小説「夏侯覇仲権」8話

呂布の死




それから一刻が過ぎても、曹純からの吉報は届かなかった。

途中報告の伝令が何度もやってくるがいい知らせはない。

いいや、次第に伝令たちの表情に暗さが見え始めてきた。

「――状況変わらず!呂布は我が隊をことごとく退けております!

曹純殿から援軍の要請を請けて参りました!」

「――呂布の体力は衰えることを知らず!

我が軍の兵は責めるたびに討ち取られ、主閣は死骸で埋め尽くされております!どうか増援を!」

伝令が来るたびに曹仁は次第に顔色を失っていった。

夏侯淵も心配のあまり自軍に戻ろうとせずに曹仁と善後策を練っていた。

「馬鹿な!いくら呂布といえ、もうどれだけ時間戦っているのだ!奴は不死身か?!」

「あせるな、曹仁。奴の武は尋常ではない。計算外の男だ。

ただ、必ず限界は来る。短気を起こさずに待てい!」

そう言う夏侯淵だが、彼の表情からも余裕の色は失せていた。


(凄い!凄いぞ!呂布、まさしく武神か!)

その中で、一人仲権だけはこの事態に陶酔していた。

朝から猛攻を受け続けても、決して陥落しない呂布の武。

呂布自らが方天戟を振るって曹純隊を撃退しているようだが、

雑兵だけでも何人斬ったのかしれない。

それだけの数を斬れば、当然体力も尽きる。

いくら高順隊が護衛していようとも、とうの昔に捕縛されていて然るべきなのだ。

(あぁ、呂布殿!貴殿はまことの武人であろう!

敵ながら見事としか言うべくもない!貴殿こそ、僕が求める武の最高峰だ!!)

仲権は武人に武を求めていた。

曹操は偉大な人だ。しかし、戦場で自ら槍を振りかざして戦うことはない。

武人の器量とは戦場での勇躍だと仲権は思っていた。

その点、呂布は総大将でありながら、自ら赤兎馬と方天戟を操って常に前線にいる。

その呂布の姿を想像するだけで仲権はそこに武神の姿を見ていたのだった。


「――伝令!曹純隊は最早壊滅寸前!

曹仁将軍におかれましては、速やかに自ら派兵をお願いされたし!」

「――承知!!夏侯淵、ここはお主に任せた!

我が隊の勢いが止まるようなことがあれば、すかさずお主も突撃せよ!

呂布に休む間を与えてはならぬ!」

そう言うと曹仁は残りの兵士を連れて馬を進めていった。

「淵小父!好機ではございませんか?

このまま曹仁殿だけに任せて良いのですか?今なら我々でも……」

夏侯淵は夏侯恩のその言葉を途中で遮ると、小さくこう言った。

「それはいかん。多く兵を損なった曹仁の心境を考えてもみよ。同じ一族で手柄を取り合ってはいかん」

「しかし、呂布や高順には貸しがあります!」

夏侯恩は食い下がった。

不本意に許都へ戻ることになった惇のことが言いたいのだ。

「いかんぞ!よいか、個人の功績よりも家名を大切と思え。曹家は同族だ」

冷静に夏侯淵が言う。

「それにな、曹仁は確実な男だ。心配はいらん。奴なら間違いなく呂布を捕縛できる。

安心して待っておれ。そう長くはない」

そう言われると夏侯恩も言い返す言葉がない。

黙って夏侯淵に従った。


(呂布が捕らえられる?!あの武神が他人の武の前にひれ伏すというのか?!

それはないはずだ!それはないはずだ!)

