小説「時の流れの恐ろしさ」4話

日常の不満




幸せな暮らし、満たされた毎日。その言葉に嘘はない。

しかし、私の心には秘密が宿っていた。悪魔が住み着いていた。


今日も昨日も一昨日も、ある程度の情熱を仕事で発散させ、

家庭の適度の温かさに包まれ、何ひとつ不足のない一日を送っている。

間違いなく、私は満たされている。問題なく、私は幸せを謳歌している。

だが、その幸福さとは別の所で感じてしまうどうしようもない毎日の怠惰さに、

私は目をつむることができないのだ。


最高の幸せをつかんでいるはずが、実は心に満ち足りないものを隠し続けているなどと、

どうして最愛の妻に言うことができようか。

決して、妻との生活にその因が発しているのではない。

これはあくまで私個人の問題、私だけに見える蜃気楼だとは思うが、

どうしても払拭できずにここまで生きてきた。


仕事に不満はない。

不満はないが、私のこの溢れる情熱の全てを受け止めてくれる存在ではない。

私が100%の情熱を出し切る前に、

この仕事という奴は味を失ったガムのようになって陳腐化してゆく。

私にとって仕事とは60〜70%の力で片付いてしまうレベルの課題なのだ。

会社勤めをしている限り、己が望んでいないことにしろ、

仕事には人生で最も多くの時間を費やす計算になる。

しかしその仕事という奴は私の全力の情熱を受け止めることができないという哀しい事実。

私にはもっと才能がある。私にはもっと大きな意志がある。

この程度の仕事では私の全てを表現できない。

出し切れない情熱の塊を私は一体どこにぶつければいいのだ。





サラリーマンというものについて、私はひとつの結論に達していた。

己がどれだけ歯を食いしばり築いてきた仕事でも、

サラリーマンである限り絶対に代わりが利くのだ。

「○○さんにしか分からない」「○○さんでないと駄目だ」といった言葉は偽物だ。

まやかしだ。間違いなくリップサービスだ。

自分である必要性はどこにもない。その役は他の誰かでも務まってしまうものなのだ。

組織としては、大勢いる社員のたった一人がいなくなっただけで、

歯車の動きにストップがかかってしまうことは許されない。

企業で働く者にとって、自分の代わりは誰にもできない、

という考え方はそもそも有り得ないのだ。

それはそれで社会の真実であり、逆にそうでもなければ

社会は成り立たないとは分かっているが、

この私にとって代役の利くサラリーマンは何の意味もない。

自分だけの命を燃やしたい。ONLY ONEを目指したい。

理想を追求すればするほど、現実との溝は深くなってゆく。


妻との生活に足りないものなど何もない。

世の中で最も幸せな男が私だ。

しかし、そのあまりの幸福さの故に私は野性を失っているのだ。

牙を抜かれ、爪を削られてしまった虎が美しく見えないのと同様、

私も今の自分を美しいとは感じない。


今の生活はとても社会的で、微笑ましく、豊かなものだ。

平日には素敵なネクタイとブランドもののスーツで身を飾り、

心に虎を飼っていてもどんな相手にも頭を下げ、ビジネスを上手く乗り切る。

マンションでのゴミ出しのルールは必ず守る。

隣人との挨拶はいつも欠かさない。

周りの誰からも社会的な好意をもたれ、特に必要ではない物も

値札を見ずに買ってしまうぐらいの金がポケットにあり、

日々の喜びを分かち合うことができる妻がいる。

――なんだろう。この通り、私は幸せなのだ。


しかし、幸せを感じる表面の裏で私は疑問を隠すことができずにいた。

全てが平和過ぎる。私は、野性を必要としないのだろうか。

いやいや、これは逆に素晴らしく豊かな、誰もが望むはずの生活なのではなかったのか。

それが何故、満たされぬ生活だと思えてしまうのだろう。

最高の幸せを素直に喜ぶことができない己の謎は

随分昔から私の中に住み着いたまま、決して外には出さず胸に飼い殺していた。


――私は全身を存分に駆使して、暴れ切っていないのだ。

仕事や家庭という温床に浸かって安らいでいるだけの己の姿に

冷め切っている自分自身がいる。

私にしかできない奇跡を起こしたい。輝くような生の実感を掴みたい。

一体それはどこで可能なのか、それが今この生活にあるものなのか、

それとも違う所にあるものなのか。

――分からない。今なのか、違うのか。

変えるべきなのか、このままで良いものなのか。

――分からない、それが分からない。だから決断が下せない。

結論を出せぬまま胸に秘めたこの謎が、

私をペンディングの状態にさせている原因だった。


私が今まで精神をそれなりに保ってきた源としては、自分は作家だという自尊心がある。

その昔、大きな文学賞で入賞した。

今でも時間を見て習作を書き上げては応募しているが、あの時の入賞以上の成果はない。

私は明らかに過去の栄光にしがみついており、

自分で自分のことをこう思っている。


