小説「再生の森に生きて」3話

知床 シマフクロウ




仕事を始めてみると何が大変って、知らない言葉ばかりだってこと。

種目名なんて、鳥の名前なんて全然分からないから、新しい単語を覚えるのに苦労したかな。

「オジロワシ」なら分かるけど、「コウノモリ目タカ科」なんて言われる

とまるで外国語みたいに聞こえて、最初はなじめなかった。

それからレンジャーたちの話している世界があまりにわたしとかけ離れていて戸惑った。

特にケンさんのしゃべる世界は思い切り別次元で、

でもその言葉のまま遠慮なくわたしに話しかけてきてくれるのが嬉しいというか、楽しいと思った。





動物チームはケンさんと西尾さんと宇佐美さんの3人の男性レンジャーと、アシスタントのわたし。

いつも大体4人で活動していて、わたしはアシスタントだから

みんなに言われるがまま、雑用みたいなことばかりしていた。


大事な仕事のひとつに、シマフクロウの人工巣箱の取り付けがあった。

世界最大のフクロウであるシマフクロウは日本でも北海道だけ、

いや、北海道全土でももうこの知床近郊でしか見られないって聞かされた。

わたし、そんなフクロウがいるなんて全然知らなかった。

もう百数十羽しか生存していないっていう貴重なフクロウ。

ケンさんはそのシマフクロウこそが知床の自然の豊かさを象徴する存在だって言った。


川沿いの太くて高い木を選んで上の方に人工巣箱を取り付ける。

もちろんシマフクロウも巣となる樹洞を自分で探すけど、

ヒナが絶対に落ちないような丈夫な巣箱を人工的に取り付けてあげて、

生態を観察するのも大事な仕事らしい。

「いいかい?シマフクロウが主食としているのは川魚で、生活の場としているのは森だ。

川と森が豊かに両立している場所にしかシマフクロウは住めない」

西尾さんが木に登って巣箱を取り付けている間、ケンさんが話してくれた。

「知床のようにこれだけカラフトマスが遡上できる川があって、

豊かな森林が残っている場所は他にはないってことですか?」

「残念ながらそうだよ。北海道でも限られている。知床しかないんだ、もう知床しか。

シマフクロウは冬眠をするわけじゃないから、オショロコマのような川魚が年中いて、

厳冬でも凍らない川近くの森にしか彼らは生息できない。

秋になればシロザケもカラフトマスの特需もある。

厳冬期はネズミと小型の鳥を獲る。ここには彼らの食糧が豊富にある。

悲しいけど、そんな場所なんてもうこの知床半島ぐらいしかなくなっているのが事実なんだ」


さみしそうにケンさんはそう言う。

梯子とロープを使って20mぐらい上まで登った西尾さんが必死で巣箱を取り付けていた。

「ニシ!木箱ばっかりに気を取られてないで足元もしっかり確保しろよ!」

そう言ってケンさんが激を飛ばす。

「大丈夫ですよ、ケンさん!

まぁ今のうちにのぞみちゃんに色々レクチャーしておいてあげてくださいよ!」

調子のいい声が返ってきた。あんなに高いところなのにスゴイな。

「ちょっと難しい話だよ。生態系を傘だと考えよう。

シマフクロウやヒグマがその頂点に立っているのは分かるね。

それは身体の大きさ、固体数の少なさ、存在感の度合いではっきりしている。

こんな巣箱の取り付けなんてしているとシマフクロウにばかり

ひいきしているように見えるかもしれないけど、それも訳があってのことなんだ。

難く言えばアンブレラスピーシーズ、傘種、って言葉になるんだけど、

生態系の頂点を保護することは、その周辺環境で棲息する他の動植物全体をも

同時に保護することにつながるっていう考え方なんだ」





「のぞみさん、シマフクロウを保護するためには鮭の遡上できる環境にある川と、

周辺の深い森が必要なんですよ。

きれいな川と豊かな森をシマフクロウのために守ってあげる、

それは同時にその環境で生きる様々な動植物を保護することにつながるってことなんです」

横でじっと梯子を支えていた宇佐美さんもケンさんの言葉に同調して教えてくれた。

「そうだったんだ〜。観光客に人気があるからとか、

シマフクロウだけ絶滅させちゃいけないからとかの理由でえこひいきしてるわけじゃないんですね〜」

「そんなこと考えているレンジャーはいないね。

大事なのは全体の保護。これはね、ヒグマ保護も同じ考え方だ。

特定の動植物だけじゃない。我々はあくまで環境全体を見ていかないといけないんだ」

確かに難しい考え方だったけどわたしには伝わった。

人気者だけを過度に保護しているわけじゃないんだ。

目的は自然全体の保護だって、わたしには確かに伝わった。



他によくやったのが、アライグマの駆除。

元々日本にいる動物じゃないのに、ペットとして持ち込まれたアライグマが

捨てられて野生化してしまったって聞いた。

テレビで見るアライグマはカワイイから好きだったけど、

実物は困ったことに知性が高く雑食性で、繁殖力が強いし、寄生虫もいる。

畑が食い散らかれたり、オショロコマも被害にあう。

木登りができるから野鳥のひなや卵を狙ったり、

シマフクロウの巣まであらすっていうお困り者だった。

エゾオオカミでもいれば天敵関係でうまく頭数制限ができるのかもしれないけど、

大型の肉食動物がいなくなってしまった今の知床ではアライグマの天敵となる相手がいないらしい。

申し訳ないがアライグマは繁殖させちゃいけない、

心苦しいが理想的なのは全頭駆除することだ、とレンジャーのみんなが口を揃えて言った。





そのアライグマが知床半島で目撃されるようになっていた。

最初は斜里の方だけだったのに、次第に知床半島に近付いて来てしまったという。

何頭かは分からないが、この知床の森にアライグマが生息しているのはもう間違いないらしい。

わたしはアライグマが木に登れないようにする鉄板の仕掛けを作らされて、

シマフクロウの巣のある木によく設置に行った。

「大事なシマフクロウの巣をあらすアライグマなんてキライ!

東京に帰ったらラスカルのぬいぐるみももう捨てちゃうから!」

って作業中のわたしがこぼすと、西尾さんはお腹を抱えて笑ってくれた。

でもね、ケンさんが後でそっと言った言葉がわたしの心に突き刺さったんだ。


「あのね、アライグマこそ被害者なんだよ。

人間の勝手で日本に連れてこられて、いらなくなったら勝手に捨てられて、

やむなくそこで生き延びたら今度は勝手に害獣扱いだ。

本来住むべき北米大陸にいたら誰にも文句言われることなんてないのに、

人間の勝手が重なってここでは悪者にされている。

アライグマだけじゃない、アメリカミンクだって同じことが重なってここに住み着いてしまった。

あれも今じゃすっかり害獣扱いだ。

悪いのは誰かな?考えてみれば答えはひとつしかないと思うよ」

そう言うケンさんの背中はとても悲しそうに見えた。

わたしも人間の勝手さに気が付いて、さっき言った言葉はちゃんと撤回して、

ラスカルのぬいぐるみはやっぱり捨てないでおこうと思ったの。