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張飛の妻 三国志小説「夏侯覇仲権」12話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




稚権と玉思は、本当に賊に襲われていたところを張飛に助けられたのである。

薪と山菜を求めて兗州南部まで足を伸ばしていた時、荷物目当ての流賊に襲われた。

従者が斬られている間に逃げ回って岩の陰に身を潜めていた二人は、

しばらくしてから恐る恐る岩陰から出た。

するとそこには流賊たちの骸が転がっていた。

その脇では一人の大男が、賊に殺された夏侯家の従者たちを懇ろに埋葬している姿があった。

玉思は大男に礼を言った。

大男は幼い二人を見ると馬に乗せ、この平頂山の砦に連れて来て面倒を見た。

自分たちだけでは家に帰ることもできないだろうと心配してくれたのだ。

その大男が曹操の政敵である劉備の義弟だと知ると

玉思も稚権も決して自分たちの身分を明かさなかったが、大男も詳しくは詮索してこなかった。

大男は粗忽者かと思われたが、稚権に対して優しく接し、進んで武芸を教え込もうとした。

稚権が武芸ではなく兵法書を好んでいると知ると、

張飛は自分が苦手な書物ですら嫌がらずに大声で読み上げてやった。

まるで子供の友達同士のように、張飛と稚権は読書をしたのである。

張飛と稚権はすぐに友達になれたが、玉思に対しての張飛の態度は遠慮そのものだった。

玉思はいつもの調子で明るく張飛に話しかけるが、

張飛は玉思の目も見ずに適当に言葉を濁すだけだった。

もちろんそれは嫌がっているのではなく、女性に慣れていない張飛が、

玉思の太陽に眩しさを感じていたからであった。

張飛の妻

戦場で生き続けてきた張飛は、

玉思の太陽のような明るさの前ではどうすれば良いのか分からない童子であった。

居心地の良さに玉思と稚権はつい甘えていた。

もとより張飛も歓迎してくれていた。

そのうちに玉思は自分たちの身分を明かした。

張飛が信頼できる人間だと分かったからだ。

まさか夏侯家の一族とは思っていなかったから張飛も驚いた。

これまでの人生を戦ばかりに費やしてきた張飛だったが、

二人と一緒にいるときの幸せな時間が忘れられなくなっていた。

夏侯家の一員と知ったところで、どうして良いのかすぐには分からない。

まずは家族が心配していることだろうと、

二人の無事を伝える手紙だけは許都に届けさせた。

誰もが恐れる猛将張飛も、無垢な童子の前では等しく童子であった。

侮辱されれば怒り、誉められれば舞い上がる張飛は、

元々童子がそのまま大きくなっただけであった。

大きな図体から武の性を抜いてしまえば、大きな身体だけが残るものなのだ。

二人をどうすれば良いか、張飛は真剣に考えたつもりだったが、

やはり分からないものは分からない。

そのまま二人をいつまでも手元に置いた。

山砦の部下たちからも言われるようになったが手離そうとしなかった。

合流した関羽からも諭されたのだが、必死に抵抗を続けていた。

稚権は夏侯家の男子だからいつまでもここにいることはできないだろう。

手放すことも張飛は覚悟していた。

しかし、玉思に限ってはそんなことを考えたくなかった。

張飛は生きることの喜びを戦場以外で見つけていたのだ

こんなことは生まれて初めてだった。

玉思である。玉思もよく張飛の元を訪れては笑ってくれた。

聞いたことはないが、少なくとも張飛のことを嫌ってはいないはずなのである。

だらだらと解決を引き延ばしてきたが、そろそろはっきりさせなければならない。

子雲と仲権を前にして、初めて張飛はそう思った。

こんな若僧二人が必死になっているからには、なんとかするのも年長者の務めである。

張飛の気持ちはひとつだった。離したくはない。

できれば二人とも手離したくはない。

戦場に生きて長いが、そろそろ自分にも家族の温もりというものがあってもいいのではないか。

義兄たちとの大志が優先なのはもちろんだが、

家族を養ったところで大志の足を引っ張るものではない。

張飛は本気でそう考えていた。

「確かに稚権と玉思は当方で預かっている。心配するな、害を加えるようなことはしておらん。

夏侯恩と夏侯覇と申したな。しばし待て。二人を連れてこさせよう」

張飛が目配せをすると、従者が部屋を出て行った。

張飛は視線を目の前の二少年に戻した。

片時も目を逸らさず自分を見てくる少年の態度は、異常である。

頭を床にすりつけている少年の態度は、過剰である。

これは何だろう。夏侯家の結束の固さからくるものなのだろうか。

それとも何か他に理由があるのだろうか

すぐに稚権と玉思がやってきた。

子雲と仲権の姿を見つけると大きな声を上げて駆け寄った。

夏侯家の四人は抱き合った。

先に関羽と張飛が再会したときのような光景が繰り返された。

張飛はそれを複雑な思いで見ていた。

「――稚権、玉思。迎えが来たぞ。よいか、自分で選べ。行くも留まるも自分の意思ひとつだ」

その張飛の言葉を聞いた子雲と仲権は驚いた。

噂に聞く乱暴者からは想像できないような言葉だったのだ。

稚権はすぐさま許都へ帰ると言い、夏侯家に帰れることを喜んだ。

張飛の妻

だが、玉思の口から出た言葉は違った。

玉思は、張飛と一緒にいることを望んだのだ。

「お兄様。わたくしは張飛様と一緒にいようと思います

いずれは嫁に出る身。それならば、わたくしはこの張飛様がいい。

どうか、惇叔父様や淵お父様にそう仰って下さい。

張飛様は世間で言われているような粗暴なお方ではありません。

わたくしに良くしてくれる、優しくて、純粋なお方です。」

その言葉は子雲と仲権を絶望の底へと叩き落すものであった。

口にした玉思は想像もしていなかったことだろう。

時として、一人の何気ない一言が誰かの人生を大きく変えてしまう。

子雲・仲権・張飛、そして玉思自身の人生を大きく変えた瞬間であった。

それを聞いた張飛は両手を上げて喜んだ。

それまでは玉思に対して遠慮ばかりの張飛であった。

何故なら、己の不安定な立場がある。

義兄弟は散り散りになり、定住の地も持たない流浪の身分で家族を養うことなど叶うべくもない。

十四の玉思と三十三の張飛では年齢差もあり、

それに何より劉備の義兄弟である自分と曹操の親族である玉思では

婚姻関係を結ぶには政治的障害があり過ぎた。

ただ、玉思の気持ちさえあれば

それを全て自分が解決させてみせるという自信が張飛にはあった。

満面に笑みを湛えながらも、まだ少し遠慮がちに張飛が玉思に訊ねた。

「いいのか、玉思、それで本当にいいのか?」

玉思は明るく頷いた。その様子に躊躇は見当たらない。

それを見た張飛は玉思の元へ駆け寄り、身を屈めて大きな両手で玉思の手を取った。

白く細い玉思の手を額に押し当て嬉しそうな声で言ったのである。

「玉思、俺が命を賭けて守ってやるぞ!」

あぁ、張飛は玉思に向かって決定的な一歩を踏み出した。

そして玉思はその張飛を受け入れた。

これがお互いを永遠に受け入れ合う二人のささやかな儀式であった。

「夏侯恩殿!夏侯覇殿!見ての通りでござる!

許都に戻り、一族の方に伝えられよ!これより玉思はこの張飛の妻である!!」

そんな光景を見せられては最早子雲と仲権に言う言葉はなかった。

ただ、二人を祝福するしかなかったのである。







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