小説「スローラブで愛して」10話

不倫愛




久しぶりに慶がわたしを誘い出した。

わたしはあまり期待せず、でも下着だけはお気に入りに揃えて彼の待つ駅に降り立つ。

――笑っている。意外。

すっかり鮮やかな秋色に姿を変えた銀杏の木。

この前は暑過ぎて見向きもしなかったのに今日はすぐに目に入ってきた。

その眩しい黄色を背にあの人が優しく笑いかけてわたしを迎えている。

その表情の裏側に無理した笑みを塗り込めているようにも見えない。

本当に笑っている?どうして?

「やぁ。久しぶりだね。逢いたかった」

えっ?いつもと違うよ。

逢いたいなんて、メールで書かれる以外、面と向かって言う人じゃないのに。

慶は車を真っ直ぐホテルに乗りつける。

どうしたの?この前はここを素通りしたあなたじゃない。

奥さんが妊娠しているからガマンできないの?おかしいよ、何か。

「行こう」

まさかいきなりとは思わなかったからわたしも驚いた。

でも彼にそう言われたらもう恥ずかしさも何もないから、

わたしは自分のわずかな濡れも彼のせいにすればいいと車を降りる。

あの人は部屋の扉を閉めると言葉もなく求めてきた。

随分激しいじゃない。あぁ、わたしのことやっぱり愛してくれるのね。

思いがけず素直な慶の指先に反応して、わたしも正直に乱れに乱れた。



一度終わるとわたしは軽くまどろんでいたみたい。

髪に感じるかすかな振動で瞼を開けると、優しい手つきで慶がわたしの髪を撫でてくれていた。

――愛を感じる。わたし、幸せ。

その心地良さにまだ寝ているフリをしようと目を閉じ、軽く寝息を立てる。

気付いてか、気付いてないのか、慶は構わずわたしの髪を撫で続けてくれていた。

――慶。お帰り。やっぱり帰ってきてくれたのね。

彼の手つきがスローモーションのように、わたしの心の芯をゆっくりと捉えてゆく。

――欲しい。二回目が欲しい。この男にもっと抱かれたい。重なりたい。注がれたい。

強い衝動がわたしを襲う。目を開けずに寝返りをうち、彼の胸板に頬を乗せる。

手を伸ばすと熱い股間に指先が触れた。来て、慶。またわたしを圧倒して。

指先で遊んでも、彼はわたしに触れてこない。

イヤ、焦らすのはイヤ。来てよ、包んでよ、入って来てよ。

髪じゃないでしょ、ちゃんと触って。

随分熱いくせに何を我慢してるの?

いい加減待てなくなって薄く目を開くと、慶の頬に涙が光っていた。

「慶?慶?どうしたの?愛し合おう……」

そろそろとわたしがお願いしても、熱さとは反対に彼の手は伸びてこない。

欲しいの、二回も三回もあなたが。


「京華。もう終わりだ。もう止めにしよう――」

じれったくて彼の胸板に甘く歯を立てていたらそんな言葉が空気を揺らす。

「え?」

聞き返すしかない。とても信じられない。

受け入れられない。わたし、聞いてない。

「もう駄目なんだよ、京華。当分逢えない。逢わないようにしよう」

――来た。何もこんな時に。

「どうして?さっきあんなに愛してくれたじゃない。

あれでいいのよ。あれだけで充分わたしは幸せなんだから」

すがってしまう。引き止めなきゃ、こんなわたしでも。

「京華、よく聞いて」

よく通る声。本気なの?

いいわ、よく聞くわ。あなたの胸に耳を当てて、本心かどうかしっかり聞いてあげる。


「僕がずっと悩んできたのは知っているだろう?生きていれば得るものがある。

ねぇ、でも得るばかりで、その代わりを失おうとしないのが人間だよ。

自分に都合がいいものばかりを集めようとするくせに、すでに手に入れたものは失おうとしない。

それが普通の人間だと思うけど、その先には破滅が待ち構えているのを僕は知っているんだ。

だから、何かを得ようとするならば本当はペースを落として差し引きを計らないといけない。

そうしないとバランスが取れなくなって何もかも消えてしまう。

こんなのばかりじゃないかもしれないけど、少なくとも僕はそういう人間だ」

ゆっくりと、噛み砕くように彼は話した。

「でも、わたしはそういう女じゃないよ。都合のつく時だけ逢う時間を作ってくれればいいんだよ。

あんまり難しく考えなくていいから。ね?」

「いや、それじゃ駄目なんだ。僕はそんな器用な人間じゃない。

このまま進んだら僕は両方を失ってしまうだろう。バランスが保てない」

「それって言い訳じゃなくて?

