小説「破壊の甘寧」4話

合肥の戦い 甘寧




一方の甘寧は、曹操軍の防戦で手一杯になっていた。

荊州を盗んだ諸葛亮、西蜀まで取ろうとしていた劉備軍には

怒り心頭だったが、今は目の前の強敵を破壊することで快楽を得るのみ。

赤壁の火計では苦難なく曹操軍を破壊できたが、陸上で戦いを交えると曹操軍の、

いや、敵将・張遼の強さは、戦いに明け暮れてきた甘寧の心をも改めて燃え立たせるほどだった。


水上での戦いを避ける形で、曹操軍は東の合肥の地から攻めかかって来た。

敵軍10万を率いるのは名将・張遼で、荊州進行中に

周喩を病で喪った孫権軍は、孫権自らが10万の軍勢を率いて迎撃に出た。

両軍の兵力は拮抗していて、一進一退の戦いを繰り広げられる。

中でも張遼の突進力は抜群で、わずか800人の張遼直轄の精鋭部隊に

孫権本陣は攻め込まれると壊滅的な被害を受け、本陣を守っていた周泰・凌統軍は崩壊し、

宋謙を討ち取られるという痛手を被り、孫権軍が陣を引く場面があった。


中軍を任されていた甘寧も静観できない状況にあって、

さらに攻め込んでくる張遼軍を防ごうと凌統軍へ加勢し、

敵兵に囲まれた凌統を救い出しては張遼軍を撃退させる。

凌統は今では味方同士だが、黄祖軍にいた頃の甘寧が射殺した凌操の息子が凌統であって、

甘寧に父を殺されている凌統は、当然ながら甘寧のことを憎んでいた。

この戦いで凌統の背後から襲おうとした敵兵へ矢を放ち、

凌統の命を救ったのは甘寧本人に間違いない。

しかしそれは甘寧が望む破壊のために、偶然視界に入った敵兵を射ただけで、

凌統のためという意識などは微塵もない。

それが勘違いされ、命を救ってくれた恩人と、凌統から涙を流して感謝されるなんて、

甘寧にとってはただの迷惑な話。

違う違う、俺はお前を救うために矢を放ったのではない、

張遼軍を破壊させるための一矢以外に意味はない。

夢物語で伝えられるような良心なんて持っていないのがこの破壊の甘寧様だ、甘く見ないで欲しい。


拮抗した戦いの糸口を見つけようとしても、そこは相手も得意とする陸上戦、

あの赤壁のような奇策は通用しない。

それでも破壊したい、破壊しなければと身体が疼く。

甘寧は思い切って真正面から突撃を試みることにした。

闇の一夜、100人の元水賊仲間たちと決死隊を募り、張遼本陣へと斬り込む。

もっとも、それは策というより男気だけで成り立っていて、

敵軍の目を盗みながらの奇襲であって、敵に見つかって包囲されれば全滅は必至。

成功したところで、張遼軍の肝を冷やすだけで、

100人の成果で実質的な勝利を掴めるはずもない。


最近は将軍として軍略での破壊ばかりに目を奪われていた甘寧だが、

凌統を救った弓矢のように、久しぶりに個人の武に頼る肉弾戦でも、

心地よい快楽を味わうことができた。

まだまだ個人の武力においても現役最強で、天下無双の甘寧様をみくびるな。

破壊の証を得るために、この甘寧は最高の挑戦をしよう、

わずか100人での張遼本陣への突撃だ。

これが死への旅立ち、と気心の知れた仲間たちと盃を交わす。

闇に忍んだ甘寧が張遼本陣を急襲すると、あっという間に敵陣は乱れ、

悲鳴怒号の中で敵の同士討ちが起こり、甘寧も思う存分に敵兵を斬り殺して

暴れ回った後に、ただの一人の味方を失うこともなく、甘寧は自軍へと引き返してきたのだった。


曹操軍に張遼という名将がいるならば、呉には甘寧という勇武の権威がいる。

そのことが知れ渡ると、拮抗した戦に精神的な躊躇いが重なって、