――自分は眠れる竜だ。

今はまだ眠っているが、いつかは宙を舞い、炎を吐き、

全身全霊の情熱を見せつけて世界を暴れまわってやる――と。


そんな私は、周りの物事全てを自分の踏み台だと思っていた。

人を見れば人間観察のためのサンプルと思い、

仕事はあくまで作家としての自分の経験を深めるためと、情熱発散のためだと割り切った。

表面では柔かな社会人としての仮面を付けていても、

その実、目にするもの全てをそれが作家としての自分にとってプラスなのかマイナスなのか、

その判断しか下していなかったと思う。

そんな私の心根は隠そうとしても隠せないのだろう。

周りの人たちからは、あいつはいい奴に違いないが、

心の底から打ち解け合うことができる奴ではないと思われ続けてきた。

私は他人にそういう嫌な思いをさせてしまう人間だ。

今の生活ではSTRANGERでしかない私は、彼らの人生にとって

プラスの存在なのかマイナスの存在なのかと聞かれれば、あまり自信がない。


最も、妻は唯一の例外だ。真子は私の半身であるから、

私にとってプラスかマイナスかの判断など有り得ない。

彼女に対してだけは、私は常に本当の私だ。

だが、問題は本当の私がどこにいるべきかというところにある。

本物の自分ではあるが、本物の自分をどこに落ち着けていいのかが分からない今、

真子に対しても偽物であるのだろう。


妻以外の全てとはこれからずっと長い付き合いになるという意識が薄く、

私から率先して誰かを嫌うことはないが、自分から進んで上手く付き合おうとはしていない。

誤魔化しようがない確執を私は周囲との間に作っていた。

それを分かっていながら、良い方向にもっていこうとはせず、

このままでいいと確信しているのだからタチが悪い。

私は己が悲劇のヒーローだと信じるが故に、凡庸に身を落とす馬鹿馬鹿しさを好んだ。

――珠を抱き、愚と交わろう。

本当の私は作家という珠なのだが、あえて低俗で愚鈍な世界に身を落とすことで

そこに見る平々凡々とした輩の下らない暮らしと自分の幸せな暮らしを比べては

優越感を味わい、自分を慰めようとしたのだ。


自衛本能の作用だという言葉に片付けてしまって良いものだろうか。

誰もが自分だけは特別だという意識なくして存在することができない。

私の意識もその変種だと思うが、他人を尊重していないところが醜いと思う。

心の奥で相手を小馬鹿にしているくせに、

紳士面をして、決して表には出さない所が尚更醜いと思う。


私は会社の同僚とよく酒を飲みに行った。

しかしまぁ、どうしてあんな馬鹿馬鹿しい世界がまかり通っているのだろう。

あんなことをして、これからの人生に何がどうプラスになるというのだろう。

毎回毎回、私はそう思ってしまう。

大体、座る席を決めるところから馬鹿馬鹿しい。

店まではるばるやってきて、ついに席を前にしたと思いきや、

途端に全員が遠慮の固まりと化し、屹立不動になる。

そして少しずつ身体を動かし始め、それぞれ自分が一番損をしないだろうと思った席に

じりじりと進んで行く。こんな場所でも駆け引きを避けられないことに呆れてしまう。

場を引っ張る奴が必要だ。

いい大人が何人も集まっているのに誰かがリーダーシップを取らなくては

オーダーすることもままならない。

最初のうちは会話も続くので調子が良いが、途中で話題が切れてしまった時が悲劇だ。

みんながみんな、しゃべらない自分をこう言い訳しようとする。

――私は酒が好きだから、こうしてグラスを口に運ぶので忙しい。

私の口は酒を入れるためにあるのであって、おしゃべりをするためのものではない。

自分からしゃべるようなことはできないが、誰かに話し掛けられたら

まぁ仕方がないのでこちらも答えてあげるよ、と。

そして無闇矢鱈にグラスを口に運ぶ。小さな一口を、何度も何度も小刻みに繰り返す。

その行為があちこちで見られるような時間帯になると、

会話をすること自体がもう駆け引きになっているのだ。

酒席では「会話ができないこと=悪いこと」であり、

その後ろめたさを誤魔化すために口へとグラスを運び続ける。

もちろん飲みたいわけではなく、とにかくしゃべっていない奴は

悪い奴だというルールがあるので、そんな意味のない行動を取る。

己を守るために、そういうポーズを取るしかない。

あぁ、人間とはどうしようもなく無様をさらす生き物なのだ。


一人ではできないくせに、集団になった途端にとんでもない行動を取る。

飲めない奴を見ると寄ってたかって酒を強い、

存在感の薄い奴を見るとそれにつけこんで姑息な虐めを始める

。酒席とは誰もが楽しくなって過ごすものではなかったのだろうか。

しかし残念なことに、現実では一部の人を不愉快にさせるという犠牲を払って、

他の大部分の人たちが馬鹿笑いをするなどという悪習がはびこっている。

あぁ、こんなところにまで弱肉強食の資本主義を持ち込まなくてもいいだろう?

