小説「夏侯覇仲権」6話

武神 呂布




翌朝、日の出と共に先発隊は許都を発った。

兵力は五万。大将は夏侯惇、副将に夏侯淵と李典。

呂布軍に包囲されてしまった劉備の小ハイ城が陥落する前に、何としてもたどり着かなくてはならない。

夏侯淵の得意とする急行の技を活かして、軍は急ぎに急いだ。

子雲と仲権は夏侯惇の陣にいた。

今までの戦ではずっと夏侯淵隊に付くことを命令されていたが、

今回は遂に憧れた戦いの現場に配置された。

今は淵が先陣だが、敵地に着くと淵と惇が入れ替わる。

二人の喜びはいつになく高まった。

自分の画策した弓術の吹聴と喧伝が功を奏したからだと、子雲は大きな顔で言う。

喜びだけではなく、不安も高まっていた仲権はそれを適当にあしらいつつ、

やはりまだ考え込んでいた。


――この戦で、僕にできることは何だろう。何もしないわけにはいかない。

生来真面目で優しい性格の仲権である。

惇や淵がそう思っていなくとも、自分はもう一人の武人であるという意識が彼にはあった。

背伸びしているわけではないが、既に大人の武人として戦場に赴く以上は、

伯父や父並みに働かなくてはならない。そう仲権は思っていた。


夏侯惇軍は昼夜をおして小ハイ城へと急行した。

徐州に着くと物見から連絡が入る。

小ハイ城を包囲していたのは呂布本人ではなく高順であった。

夏侯惇軍の来襲を知った高順は城の包囲を解いて陣を構える。

小ハイ城陥落を防ぐという目的の第一段階が計らずとも叶ったことで

やや落ち着きを取り戻した夏侯惇軍は、高順軍を目前にして休息を取った。

その夜、子雲と仲権は歩哨を命じられた。

良家の子弟が見張りの番を務めることは通常では考えられないが、

夏侯惇の命令とあっては二人も従わざるを得ない。

子雲は渋々、仲権は黙って任に就いた。


二人は惇や淵たちが眠る本陣の前門に立った。

左右の篝火の元で、矛を立てて屹立する。

兵士も馬も強行軍に疲れて熟睡しているのだろう。

辺りには静かな闇だけが立ち込めていた。

しばらく真面目に役を務めていたが、飽きたのか子雲が小声で話しかけてきた。

「おい、仲権。何で僕たちがこんな雑用をしなくちゃならないんだ?

淵小父から何か聞いていないのかよ?」

子雲にこういう地味な役は合わない。

惇の前では大人しく命に従ったが、やはり不満があるらしい。

「聞いてないよ。逸をもって労を撃つで、

今夜あたり高順軍が夜襲してくる可能性があるからそれに備えてだろう?」

「そんなのは最初から分かっている。

問題は、なんで僕たちを選んでこの雑務を命じたかだ。仲権、君は不思議じゃないのか?」

「惇伯父は叩き上げの武人だから、僕たちにもこういう戦の基礎を経験させようとしたんだろう。

黙って立っていればいいんだよ。それとも眠いのか?

夕方ちゃんと眠っておいただろう?眠いなら帰ってもいいんだぞ。一人いれば十分だ」

今夜の仲権はなかなか厳しい。

「眠くて仕事を放棄するような夏侯恩ではない!

――まぁいい。ここは黙って役割を務めてみようか」





二人は黙ってそのまま闇の中に立ち続けた。

篝火の燃える音と、底のない暗闇。

その繰り返しだけに囲まれていると、仲権は気になっていたことがますます気になってくる。

(……呂布。呂布が武神か)

それはまだその道に足を踏み入れたばかりの若者らしい考えだった。

強い男に憧れ、誰が最強を決めたがる。

人を操るだとか、軍を率いる才覚などは目に入らない。

槍を取ってどれだけの敵を蹴散らすか、それが強さの焦点であり、そこに人の偉大さを見出していた。


(見てみたい、武の神を。曹丞相よりも偉大な男か。惇伯父や淵父上と比べるとどうなのだろう)

