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阿斗劉禅 三国志小説「夏侯覇仲権」17話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




雲霞の如く押し寄せる大軍。

一人一人は小さくとも、精兵が群を成すとそれは大きな力とになる。

精兵が集まって一体の身体を成す。将の位置が頭である。

訓練の行き届いた曹操軍は豹であった。この豹は呂布や袁紹さえ飲み込んだ。

しかし、どれだけ豹が集まろうとも一匹の龍の前では無力な存在である。

豹が龍を飲み込むことはない。

この長坂坡には二匹の人龍がいた。

一匹は長坂橋にいた。

もう一匹は胸当の下に赤子を抱え、青釭の剣を手に長坂坡を駆け巡っていた。

その名を趙雲、字を子竜という。

趙雲が通るところ鮮血の朱霧がかかった。

突如現れたその存在は、あたかも夜雲をかき消して姿を見せた満月のようであった。

趙雲の前を遮った淳干導は、相手がたった一騎であることを甘く見て馬を突進させた。

趙雲は馬を止めて相手を待つ。

確かに槍を繰り出したのは淳干導の方が先であった。

しかし、淳干導の槍が相手を突くよりも早く彼の咽喉は趙雲の突きによって穴を穿たれた。即死である。

主将を討たれた淳干導の兵は狼狽して逃げ出した。

趙雲は糜竺を解放した。糜夫人はこの糜竺の妹である。

曹操軍を蹴散らした趙雲を見て、周囲の民群から一人の女性が飛び出してきた。

甘夫人であった。

趙雲はすぐさま甘夫人を保護し、淳干導が乗っていた馬に糜竺と甘夫人を乗せた。

「甘夫人、若君と糜夫人はどちらにおられるか?」

「分かりませぬ。糜夫人が抱いていたのですが、敵の襲来で散り散りになってしまいました」

趙雲は自分の鞍にかけていた予備の剣を糜竺に渡して言った。

「俺は若君と糜夫人をどこまでも探しにゆく。

貴公は甘夫人をお連れして景山の主君に合流してくれ」

趙雲は馬を走らせた。

趙雲は劉備の二夫人と阿斗劉禅を護衛する任務についていた。

しかし、劉備本人の退却を助けるため敵軍を防ぐ中でいつしか馬車と離れてしまったのだ。

趙雲は血眼で馬車の行方を捜していた。

既に味方の軍は壊滅し、残兵は景山へと逃げ込んでいる。

そんな戦場を趙雲は単騎で駆け巡っていた。

趙雲の前には無数の敵部隊が立ち塞がる。

趙雲の繰り出す鋭い槍先は主将だけを狙い、そして確実に仕留めていた。

将さえ討ってしまえば周りの兵は逃げ散る。

単騎になってからどれだけ敵将を討ったのだろう。

趙雲が繰り出す突きは恐るべき早業であった。

破壊力も抜群ではあるが、突きの速さが常人とは違う。

身のこなし、馬の操り方でも趙雲の速度についてゆくことができる者はいない。

近くの農家で夏侯恩隊を蹴散らし、遂に趙雲は阿斗劉禅と糜夫人を救出した。

だが、糜夫人は流れ矢を腿に受けており歩くこともままならない状態であった。

糜夫人は両手で阿斗劉禅を抱き上げて、趙雲に言った。

「わたしくはもう歩けません。

どうかわたくしに構わず和子だけを良人の元へ届けてください。さぁ、急いで」

馬を降りた趙雲は糜夫人を抱え上げて馬に乗せようとする。

糜夫人はそれを拒んだ。井戸に身体をもたらせたまま動こうとしない。

「ご安心なされい、この趙雲が命に代えても若君と貴女を殿の元へお届けしますぞ!

さぁ、乗られてください!私は敵兵の馬を奪いましょう!」

「なりませぬ、徒歩では敵陣を突破できません!

さぁ、急いで!さぁ、早く和子だけを連れてここを離れてください!」

「何をおっしゃる!貴女こそ早く馬に乗られてください!早う、早う!」

譲り合っている時間はない。趙雲は焦った。

――この少し前、混乱に乗じて近くの農家で

欲しいままに略奪を行っていた曹純軍の晏明はある声を聞いた。

「――敵将夏侯恩討ち取ったり!!」

そして、ある農家から兵たちが逃げ散るのを晏明は見た。

夏侯恩といえば自軍の名のある将である。

あの青釭の剣を曹操から直々に授かったということは話に聞いていた。

その夏侯恩を討った敵がいるらしい。

部下を集めてその農家を包囲させると、晏明は数十名を従えて農家へ突入した。

「曹軍の晏明だ!さっと降参しろ!」

大声を上げて進入してきた敵将を見て趙雲はすかさず応戦の構えを取る。

馬で突っ込んできた晏明の間合いを崩そうと、趙雲は跳躍した。

思いがけない跳躍に驚いた晏明は剣を振るうが、趙雲の身体は捉えられない。

それどころか必殺の突きを咽喉に受けて即死した。

従っていた雑兵を趙雲が追い払っていると、背後の糜夫人が大声を上げた。

「趙将軍!御身に任せましたぞ!必ず和子を良人の元へ!!」

そう言い終えると、糜夫人は自ら井戸へと身を投じた。

「糜夫人!」

趙雲が駆け寄ると、深い井戸の底で既に糜夫人は動かぬ人となっていたのである。

阿斗劉禅は糜夫人ではなく甘夫人が産んだ子であった。

それでも自らの命を犠牲に良人劉備の子を守ろうとした糜夫人を思うと趙雲の胸は熱くなった。

糜夫人の遺志を尊重しなければならない。

近くの草や木を井戸に投げ込んで糜夫人の骸を隠すと、胸当を緩めてその下に阿斗劉禅を抱いた。

すぐさま馬に跨って農家を離れる。







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