小説「再生の森に生きて」4話

レンジャーの仕事




エゾシカの頭数制限や屍骸の除去も大事な仕事だった。

みんなが言うのは、まずエゾシカの数が多過ぎるということ。

昔はエゾオオカミがいたからエゾシカの数が自然と制限され

正常なバランスが取れていたけど、もう数十年前に人間がその天敵が絶滅させたことで

爆発的にエゾシカの数が増えてしまって、今では知床の森を食べつくす勢いだという。

当然のことだが数が多くなれば中には町に出てくるエゾシカも出てきて、

畑の農作物が食い荒らされる。被害は深刻な状況らしい。


それから道路脇に残るエゾシカの死骸は放置できない。

匂いを嗅ぎ付けたヒグマが出てきてしまうから。

長い冬に充分な餌を確保できなかったエゾシカが餓死や衰弱死するのが

春の正常なサイクルだと聞いたけど、

最近の困り事は人間との交通事故で死ぬエゾシカが多くなってきたこと。

死骸の回収は馬鹿にならない工数がかかるし、回収するのは動物チームしかいない。

わたしだって血とか死骸とかはキライ。

全然触れないってタイプじゃなかったから良かったけど、あんまり見たくないよ。

いくら仕事でもできるならやりたくない。

西尾さんが「これは人間の尻拭いの仕事」って言っていたけど、本当にその通りだと思った。

人間の勝手なエゾオオカミ駆除、そして人間たちにとっては便利な車社会のツケが、

このエゾシカたちを悲劇に追いやっているのでしょう。





それからダムの問題はわたしひとりの力ではどうにもできないけど、

問題が問題だってことはすぐに分かった。

ダムが多過ぎる。ダムが土砂災害の保全のために大事なのは知っているよ。

レンジャーたちに言わせれば、確かにダムは水量をコントロールできるが、

川底の砂利や小石の流れまで止まってしまう問題があるらしい。

ダムの下流では水の流れは上手くゆく。

しかし、川底の砂利ごと移動するわけではなく上辺の水だけが流れ、川底がついてゆかない。

泥ばかりが川底にたまった川は、結果として狭く深くなってしまう。

自然を育むスペースである淵や瀬がなくなってしまった峡谷のような川は

魚が住みにくい貧しい川と成り下がってしまう。

ダムに魚道がなければ、あるいは魚道があってもちゃんと魚の往来ができるものでなければ、

ますます自然な流れの川とかけ離れていってしまう。


洪水や土砂災害から人間を守ってくれるのがダムだということは誰もが知っているし、

それは否定しようがないメリットだけど、

その明確さと同じぐらいダムによる生態系へのデメリット、

はっきりしたダメージも以前から明らかになっているんだよ、とケンさんも言っていた。

知床に来て驚いたのはダムの多さ。

都会のそんな人工物がこの知床で必要だとは全然思っていなかったから、

色々歩いている途中で目に入ってくるダムの多さには正直、嫌気が差していた。

わたしはダムのない幌別川が好き。だんだんそういうことが分かるようになってきた。

思えばカラフトマスが遡上する数も幌別川が抜群だったし、

ありのまま、自然のままに流れているのに他所にはないぐらいに美しい川。

何もしなくてこんな川があるんだから、他もダムなんていらなくてもいいと思うよ。

だって、ダムがない幌別川のほうがずっときれいだから。

わたしが感じるぐらいなんだから、きっと誰もがそう感じているんじゃないかな。

変だよ、やっぱり変だよ。

わたしはこの幌別川が大好きで、自分でももう恋しているんだと思った。





仕事はそんな感じでまぁ大変だったけど、

東京では感じたことがないくらい周囲の人が善かった。

こっちに移ってきて、それは一人暮らしで寂しいこともあるけど、

同じ寮には植物チームの女性レンジャーで札幌出身の真由美さんがいたし、

研究者の瞳さんと女性3人でおしゃべりもできた。

ショッピングするのは大変だったよ。

大変っていうか、ウトロとか斜里にいいお店はあんまりなかった。

札幌へは簡単にいける距離じゃないし、大きな町っていえば網走とかかな。

お休みの日に一日がけで行くぐらい。

いつも休日には事務所のみんなで誘い合ってバーベキューをしたり、

