小説「奈良アートボックス」5話

仏像アート




東京に帰ると、私は具体的な企画書の作成に取り掛かった。

会社のメールアドレスには早速バサラからのメールが入っていて、

彼は凄い約束を取り付けてくれていた。


「明日香、いいお知らせだよ。知り合いの仏像たちを紹介しよう。

東大寺戒壇院の四天王と、三月院の日光・月光とは親交があるのですぐに承諾をもらったよ。

それから、まだ若いんだけど円成寺にいる

25歳の運慶という大日如来も才能があるからいいかな?

東大寺の住職は知り合いだから話を通すこともできる。

あとの仏像たちは君が集めてくれ。

他にも出来ることがあれば力になります。

その日を楽しみにしているよ」


涙が出るほど嬉しかった。

ぼんやりとした細い夢に、何種類かの色がついてゆく感じ。

これで参加予定者の欄に具体的な仏像名を入れることができて、

最初の企画書を形にすることができた。

他の仏像たちがいるお寺にも、これさえあればオファーすることもできる。

私の夢が一歩ずつ近づいてくる足音が、聴こえてくるようだった。





次は音楽だった。

実際、こっちはまるで当てがなくて、どうすればいいか全然分かっていなかった。

そのくせ、どうしてもお願いしたいミュージシャンがいた。

私もわがままだから、どうでもいい人にオファーする気はさらさらなくて、

一番希望する人だけしか見えていなかった。

会社の人に相談してみると、人脈を伝って話を通すことができないなら

事務所を通す正式なルートでオファーしてみるしかないと言われた。


そうね、でもそれだけじゃないよ、私は。

この企画に対する情熱を書き殴った手紙を企画書に同封してみようと思った。

「これはビジネスを超えたアートのオファーなんです。

生意気かとは思いますが、毎日の中で美しいもの、詩的なもの、

そんなものを求めていらっしゃるのでしたら

是非ともこの企画に参加していただけないでしょうか。

月夜の東大寺で、仏像たちと一緒に歩きながら、あなたの歌声が聞きたいです。

他の誰でなく、あなたの歌声が聞きたいです。

どうしても金銭的には大きなビジネスにはなりませんが、

我々”ケンボックス”は最高のアートをご提案いたします」


それから待っている時間は長かった。

後はもう回答を待つしかないから、別の日常業務をこなして毎日を過ごす。

気が気ではなかった。宙に浮いたまま日々を過ごせば、それは酔いもくるわよね。

奈良アートボックスの発想と較べてしまえば、普段の仕事も生活も何もかもが、

薄まった色彩の、乏しい抑揚の、循環を失った一方的なエネルギーのように、つまらないものだから。


平凡な毎日はただ長く、ベッドに就く時のため息は止まらない。

はぁ。なんてありふれた一日だったのかしら。

会社で仕事をしていると、煌くような刺激はなく、

そこそこの一日で終わらせてしまうことがほとんど。

それはね、そういう普通の日の連続があってこそ、

とびっきりの一日が来るとは知っているけど、その日を待ちわびる心はとっても退屈。

ちょっとぐらい、いいえ、だいぶ辛くてもいいから、

引き換えに何か強烈な刺激のある一日ばかりがいいと思うのは、

日常に嫌気を催している私の病気かしら。


物語は突然に繋がってゆく。

ある日、パソコンの向こうを見ながら何気なくキャッチコピーを考えていたら、

「企画書拝見しました」という件名のメールが届いた。

事務的に開封してみると、

それはあの一番お願いしたかったミュージシャン本人からの返事。

「ケンボックス・長谷川明日香さん、企画書拝見しました。興味があります。

東大寺の舞台と、仏像さんたちが手配できたら、ここにメールしてください。

喜んで参加させていただきます。徳永英明」


あぁ。脱力っていうのかな、私は全身の力がなくなってしまって、

それから涙が出てきて、机に座ったままで目を涙に溢れさせてしまった。

まさか本人から連絡がくるなんて普通じゃないよ、

余程のことだよ、私の想いが本当に届いたのかもしれない。

こんな喜びってないよ。こんな幸せってないよ。

仕事をしていて、こんな嬉しいことってなかったよ。

私の夢をますます進められる。もっと深く夢を見られる。

点と点が線でつながり、形ができてきた奈良アートボックスという夢の続きを、

私は夢見ることができるんだ。


季節は秋へとさしかかっていた。

もう一度奈良に行く必要があると思った。

企画書の参加予定ミュージシャンの欄に「徳永英明」っていう決定的な文字を加えて、

再び奈良へと私は向かったのだった。





奈良に着くと、まずは東大寺の住職とのアポイントがあった。

バサラの紹介のお陰で逢うには逢ってもらうことができるけど、

そこからは実力勝負だと思ったから、バサラの同席を断って自分一人で東大寺へと向かう。


住職の言葉は明確なものだった。

場所を提供するのは問題ないし、希望している大仏殿でも

過去に何度もミュージックコンサートを開いているので支障はない、と。

ただし、使用料が無料というわけにはいかないし、

何よりも大事なのは”本物”の品質のイベントでないと断る、とはっきり言われた。


過去には世界的に有名なミュージシャンたちによる

1994年の「The Great Music Experience - AONIYOSHI」というイベント、

2008年には布袋寅泰によるロックオペラなど、

”本物”のコンサートが開かれているから、それと並ぶぐらいの企画でないとダメだと。

それだけ聞けば何が必要とされているのか、手に取るように分かった。

本物ね、本物。でも任せて頂戴、私のこの奈良アートボックスは本物しか見えてないんだから。


「それで時期はいつにしなさるお考えで?

今から色々準備するとすれば、せいぜい春以降でしょう。

今年の山焼きは恒例の1月ではなく、4月中旬までずれ込むとか。

その日は人が混み合いますから、避けたほうがよろしいでしょう。

5月からは修学旅行シーズンですからご配慮を」


山焼きって、近くの若草山に火を放って枯れ木を一掃する行事よね。

テレビで見た記憶があるけど、夜景に映える素晴らしい火のショーだったと思う。

1月じゃなく、4月。でも、それなら。

「住職、それはよいことを伺いました!

是非、その山焼きの日の夜に開きたいと思います。4月ですね?

美しいものを重ねるのがこの企画の趣旨ですから、そんな幸運、無視できません。

満月も重なるといいですね、月夜に山焼きの炎を重ねて、仏像と音楽の共演ですよ」

私が突然にそう言い出すもんだから、

さすがの住職もちょっと意表を突かれたのか、困惑の表情を見せた。

「はぁ、そういうお考えですか。

観客の行き帰りの道中や、宿の確保のことも考えたうえで進めるのなら問題にはならないでしょう。

さすがに万人は無理ですが、数百人から千人程度で、

割合早めの時間に終わらすのならOKを出しますから検討されてください」





そして住職は最後にこう付け加えた。

「もう一度言います。

クオリティー次第でははっきりと拒否しますし、あるいは喜んでご協力します。

でも、長谷川さん。あなたのアイディアはなんと素晴らしいのでしょう。

この東大寺でそんな仏像たちと音楽家たちの共演が実現するのなら、

アイディアは本物ですよ。

その夢は是非叶えてください。私からもお願いします」

ありがとう、住職。そうよ、この企画は貧しいアイディアじゃないの。

みんなの期待を背負って、実現させるのは私の役割。絶対に譲れないんだから。



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