小説「時の流れの恐ろしさ」3話

幸せな毎日




マンションを出て、いつもの道を駅まで歩く。

私は妻と二人で東京の西葛西に住んでいる。

公園が多く、街中が緑に溢れた素敵なところだ。

社宅が集まっているからだろう、都心から近い割には静かな街で、

東京の西側と比べてけばけばしくないのが気に入っている。

鞄からMDヘッドフォンステレオを取り出し、大好きなロックミュージックをかける。

駅まで十分足らずだから、音楽を聴きながらの気持ち良い運動だ。

スーパーマーケットの横を歩き、バス通りを抜け、

曲が二曲目の終わりに差しかかる頃、駅前の広場が見えてくる。


混雑を避けるために朝早く出社する気にもならないから、

乗るのは丁度ラッシュ時と重なってしまう。

ブルーラインの入った車両がはちきれんばかりの混雑ぶりだが、

大手町まで十五分間の我慢だと思えばいい。

まだ少しは空いている前方の車両に乗り、

ヘッドフォンを外して朝のお供を音楽から小説に変える。

大手町まで十五分の読書タイムだ。

自宅から職場まで一時間も二時間も電車に乗りっぱなしの

苦行に耐える人達のことを考えれば、私ははるかに恵まれている。

このぐらいで文句を言っていてはバチが当たるだろう。





私は丸の内の翻訳会社に勤めている。

恵まれた仕事で、こちらから先方に頭を下げて仕事を取ってくるのではなく、

会社の机に座っていればどこからともなく山のように仕事が舞い込んでくる。

上層部の頑張りで幾つかの大使館から指定翻訳会社としての地位をもらっているからだ。

私は周りの人達と協力しながら紙の山を物凄い速さで事務的に処理するだけだ。

日系の銀行に勤めていた父親が駐在員としてパリに赴任していた関係で、

私は子供の頃から中学生まで日本語と仏語を母国語として育った。

日本ではまだ特殊技能としてみられる仏語の能力を活かし、私はこの会社で仕事を得た。


具体的には戸籍謄本の仏訳が一番多く、あとは仏文会社推薦状や仏文雇用証明の作成、

住民票や卒業証明書・運転免許証などの仏訳をこなす。

これからフランスへ赴任しようとしている人たちが

現地で労働許可の申請をするために必要な書類だ。

サービス業の会社なので、つっけんどんな態度を取ることが許されない雰囲気にあり、

それがまた私の性に合っている。

私個人は誰にでも優しく接してあげたいと願う人間であり、

どんな会社にいてもサービス業の精神を忘れないことだろうが、

ここでは社内全体がそういう空気になっていて、

周りのみんなの冷たいあしらいを耳にしなくていいのが好きなのだ。


――この会社に入ってから、私は人生で初めて己の情熱のはけ口に

困らない生活を過ごすことができるようになった。

敵軍の真っ只中をばったばったと斬り進む万夫不当の将軍のイメージで、

毎日山積された書類の束を片付けて行く自分。

己の力を遺憾無く発揮しながら仕事をする最中の自分は充実していると思う。

学生の頃は一体何だったのだろう。

あの頃は、若くはちきれそうな己の情熱を傾ける先が全くなかった。

無心になって勉学に励み、夢中になって身体を鍛えることに明け暮れても、

自分が充実しているという実感が一向に湧いてこなかった。

不思議なもので、当時は何をしても満たされることがなかったのだ。

しかし、社会人になると同時にその不満が

ぴたりとなくなったのは更に不思議なことだと思う。

仕事でする作業自体は私の人生を豊かにしてくれるものとは言えないが、

貴重な情熱の発散の場となるのだから、なくてはならない毎日のリズムだ。


昼休みには仲の良い同僚達と食事に行く。

これがまた、なかなか楽しい時間だ。

学生時代の昼休みそのままに、ギャーギャー騒ぎながら会社の周りの店を食べ歩く。

十二時半からの昼休みだから、一番混み合う時間帯ともずれていて助かる。

日中の仕事で気を緩める余裕はないが、自分一人で仕事をしているのではなく、

信頼のおける先輩や能力のある後輩がいるので別に苦でもない。

忙しいなかでも周りとのコミュニケーションが取れている。

なかなか口には出せないが、仕事環境に恵まれたことに対しては