家族連れでドライブして温泉や観光に行ったりもした。

なんていうか、家族みたいな付き合いをする仕事仲間なんて

それも東京では有り得なかったから、最初は抵抗もあったけど、

わたしは面白いと思ってそれなりに楽しんでいた。


自然保護の仕事は自分たちの力だけではどうにもならないことが多くて、

次第にわたしはこの仕事の難しさを感じるようになっていった。

中でも一番困っていたのはクマのことだった。

多くの観光客が訪れる季節を終え、

冬に入る前に今年の問題点を振り返るミーティングがあった。

その中でみんなが一番問題視したのがソーセージと名づけられた一頭のヒグマの行動だった。

「去年もこの件はだいぶ議論したが、あのソーセージが今年もまた岩尾別川に姿を見せた。

それも去年以上に観光客の餌付けに慣れてしまって、随分側まで寄ってくるようになった。

今年はみんなの協力でなんとか事故が起きないように対応できたが、

来年もまたきちんと対策を考えないといけない」

ケンさんがそう口火を切ると事務所のみんなも同調した。

「あれは危ないな。餌をやると近くまでやってくる愛らしいクマ、

しかも立って手を叩くような仕草をして餌をねだる、

なんて口コミで広まってきているが、クマはクマだ。

野性を刺激してしまえば危険極まりない存在になる。

実は雑誌にもソーセージのことが紹介されているんだ。

魚肉ソーセージを投げると近寄ってきて可愛らしい仕草で食べる人気者のクマだ、ってね。

写真も掲載されている」


事の発端は去年、そのソーセージと名づけられた一頭のメスのヒグマに

魚肉ソーセージを与えた観光客がいて、味を占めたそのクマが餌を求めて

観光客に異常接近する事態が続いたことにある。

観光客は喜んでいたが、事務所のみんなはそれを凄く危険視していて、

いつか何かの弾みでそのソーセージが人に怪我をさせる事故が起こるんじゃないかって、

去年も観光客たちに餌を上げないように呼びかける活動をしたと言う。

「今年はソーセージへの威嚇を早いうちから何度も行った。

最初は花火の音で威嚇したのと、人出の多い時間帯に

川辺に現れた時にはほぼ毎回爆竹を投げた。

ただ、効果があったのは最初だけ。

あのクマはすっかり人の味を覚えてしまったようで、威嚇してもまたすぐに出てくる。

なんとか人間から遠ざかってくれればと思って

何回かゴム弾を的中させてみたけど、どうも効果がない。

あとは人間のモラルだな。

これから来年の夏を迎える前に観光客の集まるところに張り紙をして注意を促すとか、

ガイドブックにも追記してもらうとかしないとならないな。

この件は情報が入ったら逐一みんなで展開してゆこう」





いつにも増して真剣な表情のケンさん。

「ケン、今年のソーセージはどこまで出てきた?幌別川のラインを越えたとは覚えているが」

所長が聞くとケンさんは机に紙を広げた。

「ソーセージの出没状態をマップにしたものです。

去年は岩尾別川沿いに留まっていたのが今年は6月の時点で幌別川、

そして秋味のシーズンになるとほぼ毎日幌別川付近で活動するようになって、

さらに一度だけですが10月に東の農園を荒らしています。

このままでは明らかに危ない。

ウトロの町に出てこようものなら、それはもうわたしたちだけの問題ではなくなる」

ケンさんの言葉が続くにつれ、

問題の深刻度合いが伝わったのかミーティングの空気が重くなってゆく。

「ケン、この話はもう時間の問題ってことなのか?

ソーセージを森に返す有効な方法はもうないと思っているのか?」

植物チームのリーダーが聞く。


「来年は奥地放獣の方法をとって人間の怖さ、恐ろしさを身体に教え込ませる。

それしか方法は残されていないでしょう。もう気を付ける、というレベルの話ではないんです」

みんなは真剣な面持ちでケンの顔を見回していた。

笑い話に脱線しないミーティングなんて珍しいから、わたしにもこの話の深刻さが伝わってきていた。

「来年は全員協力をお願いする場面も出てくるでしょう。その際はお願いします」

ケンさんはそう言ってこの話を終わりにした。