仲権は自分の考えを微塵も疑っていない。

だが、ふと隣の子雲がどう思っているのかを知りたくなった。

「子雲、子雲。呂布はどういう男だと思う?」

声を潜めて聞いてみる。

「いや、善くやっているほうだろ」

引っかかる言い方だ。

「善くやっている?呂布のことだよ?」

もう一度聞いてみる。

「そうだよ。でも、楽しみだよな。天下無双で鳴らした呂布もいよいよ最期だ。興味があるな」

「……そうか。僕も興味あるよ」

そう合わせてみたものの、仲権には武神の最期の姿は想像できなかった。

まだその名前しか知らない最強の戦士。

敵を敬うのは自軍への裏切りではないかという自責の声に少し躊躇しながらも、

仲権は呂布の勇姿を空想していた。


それから二人が闇の中で佇むことしばらく、真夜中を過ぎた頃だった。

本陣から一人の男が歩いてきた。夏侯惇であることはすぐに分かる。

近付くと二人の顔を瞬間的に見渡し、短く言葉をかけた。

「――ご苦労。恩は明日、淵の陣におれ。覇はわしと一緒に来い」

そう言い終えるなり惇は本陣へと戻ってゆく。その背中に子雲が声をかけた。

「敵の高順はどういう将ですか?」

惇はゆっくり振り向くと、数歩二人に近付いた。

思い掛けないほど落ち着いた口調で淡々と語り始める。

「呂布には勿体ないほどの名将だ。どうして呂布如きに仕えているのか不思議だ。

高順と張遼。この二将軍が呂布軍の双璧だ」

「名将ですか!呂布の下に有能な部下がついているのですか!」

子雲は驚いた様子だった。

「そうだ。よいか、恩も覇も覚えておけ。呂布は強い。それも尋常ではない強さだ。

あいつと正面から戦って勝てる男はこの世にはいないだろう。

無論、わしを含め曹操軍の中にもいない。

だがな、いくら武勇があろうとも義を知らない男は必ず滅びる。

呂布は裏切りを繰り返してきた。そういう男は滅びる運命にあるのだ。

高順も張遼も名将だが、惜しむらくは使えるべき主を誤った」

思いがけず惇が雄弁を振るう。子雲も仲権も聞き入った。

「呂布は欲望の虜になった狼のような男であるが、

だからと言ってその配下が同じ穴の狢とは限らない。

高順・張遼、この二人は忠義の士だ」


とりわけ、高順は清廉潔白の将として知られていた。

高順は酒を飲まなかった。酒を飲む暇があれば楽曲を聴き、歌った。

武功を讃える酒席などには参加したが、好んで酒を飲むことがない。

飲めないということではなく、飲んで己の冷静が崩れるのを嫌ったという。

また、不正な贈り物は決して受け取らなかった。

武具は手入れが行き届き、兵も統率が取れていた。

部下からの信頼も厚く、何事にも慢心することない武人であったという。

「わしにとってこの戦いは、高順と張遼に捧げる餞だ。

彼らの意思を最後まで遂げさせてやろうと思っている。

それに、もし可能であれば孟徳に仕えてもらおうとも思っている」

「高順は討ち取らないのですか?」

惇は何も言わなかった。

「まさか、敵に対して情けを抱いているわけではないですよね?」 

「――違うぞ、恩。わしは明日、高順を一騎撃ちで討ち取る。

高順には『陥陣営』という異名がある。

戦えば必ず敵陣を陥れるという意味で、軍略に長けた男だ。

わしも今までかけて万全の布陣を練ったが、戦って必ず勝てるという保証はない。

一番確実なのは、一騎撃ちで首を挙げてしまうことだ。個人技ならばわしは決して負けん」

その言葉を聞いた子雲は大きく頷いた。

「遠慮などせん!最も被害のない方法で倒す。

戦の鉄則だ。二人とも明日はよく目に焼き付けておけ」

そう言うと惇は本陣に戻って行った。

子雲は満足そうに惇の後姿を見つめていた。

仲権には何か思うところがあるのだろう。朝まで黙って篝火を眺めたままだった。



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