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審配 三国志小説「夏侯覇仲権」13話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




審配は悪党である。同時に名将であった。

二百二年、曹操は官渡の戦いで袁紹を破った。

兵力や物量の上では曹操を凌駕する勢力をもって平原の覇者を唱えた袁紹も、

敗戦の心傷で病の床に伏せり、そのまま病没した。

袁紹には譚・熙・尚と三人の男子がいたが、

袁紹の後室劉氏は自分が生んだ三男の尚を後継者に立てるよう謀った。

長年袁尚の守り役を務めてきた謀士の審配と逢紀は劉氏と共謀して、

既に危篤に陥っていた袁紹からの遺言だと偽り、袁尚を後継者とした。

長男の譚を立てるのが筋であると当然のように周囲からは反発が起こる。

こうして袁家に骨肉の争いが生じたのである。

曹操は北伐軍を興した。

袁紹を喪った上に、指令系統に問題を抱えた冀州軍は曹操軍の前で脆くも崩れ去ってゆく。

袁譚は自分に断りもなく君主を名乗った弟に憤慨していたが、

まずは曹操撃退を第一優先として出陣をしようとする。

そこに腹心の郭図が袁尚から兵を借りることを提案した。

その通りに袁譚は伝いを出す。

袁譚からの依頼を聞いた審配は袁尚に進言し、同僚の逢紀に兵をつけて袁譚へ合流させた。

兄弟で力を合わせて曹操を撃退すべしと訴えたのである。

だが、これには裏があった。

曹操の有無に関わらずいずれは袁譚と袁尚の戦いになると審配は考えていた。

その時袁尚軍に二人の謀士がいては必ずや己の妨げとなると見た審配が、

機を見て袁譚に逢紀を斬らそうと仕組んだのだ。

事実審配の狙い通りとなり、間もなくして起こった兄弟喧嘩の渦中で逢紀は袁譚に斬られてしまう。

こうして袁尚軍の実権は審配に独占された。

逢紀だけではなく、以前にも田豊・沮授・許攸という有能な謀士が

審配の讒言により袁紹に疑惑を持たれ、遠ざけられている。

袁紹幕僚には幾つかの派閥が出来ていたが、

審配はその手段を選ばない悪知恵で常に有利な立場を勝ち得ていた。

袁家兄弟の仲間割れを逃さず、曹操は怒涛の進撃を加える。

弟の袁尚に圧されがちだった袁譚は進退窮まって曹操に投じた。

兄袁譚の投降を知った袁尚は、袁譚と曹操からの二面攻撃だけは避けようと、

審配を城に残し、自らは軍を率いて鄴城を出た。

袁譚を討つか、再度同盟を組もうとしたのだ。

だが曹操は電撃石火の行軍を取り、留守になった鄴城へと軍を進めた。

曹操の動向を察知した袁尚は急遽軍を翻して鄴城へ戻ろうとするが、

待ち構えていた曹操軍の前に大敗を喫してしまう。

袁尚は鄴城を見捨てて遥か北へと単身落ち延びた。

こうして、鄴城には審配だけが残ったのである。

鄴城を落とすべく曹操は全軍で攻め立てた。

審配は外交や内政を担務とする文官であったが、

同時に軍の統率者としての才能をも持ち合わせていた。

また、鄴城は冀州の名城である。高い丘の上にあり、城壁は高い。

攻め手にとってこれほど攻めづらい城はなく、守り手にとってこれほど守り易い城はない。

まずは定石通り、正面から突入してみる。

丘を登り、城壁へと辿り着こうとするが、

雨のように降り注がれる弩を受けると城壁の前までも到達できない。

決死軍を募り、多勢を恃んで高梯子を城壁にかけようとするが、

城門上から油が注がれ火がつけられる。

土嚢を高く積んで城壁を越えようとするには城壁が高過ぎる。

被害を覚悟して全軍突撃するものの、審配の指示は行き届いており敵兵は善く防戦する。

正面攻撃を諦めた曹操は城内の蘇由という部将を内応させようとするが、

審配が張り巡らせていた情報網にひっかかり審配の知るところとなってしまう。

計画は失敗し、蘇由は身ひとつで城を下った。

頼みにしていた内応策で躓いたことで曹操は意気消沈する。

打開策を持たない曹操軍は無為に時間を過ごすだけになっていた。







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