ますます互いに手を出し難い状況に置かれ、ついには両軍の撤退へとつながっていった。

一軍を率いる大将として破壊の甘美さに魅せられていた甘寧だったが、

久しぶりに味わう個人での破壊もまた格別で、どちらもたまらない禁断の味であった。

80万人を軍力で燃やし尽くす大量殺戮も甘美なら、敵兵80人を自分の矛で斬るのもまた甘美。

まさに甘寧は破壊の闘神で、将でも個人でも、破壊とあれば何でも涎を垂らしながら狙ってくる。


孫策が呉を治める以前のこと、揚州の乍融という将が中国で初めて大規模な仏教寺院を作った。

中華思想や儒教を思想の中心としてきた中華の民には

仏教という新興宗教は受け入れられないものだったが、

呉の国ではその中で阿修羅という戦闘の神だけが受け入れられていた。

阿修羅とは太陽を司る神だったが、帝釈天と戦い続けたことで戦闘の神として有名になった。

鬼阿修羅として戦いを尽くした後、釈迦との出逢いによって悟りを得ると

心阿修羅として変化した阿修羅だが、いずれにしても戦いの神というイメージが強い。

甘寧の獅子奮迅ぶりはまさに戦闘の神、阿修羅そのものだと、

呉の人々は未知の仏教神への恐れと、甘寧の強さを重ね合わせて畏怖し、

甘寧を阿修羅と呼び称えた。





阿修羅と呼ばれた甘寧は、呉の武将としては最高峰を極め、

太史慈と並ぶ武の頂点としてのポジションを手に入れた。

それは甘寧の持つ破壊の美意識が、呉という国全体に認められた瞬間。

甘寧は甘美な夢を叶え、彼の破壊はここに極まったのである。

将軍としては八十万の魏軍を炎上させ、

武人としてはただの一人を損なうことなくあの張遼本陣を脅かす。

知勇に武勇に、甘寧の求めた破壊はここに極まって、

甘寧はあらゆる破壊を自分の手中にしたのである。


時は常に甘寧に味方したわけでもなく、荊州や西蜀の土地を確保した劉備は

蜀を建国して勢力を拡大し続けていた。

蜀の軍師・諸葛亮に出し抜かれたまま、甘寧が唱えた天下二分の計は幻と消えたのである。

孫権も呉の皇帝を宣言すると、中華には曹操の息子・曹丕が治める魏と、

孫権の呉と、劉備の蜀という三人の皇帝が鼎立する異常事態となっていた。

中華には一人の皇帝しかいないというルールが、風となって消し飛んでいった。


ただし、魏の国力は圧倒的で、領土や民衆は呉とは倍も差があった。

荊州と蜀を取ったとはいえ、蜀は魏の4分の1、呉の半分ほどでしかない。

魏・呉・蜀の国力は、4対2対1という数字を当てはめてもよいほど、

三国鼎立とはいえども歴然とした差があったのである。

甘寧の天下二分の計が叶っていれば、魏と呉は4対3の関係であり、

政策次第では中華を二分して互いに牽制し合った結果、

戦を招かず互いに平和を享受することができたかもしれなかった。


それが天下三分となった今は、魏と拮抗する国力を呉も蜀も持ち得るわけもなく、

呉と蜀が同盟することで、なんとか魏を牽制する力を働かすことができていた。

赤壁で同盟を組んだ劉備と孫権だが、その後の荊州と蜀攻略では敵同士となり、

その後は魏との関係上、また同盟関係にならざるを得ない。

そのくせ呉は隙あれば蜀の領土を奪う素振りを見せていたし、蜀もその辺りは敏感になっていた。

呉としてもうかつに蜀攻略を進めれば、魏から背後を襲われて総崩れしてしまうかもしれない。

この微妙なバランスの上に、魏呉蜀の三国は成り立っているのだった。



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