仲権には身体中を縄に巻かれた呂布の姿が想像できなかった。

輝かしいばかりの武威を常に放ち、将兵構わず蹴散らしている姿だけが脳裏に浮かんでいた。

その武の極みが負けるはずはない。

負けるはずがない。負けてしまったら、仲権の武の到達点が宙に浮いてしまう。

それから一刻も経つ頃、ようやく曹仁からの伝令が届いた。

「――呂布陥落!曹仁将軍が呂布を連れて丞相の陣まで向かいます!」

報告を聞いた夏侯淵は静かに頷いた。

「うむ、さすがは曹仁。それで、捕縛の時の様子を知っておるか?」

「はっ、聞くところによりますと敵将呂布は自ら戟を投げ捨てたとのことです。

不敵にも、人を斬るのに飽きたと言って自ら降ってきたようです」

(……呂布がか!武神が自ら戦いを放棄したというのか?!)

仲権の衝撃は大きかった。

「そうか。呂布らしいと言えば呂布らしいのぅ。

子雲、仲権、兵をまとめろ。我々も本陣まで戻るぞ」

呂布は曹仁隊の兵卒に囲まれて城を下った。高順もである。

その後ろを曹仁と曹純が誇らしげに馬を進める。

戦功は大きいが、その代償は大きかった。呂布一人のために曹仁は多くの兵士を失った。

既に陽は西に傾いている。

朝の突入からこの時刻までかかってようやく戦が終わったのである。


本陣では曹操が待ち構えていた。もちろん夏侯淵ら諸将もいる。

子雲と仲権の姿もあった。

仲権は武神を目の前にすることの緊張感で一杯だった。

(遂に武神が来る。光栄だ。どれだけ素晴らしい男なのか)

そして呂布は本陣まで引き立てられてきた。

長身を包む甲冑を血の朱に染め、身体中に縄を張り巡らされた男。

それがどうやら仲権の武神らしい。

(呂布!呂布!あなたの武神ぶりを見せて欲しい!)

仲権の期待は高まった。

だが、周囲の目は決して熱を帯びていなかった。概して冷ややかである。

それが仲権には分からないことであった。

この堂々の巨躯が赤兎馬に跨り、方天戟を縦横無尽に振回す。

その雄姿を想像すると、仲権には穢れのない武神にしか見えてこないのであった。

本陣には侯成と宋憲・魏続の姿もあった。

昨日までは自分の部下として扱っていた彼らの姿を見ると、呂布は激情をほとばしらせた。

「うぬ!!貴様らはどの面をさげてここにいるのだ!」

初めて聞く武神の声を聞いて仲権は心を振るわせた。

侯成は努めて冷静に答えた。

「呂将軍。これはあなたが招いたこと。

主としての器量のない人物に主になる資格はござらぬ。いざ、神妙にされよ」


それを聞いた呂布は激情に顔色を変えて叫んだ。

「貴様!この裏切り者が!」

その声色には傲慢・悪意・他者否定というものが深く沁み込んでいた。

意外な呂布の様子に仲権は驚いた。

兵卒に縄目を牽かれながらも呂布は悪態をつきながら歩いた。

曹操の前に引き立てられた呂布は開口一番悪びれずに言ってのけた。

「曹公!我が献策を受けたまえ!

