小説「理想郷」1話

理想郷




私の部屋には陽がささない。

窓はいつも太陽に背中を向けている。

地上とも地下とも言える空間に部屋は存在し、窓からは地面の上と下の境界線が見えている。

当然昼間でも灯りが必要だ。


そんな陰気ともとれるこの部屋に私はもう8年も住みついている。

この部屋と性格との相性が合わない人では到底3秒と精神がもたないであろう。

それ程にまでこの部屋は個人的な雰囲気を帯びている。

100人中98人までが生理的に断固として受けつけないに違いないし、

奇跡的に私の他にこの部屋の空気を受け入れた奇人がいたとしても

ここに安定を求め住みつくことが、毎晩疲れの癒しを求め帰ってくることが

穏やかな人生の喜びになろうはずがない。

それ程までに「明るさ」や「涼しさ」といった普通の人間うけするものを

この部屋は備えていない。──あるのは重苦しい闇の沈黙。

ひたすら精神状態に重苦しさを重ねてゆく溶け込んだ黒の存在感。





だが、私にとってはいくら自分の好みをそれこそ完璧の域まで煎詰めたとしても

これ程にまでに「理想の自分らしい」部屋はできあがらなかったに違いない。

一生付き合ってゆけるだけの一目惚れ、というものにめぐり逢った経験がおありであろうか。

対象は異性でも友人、好敵手でも物でも何らかの創作でも構わない。

とにかくこの世に自分自身以上に尊い存在がいるという事を知らしめてくれる対象。

そして変容の過去を経て確立した現在の自分自身の好みを網羅し、

更には今の自分の奥底に潜みその「時代」を待ち構える未来の好み・理想を予知するような対象。

形は違えど誰もが最低一度は経験するはずだ。

私にとってこの部屋こそがまさに「それ」に当たる存在だった。


出逢った当時の私の好みに見事な程あったのはもちろん、

なにより私はこの部屋に入った瞬間確かに「自分の未来理想図」を見た気がした。

あの時おぼろげな意識ながらも私は私が進むべき未来の姿を

その部屋の雰囲気から読みとっていたのだ。


あれから8年、私はこの部屋と共に人生を過ごしてきた。

あの時のイメージは決して私を裏切らなかった。

一生付き合ってゆく一目惚れ、これこそが人の生きる最大の理由に違いない

――私はそう断言する。

誰にも形はそれぞれ違えどそんな「命」がある、あるはずだ。


私はもうこの部屋を愛している。

付き合い始めてからの合性も上々、そして私が一気に入ってるのは、

何より私の職業に必要なだけの幾つかの要素を

この部屋がふんだんに持ち合わせている、というところだ。


この部屋は私のものだ。うるさい程私の好みどうりの飾りに整えてある。

そして私の日常に必要なだけのささやかな(私にとっては贅沢な)設備を整えてある。


部屋自体はあまり広くはない。

――というのもそれほど広い空間を私は私の生活に必要とはしていないからだ。


寝室と書斎と応接室を兼ねた部屋に物置きと台所を兼ねた小さな副室が

脇でつながっており、その奥に洗面所とシャワーの部屋がつづいている。


それだけで私には充分すぎるほどだ。

なにしろこれぐらいの広さでなくては隅々まで私の目と手が届かない。

私があまり広くない部屋を好む理由はまさにそこにあり、

それを満たすことができているこの部屋は今や私のかけがえのない宝物、芸術だ。


メインの部屋には落ち着いて書きものをするための

質素な木製の机が窓と向き合っている。

それぞれの引き出しにはよく整理のいき届いた資料や紙・鉛筆などの用具がそろえてあり、

机の上の隅には幾つかの辞典や読みかけの推理小説などが積み重なっている。

机の表面には凹凸もなく、下じきの役目も引き受けてくれている。


椅子に座れば目の前に私の大好きな言葉が書かれた紙が貼ってある。

それは座右の銘のようなものであり、加えてその横に並んで私の最近の目標が

あやふやにしないためにきちんと文字で公言され私を待ち構えている。


白いカーテンをかけてあるので窓の外を普段見ることはなく──

といっても見れば地面からの景色のアングルであり、

あまり涼しさをおぼえさせてはくれないのだが。


副室とは逆の壁にぴったりベッドが接してある。

これは来客用のクイーン・サイズのベッドだ。

真ん中に机をはさんで私用のキング・サイズベッドが大きく幅を取っている。

二つの大きなベッドにその大半を支配されてしまっている我が愛しき部屋。

ベッドに寝ればどちらからも上手くテレビの画面が見られる位置にはかっておいた。

最も、私一人でテレビ番組や映画を見ようとしてもあまり長続きしたためしがない。


金をかけたのはステレオに関してだ。

人生はロックに生きなくては面白くない、と言い切る程私はロック・ミュージックが

大好きなのでそのために幾らかの便利な趣向をこらしてもらった。

外部の人たちに強制的に聴かせたくはないので完全な防音対策。

どんなに素敵な音楽も強制的に聴かされたのでは

ただの雑音、それでは創り手の方々に失礼。

──妙な理屈だろうか、よくそう言われる。

より良い音を求めて部屋の音反射を利用した設備など色々部屋中に手をこらしてもらった。

音をあまり上げないことに私はこだわりを持っている。

適切な音量で聴くからこそロック、騒音の域まで上げればそれはもう

違う音楽になってしまう──これもまた妙な理屈であろうか。

手入れのいき届いたCDが何百枚もガラスの棚のなかに要領よく並べられている。

子供のときからおこずかいをもらっては少しづつ揃えていった大切な宝物だ。


音楽は聴いていてもそれだけではない。

聴覚は占領されていてももうひとつ何かができる。

これがテレビ画面との大きな違いだ。

時間貧乏性&実はさみしがり屋の私にふさわしい趣味だ。

思えばごく特別な時を除いて目覚しから子守り歌まで

私がこの部屋にいる限り、音楽が止まることはない。





この部屋で一番目立つのは本棚だ。私の金は今もCDと本につぎこまれる。

数えれば千に届くだろうか、主に内外の推理小説が大半、

中国・日本の戦国時代もの、心理学、言葉についての本、

ミュージシャンたちについての本、漫画、世界情勢、旅行体験記、

昆虫図鑑、月についての本、猟奇殺人・異常犯罪を取り上げた文献、

特別気に入った海外の推理小説の原文(私は英語しか解さないが)、

その他各種雑誌やらラブストーリーやらがぎっしり詰まっている。

私は本を読むことが大好きであるがそれ以上に本棚に沢山集め並べて

それを見て楽しむことが大好きらしい。


壁には幾つかの大きく引きのばした写真がこじんまりとした額に入れられて飾られている。

私の忘れられぬ過去の栄光の時はいつも側にあるのだ。


ほんの3枚だけだが風景画も飾ってある。どれも偶然出逢い、

一目で何かを感じ取ってしまい買わざるをえなくなった作品だ。


ドアと天井に大好きな、敬愛するアーティストたちのポスターが貼ってある。

何故だろう──だがこの場所以外の所に貼る気はしなかった。


他に説明を要するものといえば、木製の天井はほど低く、

床は優しい感じの水色のカーペット、壁は薄い灰色、ベッド2つも優しい薄水色に整えてあり、

家具だけを見れば実に涼しげな色使いで揃えてはあるのだ。



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