小説「再生の森に生きて」7話

知床 ヒグマ




2日後、ケンから無線が入ってきてレンジャー全員が集合をかけられた。

行ってみるとあのソーセージらしいヒグマがドラム缶の檻の中でぐったりとしているのが見えた。

「死んでいるの?」

先に着いていた植物チームの真由美ちゃんに聞くと、彼女は首を振って言った。

「いや、いきなり殺しはしないでしょ。麻酔銃で眠らせただけだと思うよ。

狭い檻の中に閉じ込めっ放しじゃ、興奮しちゃうからね」

その檻越しに腰を下ろして、ケンはじっとソーセージを見据えていた。

「唐辛子スプレーとゴーグル持ってきました。麻酔銃の予備と、実弾も一応」

西尾さんが傍に道具を置く。ケンは集まってきたみんなの顔を見渡してこう言った。





「みんなよく見ておけ。

今は麻酔で大人しく眠っているが、野性に満ちたこの身体はいつでも凶器になりかねない。

動物園のペットじゃない、リアルなヒグマだ。

ちゃんと目に刻み込んだらそれぞれ事務所に戻ってくれ。

明日、ソーセージを奥の森に連れてゆく」

「誰か一人は残りましょうか?」

宇佐美さんがフォローする。

「いいや、俺だけで充分だ。あと1〜2時間で麻酔が切れる。

そうしたら俺は唐辛子スプレーをまきかけて人間の怖さをこいつに教え込んでおく。

あとは明日の朝にもう一度吹きかければ充分だろう。ここは任せてくれ」

いつもと違うケンの強い口調に誰も何も言えなかった。

交代でドラム缶の中に横たわるソーセージの身体に触れると、

わたしたちはそのまま事務所に引き上げた。


明日の準備にかかっている途中で、西尾さんはよほど心配だったのか

もう一度ケンの様子を見に行くと言った。

「宇佐美とのぞみはいいよ。そろそろ麻酔が切れているはずだ。

ケンさん一人じゃさすがに心配だからな」

そう言って西尾さんがケンの元に戻っていった。

今日の活動報告と明日の準備を済ませたけど、わたしたちも思いは同じ。

やはりケンのことが心配だったので宇佐美さんと一緒に

あの檻の場所に車を向かわせると、丁度西尾さんの車が帰ってくるのに会った。


「どうしたの?」

聞くと西尾さんはさみしそうな表情をして言う。

「ケンさんの人が違った。

情け容赦なくカプサイシンのスプレーをヤツに振りかけて、大声で怒鳴っている。

いつもの様子と全然違って俺、近付けなかったよ。

遠くから見ただけだけど、あんな鬼のような表情をしたケンさんは始めてだ。

あの姿をきっと僕たちに見せたくなかったんだな。だから戻って来たよ」

それを聞いて宇佐美さんもすっかり黙ってしまった。

それだってきっと裏腹というか、優しさの裏側なの。

わたしも何も言えないよ、ソーセージのため、

互いの共生のためを思って取ったケンの精一杯の行動だと思うから。


翌朝、所長や植物チームのレンジャーたちまで集まって檻の場所まで行くと、

ソーセージはドラム缶の中で暴れていた。

まずはケンがドラム缶を木で叩いてびっくりさせ、

例の唐辛子入りスプレーを吹きかけるとソーセージは涙や鼻水を流し、

口からは泡を吹きながらもがいている様子だった。

散々に苦しめた後で西尾さんが麻酔銃でソーセージを眠らせた。

しばらく様子を見て麻酔が効いたことを確認すると、

男の人たちが総出で檻をトラックの車台に積み込む。

それから通常は車が入らないカムイワッカの滝のもっと奥までソーセージの檻が運ばれた。





麻酔が覚めるまで時間がないので、着くとみんなで急いで檻を降ろす。

しばらくすると少しずつソーセージの身体に反応が見られるようになった。

彼女の意識が戻るとすぐにケンはまたスプレーをかけ、

爆竹を鳴らし、もがくソーセージを徹底的にいじめ抜いた。

朝よりももっと長く、執拗な攻撃にソーセージは逃げ場がない。

悲鳴みたいな声を聞くとわたし、ちょっとたまらなくなるよ。

「ねぇ、ちょっとやり過ぎじゃない?

罪もないソーセージにあんなにしなくてもいいんじゃない?」

ついそう口にしちゃったら、西尾さんが強く首を振る。

「逆だよ、最悪の事態を防ぐためにああしているんだ。

これでアイツが人前に出てこなくなることが互いにとって最良だろう?

一見残酷に見えるけどケンさんもきっと心で涙を流しながら

ソーセージを教育しているんだよ。

それを分かってあげないとケンさんがかわいそうだ。

表面だけの優しさなんてクソくらえだ、本当の優しさを見てあげないとね」

わたし、その言葉に納得できた。ケンのしていることがようやく理解できたと思った。

そうなのね、ソーセージと共存してゆくための手段なんだ、これは。

ソーセージ、あなたはこのお仕置きの意味なんて分からなくてもいい。

人の怖さ、人間界に近付くことがいけないっていうこと、

それにあなたの目の前で鬼のような顔をしているケンのこと、今はただ心から怖いと思って欲しい。

鬼は鬼でも本当は無害どころか、

互いの幸せを祈っているだけの善良な鬼だとは知らなくていいよ。

人への恐怖感だけ感じ取ってくれればそれでいいから。ねぇ、それでいいから。


ソーセージは森の奥地に放たれた。

これでもう岩尾別川沿いに姿を見せなければいい。誰もがそう願っていたに違いない。

それでもわずかに10日も経ったある日、植物チームがイヤな情報をつかんできた。

観光客からの話で「川沿いにエサをねだるようなクマがいてなぁ」とのことで、

どうやらそれはあの岩尾別川上流のことだった。

翌日は交代で岩尾別川をパトロールしてみた。

すると夕方になって宇佐美さんから無線で

「ケンさん、やはりソーセージです。間違いありません」

という悪夢の知らせが入ってきたのだった。


ケンはこの事態をなんとかしようと必死になっていた。

「まずいよ、これは本当に異常な事態だ」

彼に言わせると自然のクマにはない、

いや、新世代ベアと呼ばれる人間に慣れたクマにもない

特殊な行動をソーセージは取っているらしい。

そう、人の怖さを叩き込んだはずなのにたった10日でまた人間たちの前に姿を現してきている。

これは深刻だよ、とケンは真剣な顔で語った。

「とはいえ諦めるわけにはいかない。人間との接点をできるだけ消そう。

僕たちが見捨てるわけにはいかないんだ」





それで動物チームは日中はいつも誰かが岩尾別川沿いにいるシフトを組み、

ソーセージが姿を現すと爆竹やゴム銃で即座に威嚇する体制を敷いた。

問題が起きるのは人間との接点があるから。

だから、いっそソーセージが人間の姿を目にしないようにすることで次の対策が打てる、

と読んだのは間違いではなくても、広い河原全体を見きれるわけもない。

レンジャーの目を盗んで投げられる餌にそれを防止する強制力はなく、

ソーセージの居場所は川を挟んだ向こう側から、

川を越えたこちら側まで寄ってくるようになった。

ソーセージの行動範囲は次第に広がりを見せていった。

もはや岩尾別川の人寄せクマに留まらず、頻繁に幌別川に現れた。

そしてついには動物と人間の生活の境を越え、ウトロの町近くのゴミ箱を漁る姿が目撃された。

その一報が入った日は休日だったけど、

急遽ケンが出動してソーセージを人里から追っ払ったらしい。



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