この呂布に今一度赤兎馬と方天戟を与え、貴軍の先陣に立たせれば、

天下平定までの時間を十年早めることができる!」

その言葉を聞いた幕僚たちに動揺が生まれた。

確かにその通りなのである。

他の君主はともかく、曹操の器量であれば、

この獣のような呂布でも飼い馴らすことができるに違いない。

上手くゆけば、この天下無双の将が曹操軍の前衛で方天戟を振るい、

敵を薙ぎ倒してくれるかもしれない。それが叶えば、こんなに力強い味方はいない。

敵対して分かった呂布の恐ろしいまでの武力が自軍に加わるかと思うと、

それだけで心を動かす将もいた。

だが、才能ある人物を愛する曹操の琴線にも呂布という才能は引っかからなかった。

呂布の武の才能は紛れもなく天下随一であったが、

彼がいるだけで集団に不和を生じさせるという決定的な禍があるのを曹操は知っていた。

才能ある人間が縄目を受けて己の前に引き立てられてきて、

曹操が帰順を勧めなかったのはたったの一度だけ、この呂布の時だけである。

適材適所などという生易しい言葉ではこの呂布の武を抑えることができない。

天下の英雄曹操ですら持て余すほどの呂布の武であり、

同時に曹操ですら包容できない大禍なのである。


曹操は即答しなかった。危険過ぎる諸刃の剣であるのだ。

曹操には分かっていた。呂布を心服させるのは不可能である。

己の器量不足ということではなく、呂布という生命体は

人の下でいつまでも生きられる存在ではないのだ。

一時従えることができたとしても、いつか必ず離反する。

それも、きっと己の最大の危機の際に牙を剥いてくる。

曹操は呂布の登用を断念していた。

才能を愛する男が、呂布の才能には執着を覚えなかった。

傍らにいる劉備を振り返るとこう問いかけた。

「劉君。いかがしたものかな?」

すると劉備は空を斜めに見上げて独り言のように言った。

「さぁ。私には判断できない問題です。ただ私は丁原や董卓の最期を思い出していただけです」

丁原も董卓も呂布を養子としたが、

最終的には呂布は両養父とも裏切って自らの方天戟で死に至らしめている。

責任のないような発言をしたが、劉備の意図ははっきりしていた。


それを聞いた呂布は全身を怒りに震わせてこう叫んだ。

「劉備!貴様もが俺を裏切るのか!俺は貴様には色々面倒をみてやったつもりだぞ!

貴様こそ節操も何もない偽善者ではないか!!」

劉備は目を合わさずに、その遠吠えを聞き流していた。

その態度がさらに呂布の怒りに油を注ぐ。

劉備だけではなく、侯成・宋憲・魏続の三将にも向かってわめき散らした。

「この裏切り者どもが!

よいか、俺はともかく貴様らが俺を裏切るのは許さん!俺は許さんぞ!!」

(なんと……この男は、こんな非常識な大言にも迷いがない……)

仲権は呂布の言葉に驚いた。言ってはならない言葉であろう。

だが、呂布の声色には躊躇が全くない。

軍の大将たる者が、武士たる者が、いいや、人としても

決して口にしてはならない言葉であろうはずなのに。

(……違うというのか。この男は、僕が理想としていた武の神ではないのか)

呂布の言動は少年仲権の胸に不信の闇をぶちまけたようであった。

信頼の上に成り立つ夏侯家に生まれ育った仲権には、

あまりに傲慢で身勝手な人間の姿であった。

仲権は呂布を受け入れることができなかった。

(馬鹿な。これではお互い憎しみ合うだけだ。

醜さを開け出したところで人は前進しないではないか。

馬鹿な!この男は武の極点に立った名誉の男ではなかったのか!)

仲権のすぐ横で、子雲は静かに呂布を見つめていた。

子雲は呂布の人柄を以前より耳にしていた。

そして、その武を尊敬するのではなく、軽蔑する側の人間であった。

(うむ。死ねばいい。最早貴様の生きる場所はない。

そもそも、この男は生まれるべき時と場所を間違えて生を受けてしまったのだ)

あまりの呂布の暴れ様を見兼ねた兵卒が押さえつけようとする。

だが、全力で暴れ出した呂布は止められない。最後は十人がかりでなんとか静かにさせた。


「斬れ。この場でだ」

曹操は冷たい声で斬首を言い渡した。

なおも暴れる呂布だが、十人に押さえつけられては敵わない。

その場で何本もの刃を突きつけられ、あえなく絶命する。

武鬼呂布はこうして戦場の土へと還って行った。

(あぁ、呂布。僕は誤った!僕は間違っていた!武神などではない。

貴様は鬼だ。誤って天から不相応の武を与えられてしまった、ただの一人の卑怯者よ!

その武が偉大過ぎた。貴様は武の鬼だ。

欲望に負け、人間を信じることのできないただの醜い鬼よ。

あぁ、僕は何だってこんな男に神を見ようとしていたのだ!!)

失望。仲権の大きな失望。勘違いもいいところであった。

仲権は自らの不聡明を認め、そしてそれを責めた。



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