酒のつまみに交わしている話は何だ?

社内の下馬評に終始する下らない会話ばかりではないか。

そして、その会話では話題の人物と自分が

いかに親密であるかを示すエピソードを話すことが一番のお手柄とされている。

本当に親しくなくても良いのだ、

ただ個人的な関わり合いがあったという話が出来れば自慢になる。


しかし、どうして広い宇宙にいながらたった一匹の猿の話をしなくてはならないのか。

同じ口を開けるなら、芸術論や人生論を交わしたほうが

まだ少しは互いの未来に有益なのではないか。

飲み会というのは今までの愚痴をこぼすためにあるのではないだろう。

お互いのこれからに何かしらプラスのものをもたらすために開く会だろう。

だったら、もっと前向きな話をするべきなのではないか。

交わし続けられる、内容のない会話。

その場を繋ぎ止めるためだけに言葉が生まれ、

思想を持たない音のキャッチボールで人が騒ぐ。

本当にみんながその場を楽しんでいるかといえば、決してそうではない。

責務が人を揺り動かすのだ。

飲み会に参加してしまった以上は、あたかも自分が楽しんでいるかのように

振る舞わなければならないという義務が課せられる。

そうだ、その場に居合わせた者全員が楽しんでいるという雰囲気が作られなくては、

人間たちは許されないのだ。


さらに哀しいことに、これは理論で頭の固まった男性たちだけのことではない。

人生を上手に楽しむことが出来るはずの女性達も、男性と同じような表情になっているのだ。

女性達だけが固まって座っている席ではそんなことはないが、

一人の男が混ざるだけでそんな悲劇が起こってしまう。

周りに合わせて愛想の笑顔を作る女性の顔には悲壮感が漂う。

あぁ、その芝居は人間の罪だ。

互いが互いを牽制し合って偽りの笑顔が生まれ、まやかしの言葉が宙を舞う。

後には何も残らず、一瞬の馬鹿笑いだけが席上に響き渡り、

哀れな人間どもは化かし合い、慰め合い、その場をしのいでゆく。

酒席においての笑顔とは自由意志の産物ではない。

踏み絵を迫られた者が取る決死の追求逃れなのだ。

そんな陽気な飲み会で、もしも一人不愉快な表情を浮かべている者がいたとしよう。

彼はそんな状態で世を渡って行けるか?いや、無論、否だ。

そういう奴は周りから排除され、同時に自らもグループから身を引くことを余儀なくされ、

孤立した存在となってしまう。

酒席はそれぞれの進退がかかった争いの場でもあるのだ。

己の意志で、本来楽しむためだけにやってきた酒席のはずが、

誰もが100%楽しむことができる場ではない。

不思議だ、実に不思議だ。

みんなはこんなのでなんとなく満足しているらしい。

実益はなくとも、みんなで同じ時間を共にしたことにより、

互いにより一層近付けた気になるのだ。

幻同士でつながる如何ともし難い絆。その絆を求めて酒を交わす。

なんとなくで楽しみ、なんとなくで後に続けている。

あぁ、酒席とはその程度のものだ。なんとも協調性のある営みではないか。


支払い時に起こる、見るに耐えない譲り合い。

こういうことがあるのは分かり切っているのに、

何故か店の最後まで来て誰が払うのかでごちゃごちゃもめている。

レジの前でうだうだしていても店の人に迷惑をかけるだけだ。

なんだその無様な姿は!

いい大人達が財布片手に小競り合いをする様は、

傍から見れば真面目なスーツを衣装にした道化師たちの喜劇のようで、

物笑いの対象だろう。恥を知れ!


