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魏の夏侯家 三国志小説「夏侯覇仲権」19話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




――それからの夏侯覇は違った。

寝る間も惜しんでは武芸の研鑽に努め、軍略を学び、

戦場では軍の統率にあらゆる情熱を費やした。

夏侯惇や夏侯淵ですら一目置く存在にまで急成長し、

夏侯家の嫡男として然るべき男になったのである。

彼の戦功は抜群であったが、

夏侯惇軍の先陣の将として活躍していたため史実に残ることはなかった。

夏侯惇の名声の一部に彼の働きが含まれているのである。

彼自身の名が歴史上に出てくるのは、惇・淵が没した後からである。

魏の大将軍・曹真の征蜀軍に従軍したとき、

諸葛亮の大計に陥った曹真軍にあって、唯一冷静に防戦したのが先陣の夏侯覇であった。

蜀軍に取り囲まれた死地で、彼が自らの命を顧みることなく

敵を食い止めたことによって救われた魏兵は幾万人かしれなかった。

この時、夏侯覇は「責務一大」と大書させた陣旗を掲げ、自ら槍を振るって敵を防いだという。

この戦いの後、夏侯覇は「責務一大将軍」と呼び名され、

名将夏侯惇・夏侯淵にも劣らぬ人物と賞賛された。

魏兵たちからは絶大な信頼を獲得したという。

その功績を買われて司馬懿に抜擢されると、

魏蜀の命運を決定付けた五丈原の戦いで司馬懿の片腕として先鋒を任される。

夏侯覇は弟の夏侯威・夏侯恵・夏侯和と共に魏軍の最前列に立った。

常に曹操の右翼と左翼にあった夏侯惇や夏侯淵のように、

魏軍の先鋒に夏侯家あり、と再び高々と夏侯家の旗を掲げたのである。

その後も夏侯覇は北の公孫淵討伐で著しい活躍を遂げ、夏侯家の名声を高める。

弟たち一族を許都の要職に就かせると、自らは西の長安に赴任した。

かつて父・夏侯淵が命を落とした征西将軍の職である。

父がやり残した蜀討伐という大仕事を継ごうとしてか、魏の繁栄のためか、

夏侯家の隆盛を思ってか、己を殺して彼は単身西に向かった。

西羌や匈奴の異族を手なずけ、征蜀の軍を整える。

長年築き上げてきたものが形になり、

諸葛亮亡き後の蜀の弱体化が目に見えてきたその時に、事件は起こったのである。







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