小説「後悔の海に溺れて」2話

離島空港




――この充実した暮らし。仕事があるのは良いことだ。

末職ではあったが男は赴任地での仕事に満足していた。

京での何もすることがなかった貧しい暮らしからは一変していた。

毎朝出仕すれば仕事がある。

人間関係が大変だと周りは言うが、仕事がなかった時のことを思えばそんなのは小さな問題でしかない。


久しく仕事という仕事に恵まれていなかったから、まずは宮仕えに夢中になった。

元来が働き者で真面目な男であった。





――島に空港ができた。

数百億という莫大な建設費を国が負担してくれた。

島全体が一丸となってそれこそ何十年間も行政に働きかけてきた成果がようやく実ったというものだ。

これで一日一便、東京から飛行機が飛ぶ。

これでいい。

これで俺たちもようやく普通の暮らしができる。島ももっと盛えるだろう。


数年来の自分の仕事に満足ができた。

大事な役を任されてきたが、これで大きな区切りがついた。

あとはこの島の観光をどうやって発展させてゆくかだ。

村役場の観光課長に抜擢されたからには、そこからが俺の次の目標だ。


観光の目玉はもう決まっている。ここの海はどこにも負けない。

シュノーケリングだけでも充分に堪能できる海の魅力。

二十メートル以上の透明度、美しい珊瑚礁。

年中イルカが泳ぎ、鯨が沖で跳ねる。自然の宝物、先祖からの財産。

世界に通用できる海だ、絶対に人は来る。


空港のオープニングセレモニーには国土交通省を始め、環境省や県庁から招待客が集まった。

村長の満足そうな顔。男も充実感に浸っていた。

自分の仕事がこんなに偉大な成果をあげた。

これで島全体が潤う。雇用が生まれ、人が移ってくる。

これで島の子供たちも、この島で仕事を得て住み続けてくれるかもしれない。

観光で訪れた若者の中にはここに土着しようとする者もでてくるだろう。

そうしてきっと島全体が若返る。

この素晴らしい大自然の島に人の活気が蘇れば店も増えるし、島民の生活はずっと便利になる。

これがこの島の未来図なのだ。





――日が経つにつれ綻びが生じてくる。まずは夫婦関係の破綻があった。

なまじ良家の女と縁を結んだことで出費が嵩む。

甘ったれの女の我侭にも愛想が尽きてきた。最早女に愛情はない。

仕事をしている時はいいが、男はそれ以外の日常に満足できなかった。

そして、引き換えにいつも思い出すのは京都に捨ててきた前妻のことである。


山国育ちの前妻は事ある毎に、海が見たい、と言った。

いつか見せてやると約束したのに、

貧乏故に旅もままならない生活だったから結局見せてやれなかった。


重く罪悪感がのしかかってくる。夜な夜な前妻との日々を思い出す。

忙しい日中はいい。仕事を離れて静かな時間になるともう駄目だ。

後悔が後から後から湧き上がってくる。

貧しさゆえに愛する人を捨ててしまった。

愚かさゆえに愛する人を不幸に堕としてしまった。

本当に、馬鹿なことをしてしまったものだ。


歳月は流れ、やがて任期が終わり、京の都へ戻る時が来る。

その頃には後悔も頂点に達していた。

前妻を捨てたのは過ちだったと、男は結論付けていた。

京に帰ったらもう一度前妻とやり直そう。

今のあの我侭な女は俺の妻ではない。あの前妻こそが俺の妻に相応しい。

皮肉ではあるが今は財力もついたし、今度こそ前妻を幸せにできる。


男は道中遠回りをして海に寄った。

空筒一杯に白い砂を詰めると大事に懐に仕舞う。

京へ戻ると女を実家に追い返し、前妻の家に旅装のまま駆けつけた。





――島は変わっていった。空港ができたことで人の移動は活発になった。

確かに観光客はきた。

彼らを受け入れるためのホテルもでき、道路には観光バスが走るようになった。

土産物屋が立ち並び、スーパーもできる。

遂には島の中心にコンビニまでオープンした。

念願の村立総合病院建設の目途も立ち始める。

それまでは計画通りだった。


一方で、観光客の質が問題となり始めた。

それまでのように長時間の船旅を耐えてまでもこの島を目指そうとする、

いわゆる自然を愛し、島を愛する人間ばかりではなくなった。

大手旅行会社のパッケージツアーが組まれるようになったのは

願ったり叶ったりだったのだが、この手のツアーで来る観光客は、

それまでの訪問客と較べれば格段に自然を愛する気持ちが薄かった。

これはこの狭い村の人の善い島民たちには予想もしていなかったことであった。


島内の観光地では投げ捨てられたゴミが目に付くようになった。

一概には決められないが、飛行機で来る若者の中には

ただ南の島で騒ごうとするだけの連中もいた。

ビーチには花火のカスやビールの空き缶が放置され、

終いにはそれこそここ数十年この島には全く無縁だった警察沙汰が起こってしまった。


村長はそれも仕方ないと言った。

空港を導入することによって現金収入が生まれ、

島全体に近代化の新しい風が吹き込まれること自体が目的だと思っているようだった。

その反面でなにかしらの弊害が生まれるのは仕方がないことだと確信しているのが見え隠れした。


島民は二派に分かれた。

これも仕方ないというか、流れに身を任せてぼんやりと近代化を受け入れようとする人々。

一方で空港建設を後悔する人も出始めた。


前者の言い分は村長に近かった。

今までの生活を続けていつか廃れてしまい、島全体で共倒れになってしまうよりも、

この島の自然資源を当てて観光の島にしようとする人たち。


後者は数こそ少ないものの、言い分にはかなりの怒りが含まれていた。

このままでは何よりも大事な島の自然自身が損なわれてしまうというもので、

彼らは村長の姿勢を無計画だと批判した。

観光客を呼ぶのはいいが、無計画で事業を進めてしまったことが、

今のような混乱を招いてしまった、と憤慨していた。


当事者である男は悩みに悩んでいた。

確かに、今の荒れ始めた様は自分が描いていた島の理想とは違ってきている。

空港建設の後、男はすぐにホテルに建設誘致を呼びかけた。

それから大手旅行会社を回ってパッケージツアーを作ってもらうよう精力的に働きかけた。

言われてみれば確かに、そこに島の環境保全を考えようとする意識が薄かったのも事実である。

まずは旅行のインフラ環境を整えようと、村長の指示の元で形振り構わず話を持っていった。


そしてそこには条件交渉があった。

後進の小さな島だから先方に足元を見られていたのは拭い難い事実で、

村長の裁量でどんどん優遇条件を出してひとつでも多く誘致しようとしていったのであった。


こうして島の施設が充実していったことに最初は満足していた。

だが、段々それが男の中でずれてゆく。

後者の島民たちのように、後悔する心が生まれ始めてきたのである。

しかし仕事としては逆の任務を村長から命ぜられていた。

公人と私人の狭間、島の未来と現実の狭間で男は悩んだ。



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