小説「思い出の女」

思い出の女




朝、川辺沿いに車を走らせていると蘇った。

目線を上げたら、自転車で橋を渡る一人の少女のシルエット。

朝日を後ろに浴びて、爽やかなその影は小高い橋のたもとから流れるように視界を外れて行った。

何がわたしの心を響かせたかというと、その風に揺れる長い髪。

シルエットの美しさにわたしは瞬間的に美夜子のことを重ねていたのだった。


――美夜子。わたしのかけがえのない思い出の女。

川辺でおしゃべりをした後のさよならで、赤い橋を通って帰ってゆく美夜子のことを

わたしはいつまでも見送っていた。

黄昏の薄明かりに映える美夜子のシルエット、大きく手を振る自転車、

そして風にたなびく長い黒髪が、わたしの少年時代を体現していた。





それは、ほんのわずかなフラッシュバック。

橋向こうの高校に登校する途中なのだろう。

普通の出来事ではないか。

次の瞬間、車で出勤している自分の姿に改めて驚きを覚えた。

わたしは自分の生まれ育った町を出て、働く工場のある町に住み、今は車で出勤している最中だ。

いいや、この町をわたしはよく知らないし、肉親も古い友人たちもいない。

気付かないふりをしていたが、時間は言い訳もできないぐらいに過ぎ去り、

昔の跡形はもう夢のように、幻のように、わたしの周りに来てくれようとしない。

最近、不思議に思うことがある。

先達の人たちは「三十を過ぎるとがくっと体力が落ちる」とよく言う。

その年齢に達する頃からわたしも言われ続けてきたのだが、

自分としては一向にその意識がない。


年を重ねたことを認めたくない心だろうか。

いいや、そんな不自然なことはしたくない。

最近の自分は、自然の道理を甘んじて受け入れようとする心に満ちてきた。

なんというか、ありのままの流れを肯定するのが美しいと思っているのだ。

あぁ、他人はわたしが日頃思っているようなことをどう考えて生きているのだろう。

あのシルエットの少女のこともそうだが、自分の心がどこに行こうとしているのか、

それが近頃の一番の関心事なのだが、

自分だけが浮いた道に進もうとしているのを薄々感じている。

いいや、それすら甘んじて受け入れなくてはいけないのだが。


皮肉なことがある。

その高校生の頃、古典の授業で兼好法師の「徒然草」を読まされた。

何を勉強したのかは覚えていない。

難しいことなど考えずにただ読んで、

「国語に出てくる昔の話って、なんか小難しいことばっかりだね」と

美夜子とテスト前に話していたことを覚えているぐらいだ。

それが大人になって「徒然草」に再会すると、

読むにつれ心を優しく撫でられるような気分になった。

自覚する範囲で、子供から大人への一番大きな自己変化だと思う。

何もかもが変わってゆく環境の中で、

自分の心だけは変わらないと過信していた自分が、知らぬうちに変わっていっているのだと、

ようやく自らを正確に理解した出来事だったのだから。


思い出の女、だと言う。

美夜子との別れの辛さ、傷の痛み、

そして振り返る思い出の眩しさに、わたしは長年目を背けていた。

身の回りにいる次の女性に意識を向け、今を楽しむ振りをして、

それでだらだらと毎日を過ごしていたような気がしてならない。

自己認識なんていらないと思っていた。

昔の思い出なんて今更どうにもならないと、思い出す時のあの痛さ、悔しさ、虚しさは

自分の敵だったと決め付けていた。


「未完の完」という言葉がある。

これも「徒然草」の中に出てくる考え方だ。わたしは覚えている。

放課後、部活の後の居残った教室で、美夜子と勉強している時に

これを「ミカンの缶」と読み違えて二人で笑っていたことを。

この言葉こそ、深い意味を秘めた眩しい考え方。

物事が完璧に出来上がってしまっているのは、逆に醜いことだ。

その先がない。次の目標なくしてどこに向かえばいいのか、

何を目指して生きてゆけばいいのか、

早くも終わりにたどり着いてしまった人生なんてつまらないものだ。そういう考え方だ。


不完全な部分を残したままで仕事を終えたほうが、そこに永遠の未完が吹き込まれたということになり、

物事の命がそこで完結せずにすむ。

人なんていつか飽きてしまうもの。

完璧に美しいものを見て感動するのはほんの一瞬のうち。

完璧な美人なんて一日で見飽きてしまう。

それよりも少し崩れたほうが、かえって永遠に飽きのこない、味わいも深いものなのだ。


兼好法師は言っている。

上質の薄い絹でできた冊子の表紙は、その痛み易さを嘆くものではない、と。

逆に時間とともにほつれてゆく表紙にこそ、奥行きや深い味わいがでるものだと。

これが決してほころびのでない硬い表紙でかためた本であれば、

一見の永遠は保てるものの、実はその命はそこで終わっている。

不揃いのものこそ最上である、と。





この考え方に救われたのはわたしだけだろうか。

いいや、きっと多くの人たちが兼好法師のこの言葉に多くを得るに違いないと信じたい。

「終わらないものにこそ、永遠の命がある」「不揃いこそ最上」

――ほら、わたしと美夜子の恋だって、あのまま順調にいつまでも時間を重ねていたら、

今頃はくだらないものになっていたのかもしれないね。

永遠に続く恋なんて現実としてありえないとすれば、

僕たちのようにいつまでも思い出を愛することができる人のほうが幸せなのかもしれないよ。


生身の恋人には人間臭がある。

生きていればどうしてもそれが目につくようになってしまうから。

いつか恋の火はそれに打ち消され、愚鈍の平地に恋の灯りが永遠に残るとは思えないから。

だから僕たちは未完の完の恋で。

悔しさを込めて、羨ましさを込めて、美夜子とは未完の完の恋で。

このこととは別に生身の現実を見据えて生きながら、心の中に未完の完の恋を抱えている。

これが今の僕にできる最良の生き方なんじゃないかな。


いつかまた逢えるかもしれない。

なにせ、未完の完の恋なのだから。

たまに見かける背の高い女性、おしりがやや大きくもスタイルの通っている女性の後姿に、

思い出の女を探すのは、そこにわたしがいつまでも執着している証拠だ。

堤防を降りて、車は工場のある町中に入ってゆく。

わたしは現実に目を向けないといけない。

最後の一言だけ心につぶやいて、今日を始めてゆくよ。

――思い出の人。

あなたも同じように、あの思い出を愛して生きてくれていればいいな。



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