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辛毘 三国志小説「夏侯覇仲権」13話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




ある日好機が訪れる。

東門の守将馮礼が審配の厳しい軍令に音を上げて、

今のうちに曹操へ降ってしまおうと抜け出してきたのだ。

曹操は鄴城の弱点を馮礼に尋ねる。すると馮礼は上策を持っていた。

城には突門というものがある。

城内から城外への非常出入口で、城壁に開けられた小さな門である。

普段は土で厳重に蓋がされているのだが、馮礼は事前に一箇所だけ土を薄くし、

水を含まして柔らかくさせておいたから、

そこに坑道を掘って城内に進入すればいいと言うのである。

曹操は馮礼の言葉を信じ、馮礼自身にその役を命じる。

しかし、審配に抜かりはなかった。

深夜、外から突門に穴を穿った馮礼と兵士三百名が城内に足を踏み入れた途端に、

坑道の入口と出口部分に城上から巨石が落とされた。

うろたえる馮礼に向けて、審配は容赦なく矢を放つ。

針鼠のように全身に矢を受け、馮礼隊は全滅した。

軍兵はそれほど損じていないものの、曹操の心は大きく挫かれることになった。

力攻めは無用と知り、幕僚に広く策を求める。

すると以前審配の中傷によって

袁紹軍にいられなくなり投降していた許攸が一策献じた。水攻めである。

最早鄴城に充分な兵糧がないことは周知の事実であった。

また、いくら鄴城が堅固だとは言え、曹操軍とは兵力が違い過ぎる。

落城は時間の問題であった。

許攸は水攻めで守り手の心を挫こうとしたのである。

曹操は近くの河の流れを変え、鄴城手前に濠を掘り始めた。

その濠の様子を見て審配は嘲笑う。

浅過ぎて誰でも渡ることができる程度の濠だったからだ。

妨害するために出兵してきたところを返り討ちにして、退却する審配軍に紛れて

兵を城内に突入させようとする策だと思った審配は出撃をしなかった。

審配に動きがないことを確認すると、

曹操はその夜のうちにありったけの人員を投入して濠を深くし、河水を流し込んだ。

鄴城の四方は水濠に囲まれた。

裏の裏をかいた曹操の策略が上回った。

水濠の完成は、鄴城への出入りを封じられたことを意味する。

元々援軍の当てはなかったとはいえ、これで万が一援軍が来たとしても城内には入れない。

兵だけではなく、物資の供給も完全に閉ざされた。

最早、鄴城は落城を待つばかりになったのである。

この水濠で曹操が期待したのは、城内に動揺が生じることである。

果たしてその狙い通りとなり、城内には絶望感が充満した。

そこへ、袁譚と共に曹操へ降った辛毘が城前に姿を現して城内に投降を呼びかけた。

辛毘は袁紹の元で青州平原の令を務め、口舌爽やかな弁士であり、

またその清廉な人となりで知られていた。

そういう人物が投降を呼びかけたことで、鄴城の兵士は大いに動揺した。

この次案も曹操の思惑通りであった。

城内の動揺を肌で感じた審配は焦りを覚えた。

動揺を高揚へと逆転させようと、監禁してあった辛毘の一族を城壁の上へと引き摺り出し、

目の前で一人ずつ斬って殺した。

己の不退の決意を両軍に見せ付けるためである。

だが、結果としてこの行動は裏目に出てしまう。

辛毘とて、一族が鄴城内に捕らえられていること承知の上である。

しかし、孤立無援の上に食糧も底をついた鄴城で

これ以上無意味な戦いを続けても袁家のためにはならないと思い、この任を引き受けたのだ。

ある程度は予想されたこととはいえ、

それが本当に最悪の結果に結びついてしまうとはなんという仕打ちであろうか。

辛毘は号泣のあまり落馬する。

崩れ落ちてもまだ辺り憚らずに泣き続けた。

それは哀れなぐらい、それは無様なぐらい、もうどうしようもないぐらいに泣き腫らした。

泣いて泣いて、泣き続けた。

その辛毘の裸の姿によって、辺りの空気は一変する。

曹操軍の全員が辛毘の敵討ちを誓ったのである。

曹操軍だけではなかった。

鄴城の大半の兵士たちですら辛毘寄りに心を動かしたのである。

本心であろうか、演技であろうか。

いや、その両方で辛毘は一世一代の役を務めたに違いない。

一人間としては一生で最悪の時間を、

大義のために働く男子としては一生で最も大きな賭けの時間を。

一族を失った哀しみと、一生一度の大舞台に立つ栄光。

本心で泣き、演技で泣いた。

本心で審配を恨み、演技で両軍に審配を恨ませた。

その辛毘の人生の行動が、鄴城の攻防を決着へと向かわすことになる。

審配の甥の審栄と辛毘は親友であった。

辛毘の境遇に対して、審栄は深く同情する。

叔父の行動はある程度は理解できるが、いくらなんでもやり過ぎである。

審栄は矢文を用意し、曹操の陣営へと射た。

――翌朝寅の刻、正門を内から開く。貴軍、突撃されたし。大憂漢・審栄。

審栄にとっては肉親も親友も変わらず大事である。

ただ、ここで自分が幕引きを図らないと叔父の行き先がない。

また、一族を殺された親友の心を慰めるには叔父が死ななくては叶わないだろう。

両者に対して一番深い関係があるのは審栄であった。

こんな事態になってしまったことを審栄は大きく憂いた。

だが、自分がやらなければ他の誰かにできることではない。

審栄は自らの手で城門を開けることを決意した。







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