わたしに飽きたなら、そうはっきり言ってくれれば黙って身を引くよ。迷惑かけないし」

「何言ってるんだ、違うよ。君の事は変わらず愛している。

これからもずっと愛し続けるだろう。ただ、」

「ただ?」

「ただ、まもなく子供が産まれたら僕の愛情は極端に子供に傾くだろう。

君まで愛する余裕はないと思うんだ」

少しずつ慶の声が熱を帯びてきた。

ウソじゃないってことは最初から分かってるよ。あなたはウソつくような人じゃないもの。

「それでもいいよ。気晴らしでもいいし、ヒマつぶしでもいいし、

何でもいいからたまに抱いてくれたらそれでいいのよ。

言っておくけど、こんな便利な女いないからね」

「馬鹿な!それじゃ全部壊れてしまう。僕は子供が欲しい。

自分の子を産んでくれる妻も大事だ。

それと同じぐらい、生涯かけて愛した君という女性は大事。

でもこれじゃ、全部が全部手に入っちゃ、きっと駄目になる。そんな恵まれた人生ってないよ」





――恵まれた人生。恵まれた人生ね。

「慎重過ぎるよ、慶。もっと欲を出して。あなたの家庭を壊さないって最初から約束してる」

「いけない、いけない。それはね、欲しいものの全部が手に入るわけじゃなくて、

小さいもので届かないのは幾つもあるけど、

大きいものがみんな手に入ってしまったら、そんな罪なことはない。

それじゃぁ破滅への道が目に見えるようだ。恐怖さえ感じてしまう」

「――あぁ。ねぇ、お願い。わたしは何でもいいのよ。愛して、愛してよ、慶」

呆れてわたしは身体で慶にぶつかってゆく。

熱い。あんな冷静なことを言ってるくせにやたらと熱い慶の印。

「ねぇ、難しいこと言ってないでこれを入れてよ。もう何も考えないで。わたしに考えさせないで」


そうよ、馬鹿な男は身体で会話すれば簡単に分かってくれる。

さっきあんなに激しくしてくれたじゃない。

口で分からないなら口でしてあげる。慶、慶。ほら、来て。

「――ごめん。ごめんね、」

そう言うと身体を突っぱねるように慶がベッドを出る。

あぁ、慶、そうなの?あなたは理想に生きている人だから。

「ごめんね。でも愛しているよ。イヤで別れるんじゃない。

愛している。でもさよならだ。でも愛している――」


薄暗い部屋、ベッドの隅に腰掛ける彼のシルエットは背中を丸めて虚しさに打ち震えている。

自分で勝手に選ぼうとしている別れで哀しむ駄目な男。

こんなの分かりきったこと。

あなたは人の話を聞かないで、自分だけの道を無謀に突っ走っては壁に当たるし、

それにきっとわたしがここで追い込んでもやっぱり駄目になってしまう人。

どちらにしてもそのうち自分から壊れる人よ。だから……。

「分かったわ。でもこのスローラブが終わるわけではないんでしょう?

いつかまた、いつになるのか分からないけど、またいつか、二人燃え上がる日が来る。

それだけ聞かせて。そうよね、慶?」

「うん、そうだよ。スローラブだから終わることはないんだ。

これからも変わらず僕は君を愛し続けるだろう。

君への愛が僕を動かすってそれは変わらない。

ほら、あの再会の日、僕が言ってたの憶えてるかな?

どうして最後の最後にならないと本当の大切さが分からないのかって。

それが見えない日常を憎んでいる僕だから、逆に君の存在の大切さは分かっているつもり。

いや、つもりじゃなくてちゃんと理解している、痛感している。

スローラブは続いてゆくよ。

思うんだ、僕の愛情が子供に注がれるピークを過ぎたら、また君への愛として復活する。

君を忘れられるわけがない」


分かるよ。あなたならそうなるかもしれない。愛に生きる人だから。

「うん。復活してよ、必ずね」

「うん。例えば、君がこれから子を儲け、母になったとして、

やはり同じように子供への愛情に毎日が霞んでゆくだろう。

でもきっといつか、そんな毎日に区切りがついたら女であることを思い出す。

またそこで互いの状況が許されるなら、愛を重ね合えるんじゃないかな。

スローラブだから、心の中ではいつも互いを想っているのもあるけど」

熱い男。現実に生きていない冷めた男の、それでも真剣な熱情。

「スローラブならいいよ。

別れるわけじゃなくて、今だけ、ちょっとペースをもっとスローにするだけね。

スローラブだって刺激なくて平坦なままじゃ続けていけないし。

でも誓って。これは終わりじゃない。スローラブは続いてゆくって。

愛し続けてくれるって誓って、慶、お願い」


「何度でも誓うよ。京華を一生愛している。

愛しているよ、でも一旦さよならだ。愛している――。さよならだ――。

京華、君も感じているかな?

いくら一生の愛でも、こんなに愛し合う僕たちでも、一緒に生活し始めた途端に壊れてゆく。

人間だから、生活自身が醜くて、他人と暮らすのはそもそも無理があるんだよ。

だから一緒にはなれない。スローラブの関係が永遠を保つ唯一の方法さ。

愛している。心にいつも、君を愛している」

「うれしい。離れて暮らしているからのスローラブね。

慶、もっと誓って。でもね、言葉だけじゃ信用できない。

たった一度だけ、あなたのその固い心を突き破るほどの信念を見せて。

そうしたらわたしもずっと安心できる。

――もう一度抱いて。あなたの性愛の海に、あとたった一度だけ溺れさせて。

あなたが欲しいの。抱いて、抱いて下さい」


自分の道をただの一度も踏み外さないような男。

振り回されているわけじゃないけど、今までは彼のペースに合わせてずっと逢瀬を重ねてきた。

慶は来てくれるかしら?あの熱さをわたしの中にもう一度埋めてくれるかしら?

頑固なあなたがさっきもう決めてしまったふたりの終わり。

でもこのわたしの最後のお願いに応じてくれるかしら。

来てくれるようなら本物。そのままならスローラブはきっと途中で風化する。

強い意志を見せてよ。冷静な知性、冷静な情熱を持つあなた。

こんな時ぐらい、自分の殻を破るぐらいの冷静な狂気を見せてよ。



――シルエットの影が固まる。

そうしたら大きく口を開けて、でも無声のまま彼が大きく吠えた。

身体を激しく震わせて。何かを吹っ切るために?あなたが変わるの?

彼がわたしの上に飛びかかってきた。熱い、熱いよ。そんなに押し付けないで。

――いいえ、もっと突きつけて。重ねて、動いて。あぁ、熱い、熱いよ、慶。




「スローラブで愛して」 完






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