小説「狂い咲き」2話

運慶 仏像




不動明王は、昔から随分と人気者だったのよ。

9世紀、空海が中国から持ち帰った密教によって、

日本に伝わったのを切っ掛けに、不動明王は現代までずっと創られている。

私たち現代人の身の周りを見ても、

成田山新勝寺・目黒不動尊・目白不動尊・高幡不動尊など、

不動明王を本尊としているお寺って、結構多い。


人気のあまり、色々な解釈の不動明王が出回っていたから、

10世紀には安然という天台宗の高僧が「不動明王とは、これです!」

という、十九相観ルールなるものを作ってしまったぐらい。





代表的なものを挙げれば、かるら炎という、

激しい怒りを模した火焔を背中にまとっているのが、不動明王。

右手に邪心を切る剣、左手に人々を救済するための羂索という投げ縄を持っている。


左目をすがめて地を、右目を見開いて天を見渡し、合わせて天地に睨みを利かす天地眼。

上歯牙下唇という、口から牙が飛び出す恐ろしい形相。

もう少し言えば、額にシワ、髪はチリチリ。

他にもいくつかあるけど、とにかく不動明王には、そんな外見上のルールがあるの。


それから!

不動明王自身が童子のくせに、いつもカワイイ童子を連れているんだよ。

一番正統なのは八人の八大童子だけど、よく見るのは二人。

せいたか童子っていう、生意気に怒っている子。

こんがら童子っていう、おっとりとした子。

大人風に怒った不動明王が、子供風にプンプンしたせいたか童子と、

子供風にのへら〜んとしたこんがら童子を従えている姿は、とってもカワイイ。


表面上の力強い姿は、国家安泰の象徴として

昔から民衆や修験者の間で信仰された。

とりわけ、武勇に生きる中世の武士たちには、武の象徴として崇拝された。


そんなキャラクターの不動明王は、いつも何かに怒り心頭な感じ。

凄いのは、そこに躊躇や遠慮が微塵もない、ってこと。

怒りと破壊のエネルギーは、相当なものだと感じる。

その怒りの目的が人々の救済だっていうのだから、

不動明王の本質は、怒りじゃなく、優しさって捉えることもできる。


自立できない迷い人たちに、心を鬼にして右手の剣で斬り込んでいく。

その斬り口に、救えるスペースを見つけたら、左手の羂索を投げて、さっと救済してあげる。

破壊と救済という矛盾を、矛盾なく兼ね備えた存在、それが不動明王。







怒りは元々、聞き分けのない人々に向けられた不動明王の不満なのに、

いつの間にか日本人は、それを自分たちに降りかかる諸悪への怒りという解釈に変えていった。

日本人の心は、不動明王の本質さえ、変化させてきたのだ。

密教文化を素材としつつも、日本人古来の思想を踏まえて独自の文化を創る、これこそが和様化スタイルね。


そもそも、不動明王がこんなに民衆に慕われているのは、日本だけ。

仏教発祥地のインドやネパールでは、そもそも不動明王をモデルとした

仏像が残っている数は多くない。

それも不動という名前の通りのどっしり型じゃなくて、

むしろ軽快に走り出しそうなスタイルのものがわずかに残っているだけ。

最早、私が追っているものは、和様化された不動明王であって、

仏教に生まれた不動明王とは別物なのかもしれない。


ある時、私はこう考えてみた。

炎をまとった不動明王、怒りの表情。

その心の底にあるのは、幸せを逃したくない気持ちなのでしょう。

過去に躊躇から何かを失ったことがあって、もう二度と失いたくないから、

不動明王は感情表現を徹底しているんじゃないかな。

そう考えたとき、私自身のある記憶と結びついて、なんだか答えが得られた気持ちがしていたの。


ごめんなさい、すっかり話が長くなってしまって。





そんな不動明王に魅了されて、私は取材を繰り返していた。

伊豆の願成就院、仏師運慶が創った不動明王は最高の作品だった。

京都でも大覚寺醍醐寺、それから今回の東寺

滋賀の三井寺には、円珍ゆかりの黄不動もある。

調べれば、日本全国至るところに不動明王は息づいていた。


最初は、会社のみんなにも理解されるのに時間がかかったけど、

私の思いつきで組んだ不動明王特集は、次第に軌道に乗っていた。


仏像巡りの旅ならば、季節は秋でしょう。

私は、秋が好き。

季節は幾つかあるけど、秋が近付いた時、私のウキウキは一番活発になる。

実りの季節、紅葉の秋色と、お寺の仏像アートが重なる、その組み合わせを私は愛でている。

今年の秋も、紅葉と仏像の融合をテーマに、取材を楽しみたいな。



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