小説「スローラブで愛して」2話

元恋人 再会




わたしはごく平凡な日常の一シーンで再会したと思ってる。

土曜日のお買い物で銀座に出た時、地下鉄の駅ですれ違ったのが十年ぶりの慶だった。

それは銀座なんていつも使う駅じゃないけど、買い物にはよく来ていたし、何も特別じゃない。


「――慶?」

フォームで電車を待つわたしの前をきれいな花束が通り過ぎて行った。

それを抱えている人がやけにうな垂れていたから目を引いたのかな。

見覚えのある後姿。

細身の身体と、量の多いくせ毛。

寂しげに歩いてゆくその人を追って、わたしは小走りになった。

遠慮がちにコートの肩を叩いてみると、振り返ったのはやっぱりあの人。

それでも彼が最初から口にしたのはなんて哀しい言葉なのかしら。

「――あぁ。どうしてこんな時に、最後の日に。何もかも皮肉で、上下逆さまで」

そう言って瞳を閉じ、薄汚れた地下鉄の天井を仰ぐ。

まるでわたしのことなんて意識にない。久しぶりに昔の彼女に逢ったっていうのに嬉しくないの?

いくら口下手の、いくら大人しい男っていっても。



それから少し話を聞いてみると彼は丁度転職をしたところで、

昨日が前の会社の最終日だったみたい。

でも引き継ぎが終わらなくて、今日は土曜日なのに出勤して最後の整理をしてきたとか。

転職するぐらいだから、きっと人間関係とか色々あったのでしょう。

ついさっき前の会社とさよならしてきて、

きっと思い出とか振り返りながら歩いてきたところで昔の彼女にばったり出逢ったんだ。

そう聞けばあの失礼な態度もなんか分かる気がする。


わたしは喫茶店にでも誘いたくなった。

だって慶と付き合っていたのはもう随分と前のこと。

今はお互い結婚してるって知ってるし、もう立派な大人同士なんだから

ちょっとぐらい一緒にいても変じゃないでしょ。

家には買い物が長引いたって言えばいい。どうせ夫は怒らないでしょ。

わたしには興味ないはずだし。今日も一緒には付き合ってくれなかったぐらいなんだから。


「ねぇ、せっかくだからお茶でもしない?

なんか寒いから温ったかいの飲みたいところだったの。近況知りたいし……」

わたしだって思い切って言ったのに、彼には複雑だったみたい。

それはそうよね、大勢の人と別れてきたばかりの後で、昔の女に再会なんて。

「ごめん、すっごい嬉しいけど今は混乱してて。

次の会社が落ち着いたら埋め合わせさせて。メールアドレスだけでも教えてください……」



それでその日は終わった。

何かを期待してたわけじゃないけど、随分とあっけない再会でしょ。

で、問題はそれから。

しばらく何の音沙汰もなかったけど、ひと月が過ぎ、ふた月も経つと

彼も新しい会社で落ち着いたみたいで、ケータイにメールが届いて、

それからはなんだか急展開で誘われちゃった。


「この前は本当にごめん。偶然だったけどせっかく逢えたし、

本当は時間も取れたはずなのに断っちゃって。どうも混乱してて」

「いいのよ、なんかあの時は平静じゃなかったみたいだし。もうお仕事落ち着いたの?」

なんか優しい返事書いてる。何やっているんだろう、わたし。

「ありがとう。うん、本当にあの時は普通の状態じゃなかった。

やっといつも通りになったよ。ねぇ、どうして人間ってダメなんだろうね。

どうしていなくならないと分からないのかな?どうして最後になってようやく気が付くの?」


変な言葉。何かこんな書き方も懐かしい。昔からこの人はこうだった。

「どうかしたの?」

「だってそうだろう?前の会社で沢山の人と別れたけど、

いなくなるっていう最後の最後になってようやく分かることが多過ぎて。

今までどれだけ頼りにされていたか、必要とされていたか、愛されていたか。

どうしてそれが分からないのだろう、流れてゆく毎日の最中では」

「哀しいことね。でも良かったじゃない、最後の最後でも分かったんでしょ?

一生知らないよりはずっといいと思うよ」

「うん、そういう考え方もある。でもさ、それって会社のことだけじゃない。

君とのことだって同じ。

いなくなってから、壊してしまってから気付くことが多くて、

でももう戻らない波に乗ってしまっていて、

気が付いてももう手遅れだっていうことが続き過ぎた」





なんだか意味深な書き方。

「わたしとのことも?興味あるな〜。もっと聞きたいな〜」

「だからそんな哀しみを幾つも過ごしてきて、

それで会社を去って、そしてその直後に君に再会する。

偶然とは思えないタイミングだよ。奇跡ってこういうことを言うんじゃないかな。

皮肉なのかもしれない。君とのことだって、ずっと忘れられなかった」

忘れられなかった?それってどんな意味?

「――え?じゃ、わたしのこと憶えていてくれてたの?」

聞きたい。今更でも聞いてみたい。そんな強い衝動。

「もちろんです。それは痛いくらいに」


「――反省してる?」

書いちゃった。少し恨み気味に。

「はい。反省どころか、後悔しています。

ねぇ、こんなこと今更迷惑だろうけど、言わないと一生悔いが残るからあえて言わせてもらうよ。

――勝手でごめんね。これってすっごい勇気。聞いてください。

――あなたをずっと愛し続ければ良かった。

自分の短気で壊してしまって、若さと言ってしまったら逃げになっちゃうけど、

ずっと後悔しているよ、本当に」

素直な人。そこまで書かなくてもいいのに。

「そう!それは嬉しい。――あれ、嬉しいのかな?ちょっと複雑」



あの時はなんか慶がひとりで勝手に不満を積み上げちゃって、

それまで全然そんな気配見せなかったのに、いきなり一方的に別れるって言われた。

慶のことは本当に好きだったのに、なんかこっちもムキになっちゃって

売り文句に買い文句で不満を言い合って電話越しに別れちゃった。

わたしも若かったのかな。

その時はそれで終わったけどなんかそんな別れ方が意味なく思えてきて、

わたしから連絡を取ることがあったな。

でも向こうにカワイイ彼女ができて、その後も何度か食事に誘ったことはあったけど、毎回断られた。

彼は真面目だったから、付き合ってる彼女に申し訳ないと思ってたみたい。

わたし、そんなつもりじゃなかったのにな。


「ごめんね、突然。でもすっきりした。もう二度と逢わない方が幸せなのかなって思ったりもしてた。

だってそうしたら思い出は美しいままだから。

ねぇ、お願い。今度ちゃんと埋め合わせさせてください。いいでしょ?」

「う〜ん、どうしよっかな?」

もちろんすぐにOKしないよ。

「ちょっと〜!お願いしますよぉ!!」

「はいはい、仕方ないなぁ」

ちょっと気分良かった。自分勝手に別れて、わたしの誘いもずっと断ってきた罰よ。

もっといじめてやればよかったのかも。そうよ、もっともったいぶったほうが良かったかも。



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