次の店に行く行かないでまたお互いを気遣い、警戒し合う。

店を出たところで足を止め、意味無き立ち話を始める。

あちこちに数人単位の円陣をつくり、知らん顔で話し始める。

これがなかなか先に進まない。これは周りを警戒している姿なのだ。

この次の店には行かずに帰りたいが、このままさっさと帰ると批難を受けるので、

なんとなくその場に残っている。

あるいは、すぐにでも次に行きたいが、そんながつがつした態度を

露骨に取るわけにもいかないので、無関心を装ってその場で待ち、

誰かが背中を押してくれるのを待っている。まぁ、そんなところだろう。

一人が危険を冒して最初に動く瞬間を誰もが待っている。

自分一人では何もできない。

ついに痺れを切らした一人が勇気ある行動を取れば、

その陰に乗じて皆一斉に動き始める。

そのあとの行動が怒涛のごとく進むのを見ると

元々みんなの意志ははっきりしていたのではないか。

ほら、みんな自分がどうしたいのか決まっていたくせに、だらだらしていただけなのだ。

これも、可愛い羊の群れを見ているかのような馬鹿馬鹿しさだ。

人はコントロールされて動くものだったのだろうか。

何はともあれ、足は自然とカラオケに向かっている。

誰が幹事を務めても、二次会は決まってカラオケなのだ。

どいつもこいつも能がない。

そんなお決まりのパターンで誰が喜ぶと思っているのだろうか。

無難な責任逃れなのか、それともそもそも人間には

そのぐらいの行動範囲しか許されていないのか。

狭い部屋に何十人も詰め込み、たったの一人二人ががなる耳障りなカラオケ。

たった一時間のショータイムでも二十四人が集まれば

丸一日が泡沫となって無駄に消えてしまう。

無意味な時間の垂れ流しだということに誰もが気付いているはずなのに。

気付いてはいるはずなのに!


他人の楽曲を間借りしてあたかも自分の思想のように歌い、

ボーカルラインはCDのものをコピーしようとするが、できる訳がない。

どこにエンターテイメント性や芸術性があるのか。

歌うほうにも聞かされるほうにも、何もメリットはない。

まぁ、みんなで同じ行動をすることで安心するのが雑魚どもの業なのだろう。

カラオケはまさにサラリーマンの愚毒の象徴だと思う。

凡そ本質が伴っていない。理性的ではなく、効率的ではない。

社内ではいかに生産性をあげようかと頑張っている連中だが、

この時ばかりは皆一斉に愚に返る。

それならばついでに私も一緒のレベルに下げてみよう。

そんな子供のような場所で、私ひとり真面目なことを考えていても、

その場を楽しむどころか逆に変人扱いされるだけだ。

いつもの己を通して否定をされるなら、馬鹿をしてみようではないか。

率先して馬鹿になろうではないか。馬鹿げたことをする私もまた一興だ。


会が終われば、いかにも自分は楽しんだぞーという雰囲気を周りに見せながらお開きとなる。

店の前からさみしく一人で帰るような無能ぶりを見せるわけにはいかないから、

同じ方向の人が身を寄せ合い、どれだけ自分が楽しんで、

どれだけ自分に仲間がいるのだぞというアピールをその場に残しつつ、

ようやく駅へと消えて行く。

結局のところ誰も飲み会を楽しんでなんかはいないのだ。

なんとか無事やり遂げることに意義がある。つまり仕事と同じなのだ。


私はこうした絶望を知りつつも、酒の場に進んで参加した。

大騒ぎはできなかったが、かといって静観を決め込むようなこともしなかった。

適当に、あくまで適当に騒ぎ、場に溶け込むようにしていた。

自ら馬鹿になろうと努めていた。

しかし、いくら身を堕としても私は眠れる竜である。

飲み会の最中でも、会が終わってからも私はその意識を常に再確認し、

自分の特異性にしがみついていた。

自分だけは周りとは違うと信じる心が人一倍強かったのだ。

私にとってこの時だけが、自分を他の連中とは同じではないと痛感する機会だった。

自分も馬鹿になった振りをしながらも、

目の前で馬鹿騒ぎをする他人を心の奥底で嘲笑していた。

私はこいつらとは違う、こいつらはこの場を楽しむ振りをするだけだが、

私だけはこの場を作家としての経験に役立てることを課せられている、

つまりこいつらよりもさらに上等な使命があるのだ、

と思うことで私の心は大いに静められた。


なんという中途半端な己の立場。

卑下する俗事を捨てて作家という己の本性になりふり構わず生きるのでもなく、

かといって己の熱い心を忘れて会社の凡々たる連中に溶け込むのでもなく、

どちらにもいい顔を向け、どちらからもはっきり一線を置いている。

中立的なのではない。双方の良い点を兼ね備えているわけでもない。

ただ地面に足を着けていないだけなのだ。

どちらの悪いところにも該当せず、どちらの良い部分にも当てはまっていない。

中途半端だ。最低だ。一番役に立たない種の人間だ。

そんな私も今年で三十になった。

道の選択権が与えられた二十代はもう終わった。

男の三十というと、己が一体何者であるのかの大きな決定をするべき年齢であり、

二十代で己が選んだ道に向けて本格的に突き進む時期だろう。

しかしこの私は、三十になって己の方向性がまだ全然見えていないのだ。

自分の人生に何があるのか、私の命は一体何なのか。

大切なことがはっきりしていない。

しかし、毎日は私の悩み事を気にかける節もなく、静かにひたすら続いてゆく。

何も、誰も私を責めることはない。

ただ適当に幸せな日々のなかで、半透明な悩みに自問自答を繰り返す私がいた。



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