みんなへ日頃から深く感謝している。


定時は五時半だが、とてもその時間には片付かない。

新規の仕事を受け付けるのが五時半までといった感じで、

定時後は抱えている仕事の中で

すぐに処理しなくてはならないものを終わらせるための時間だ。

大体七時か八時には切り上げるが、基本的にそれぞれのペースで

仕事を任されているので、用事があれば定時に帰ることもできる。

また、定時にあがる人に対して上司や周りの人達から

冷たい視線が投げかけられることがない。

自分だって定時にあがることがあるのだから、

みんなお互い様だという認識がしっかり浸透しているのだ。

その辺の緩急がはっきりしているという空気は、この会社の得難い美点だと思う。

自ずと社員が生き生きしてくるからだ。


今日は七時に仕事を終わらせ、そのまま家路についた。

この仕事を担当して六年目、要領を得てベテランの域に達した私は

今日もテキパキと仕事をこなし、心地良い疲れを感じながら電車に乗った。

まだ一日にするべきことは終わっていない。

どうやら、今日は真子よりも早く家に着きそうだ。

社会人としての私の務めは終わったが、家庭人としての務めを果たすべく、

今日は真子のために夕食を作ろう。

早く帰ったほうが夕食を作るという考え方は、共に暮らす家族にとって自然なことだと思う。

ウチのような共働きの夫婦にとってはなおさらだ。

パスタなら手間も時間もかからないし、

真子の好きなカルボナーラにしておけば私も慣れているので、まず失敗はしない。

真子もきっと喜んでくれるだろう。


夫婦ならばお互いのことを尊重して、足りない分を補い合うのがいいと思う。

仕事が忙しいからという言い訳に逃げず、妻のためにできることは何でもしてみせよう。

こんな真面目なことを思うのも、本当はいつもお世話になっている

真子への罪滅ぼしというか、恩返しというか、

些細なことでもこうして私が自発的に真子のためにすると、

それだけで彼女が上機嫌のまま眠ることができるのを知っているからだ。

いつもは私のほうが色々とお世話されているから、私にできる時にはしておきたい。


家に着くとお湯を沸かして下準備をしておき、

真子が帰ってくるのを待ってパスタを茹で始めた。

彼女がシャワーを浴びて出てきたら丁度食べることができるタイミングになったので、

真子の機嫌はいよいよ良かった。

どうしてこうも真子の口は動くのだろうか。

食事の最中も、終わってからも、真子はひっきりなしに一日の出来事を私に聞かせ続ける。

バレエの友達のこと、仕事場である証券会社でのこと、

雑誌で読んだことなどを取りとめもなく私に話し続ける。

別に私が聞き上手なのではなく、真子が話し好きなのだ。

でも、そんな彼女の姿を見ていると自然と私もリラックスしてくる。

彼女に受け入れられているという意識が私の疲れた心身を満たすのだ。

真子は私に話すことでストレスを解消できると言うし、

私も真子の話を聞くことでリラックスできるのだから、これは嬉しい関係だ。


早く帰った日には、二人でソファーにもたれながら映画を見たりして過ごす。

妻と一緒の夜はなんと長く感じることだろうか。

二十四時間のうちの数時間しかないというのに、映画の後で感想を話している時や、

食事中のたわいない雑談の時、ベッドの中で交わす睦言の時など、

それはこの幸せな時間がいつ終わってしまうかなどを感じさせずにどこまでも続き、

私の心を優しくさせてくれる。


私も妻も身体は健やかで、二人の仲は言うまでもなく円満、

生活は会社の給料でやりくりできている。

そろそろ子供が欲しくなってきたし、将来のためにお金はもっと必要で、

他にも小さな問題なら幾つもあるものの、大きな問題がまるでない。

そうだ、現在のこの生活に非のつけようがないのだ。

――これが、私の三十年間生きてきた成果だ。

実際、自分でもよくやってきたと思う。

幸せな生活、これ以上求めることができない程満たされた毎日がここにある。



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