小説「太史慈」2話

当帰




太史慈が洛陽に到着したのは夜で、

役所も閉まっていたから、翌朝に出直してみるしかなかった。

――ついに着いた。

ここまでは自分の足でどうにか短縮できたが、あとは自分の力だけではどうにも急かせないこと。

明日の朝の出たところ勝負になる。

路銀を与えられたのに使っていない。

休憩らしい休憩も取っていなかったし、今夜ぐらいはゆっくり飲み食いして英気を養おう。

宿に馬を預け、太史慈は酒屋へ向かうことにした。


洛陽は初めてだ。

天子のいる都だけあって、さすがに東莱郡とは比べ物にならないぐらい人が多い。

でも俺はこいつらに負ける気がしない。

個人の力には絶対の自信があった。

だから脇目もふらず、太史慈は天下の往来を堂々と練り歩いて行った。

店には男たちの熱気が立ち込めていた。

酒と煙と熱談。都も田舎も変わらない男たちの居場所。

飯を喰らい、酒を胃に流していると身体が満ち足りてくるのを感じた。

――こいつはいい。身体が喜んでいるのが分かる。

つかの間の休息だな。

明日のことはもう自分の力だけではどうにもできないかもしれないが、

ここまでの自分に報いるための褒美だよ、この酒は。

外に雨が降ってきたからか、人の出入りが激しくなってきた。

一人で飲む酒は味気ないから、こんな騒ぎ声がある方が暗くならずにすむ。


奥の席で喧嘩が始まっているようだった。

酔った男たちが、誰が金を払うかでもめている。

給料を一番貰っている奴が払えばいいと一人が言っているが、それが問題のようだ。

「おい、オマエ、そんなに貰ってるのか!

若僧のくせにそれはねーだろ!親方に贔屓されてるんじゃねーのか?」

「当然だろ!お前こそ仕事さぼってばかりのくせに、俺の仕事と一緒にされちゃ困るんだよ!

金が欲しいなら仕事してから言え、仕事してから!」

年長者らしい男と、若い男の言い争いだ。

一緒に飲んでいた男たちはにやにや笑いながら聞いているし、止めようともしない。

「馬鹿言うな!俺がどれだけ今まで苦労して仕事してきたと思ってる!」

「知らね―よ!今が全てだ、今が!!」

言い争いが続いたと思ったら、次は取っ組み合いになった。

ようやく一緒の男たちも止めに入るが二人は収まる様子がない。

犬も喰わない喧嘩、というやつだな。店も迷惑している。

それなのに店の他の男たちは面白そうに喧嘩を眺めている。

酒の肴に最高だからな。


――見ていられないな。

立ち上がった太史慈が男たちの机の上に金を置く。

全員分が払えるような金額だ。

無言で置くと、男たちは喧嘩を止めて太史慈を振り返る。

「おう、なんのつもりだよ?」

年長者の男が喧嘩口調で聞いてくる。

まぁ、それはそうだろう。太史慈の若さでそんなことをしたら、火に脂を注いでいるようなものだ。

「取っておいてくれればいいさ」

それだけ言うと太史慈は席に戻って、美味そうにまた酒を飲み始めた。

その態度がさらに気に食わなかったのか、年長者も若者も喧嘩を止めて

机の上の金を握り締め、太史慈の席に怒鳴り込んできた。

「余計なことをするな、オマエには関係ねぇ!」

「邪魔するなよ、この若僧が!!」

さっきまで喧嘩していた二人が、今度は協力して太史慈を責めてくる。

それが面白くて太史慈は少しだけ笑った。

その時、二人の後ろから肩を掴んで大声を出す男がいた。

「そうだぜ、そうやって仕事仲間ってのは協力するものだな!

よーし、俺もお前らのために半額出そうじゃねーか!」

そう言って男は金を年長者に無理矢理握らせる。

「おぉ、さっきこの旦那が全額出してくれようとしたな!

それを旦那と俺とでお前らの喧嘩を買おうって訳だ!ほら、金の半分は旦那に返すぜ!」

男は一気にまくして、強引に金を分ける。

勢いに飲まれて二人は、ただされるがままになっていた。

太史慈の手元に半分の金が戻り、二人の手には無理矢理金が握らされた。

強引な男のやり方。勢いがあり過ぎて誰も口が挟めなかった。

「――おい、おい!どいつもこいつも勝手なことするんじゃねーよ!」

ようやく年長者が口を開いたが、勢いはない。


太史慈は男の顔を見つめた。

額が広く、理知的な顔立ちの男。太史慈より十歳は年上だろうか。

視線が合うと男は笑い出した。太史慈も笑ってしまう。

偶然にも気持ちが重なったときの楽しさ。

店中が静まり返っている中、太史慈と男は二人だけで笑い続けた。

「おいおい、面白いな!おう、君、次の店に行こう!」

笑いながら男がそう誘ってくる。

太史慈も笑いながら店を後にし、二人で店の外に出た。

店の中に残されたのは呆気に取られている男たち。

勢いがあり過ぎて何もできなかった。二人の男たちの技に、言葉を失って圧倒されていた。





「困ったものですな、金の争いは。

仕事をすることが大切なのに、その報酬の多寡をめぐって人は狂ってしまう」

次の店で向かい合い、太史慈はその男と酒を酌み交わす。

「そうだな、金ではなく、いい仕事がしたい。

それに後から金がついてくるのが本来の姿なのに、そうもいかないのが人間ってものか」

男は淡々と酒を飲み続ける。

まるで世の中の醜い部分を全て知っているような顔つきで。

「今はまだ俺も小官だが、いずれは立派な武功を挙げてみせるよ。そういう心意気だけは常にある」

そう言う太史慈をちらりと覗いて、男はまた笑った。

「はは。若いな。しかし、君の目には機知と覇気がある。

失敗して挫折しても、君なら立ち向かえるかもしれないな」

裏通りの店に酔客は少なく、二人の男の言葉は細い雨音に包まれながら交わされる。

「失敗なんて俺は恐れない。

人は何度でもやり直しできるんだ。だから人生は美しい。前進あるのみ、ただそれだけさ」

「ほう!人は何度でもやり直しできる、って?珍しいことを言う若者だ。

その言葉はどこから生まれたのかな?」

 太史慈の言葉が気になったようで、男が目を光らせて聞いてきた。

「母上の言葉だ。昔から口癖のように聞かされてきたから、俺もそう信じているんだ。

人は何度でもやり直しできる、だから人生は美しい、と」

「なぁ、君。頑張ってくれ。人にそう宣言するのはいいことだ。

それで自分を背水の陣に追い込めば、いつも以上の力が出る。

――どうやら雨も止んできそうだな。

俺はそろそろ行こうか。君、名前を伺っておこう」

「青州東莱郡黄県の太史慈。あなたは?」

「秘密だよ。いいかい、俺は世界を変える男だ。

そうだな、謎掛けをしようか。君と俺の合言葉を作ろう」

男は辺りを見回すと机の上に置いてあった花瓶を手に取り、微笑みながらこう言った。

「これは当帰という名の薬草だな。

これにしようか、当帰という言葉を覚えていてくれ。君と俺の永遠の合言葉はこの当帰だ。

いいか、太史慈という男の活躍を俺はずっと見ているぞ。

君とはまたいつか逢える気がするな」


雨音、地面を叩く雨音。それで男は去っていった。

太史慈もこんな不思議な男には出逢ったことがなかった。



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