を見始めるようになってきた。

恋と呼ぶには幼過ぎる。恋としては潔癖過ぎる。

少年の初恋は、恋ではない。信仰である。理想に対する夢想の世界である。

具体的なものなど何も伴わない。伴う必要がない。


数年ぶりに一緒に暮らすことになった玉思は、家を太陽のように照らす存在になっていた。

剛情な惇でさえも、玉思といるときには笑った。

子供を愛する気持ちの強い淵に至っては、

それこそ目の中に入れても痛くないような可愛がり方をした。

男子が多い夏侯家はいつも無口になりがちであった。

そこにたった一人の少女がいるだけで家が明るくなった。

二人にとって、そんな玉思は天女に見えていた。

仲権はこの山上からの景色をいつまでも忘れることができなかった。

子雲や玉思と一緒に見たこの美しい景色。

それはいつまでも、いつまでも愛しい思い出として胸底に残り続けたのだった――。



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