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陳宮 三国志小説「夏侯覇仲権」8話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




呂布の後には配下の三名将が引き立てられる。

まずは高順が連れてこられたが、その場に座ることもせず、

曹操が熱意を籠めて帰順を勧めても返事すらしない。

根拠なく己を冷遇した呂布の仕打ちに対しての愚痴すら言わず、

結局一言も発せないまま自ら刑場へと歩いて行った。

あぁ、高順には誰にも分からない高順なりの美学があったのだろう。

人生を武人に徹した高順のことだ、呂布という人物に、

人格はともあれ、武の神を見ていたに違いない。

武神が命を落とす時は己も命を落とす時と決めていたのだろうか。

地獄でも武神の護衛役を務めようとしたのだろうか。

無言で去っていった高順の心中を示すものは何も残ってはいない。

ただ、呂布の武が思わぬところで、歪んだ形で、

人を強烈に引き付けていたという事実が、高順の死の物語によって浮き彫りにされている

(敵ながら真の武人よ。そうだ、将には負けた時の責任がある。

ただ、惜しい。仕える主さえ呂布でなければ……)

高順の態度は、仲権の少年らしい真っ直ぐさに通じるものがあった。

幕僚からも彼を惜しむ声は上がったが、武人としての意地や礼節を完結させてやろうという

武人の情により、高順は己の意思を貫くことができた。

次に張遼の番だったが、張遼は劉備配下の関羽と旧知の間柄であり、

今は曹操の庇護下にあり、同席していた劉備と関羽の諌めもあって曹操に降伏した。

最後に陳宮が引き立てられてきた。

(……この男が陳宮。その昔、曹丞相を救った男)

場の誰もが曹操と陳宮の関係を知っていた。

だが、軍法を明らかにする席で私情は禁物である。

子雲はあの狩りの途中で淵小父の言った言葉を思い出していた。

自分の地位や家族まで捨ててまで、お尋ね者の曹操を救った陳宮とはどういう人物なのか。

また、そんな二人がどうして道の途中で志を違えてしまったのか。

曹操は居辛い様子だった。照れ隠しなのか、わざとぶっきら棒に話しかけた。

「――これは陳宮ではないか。御身とは洛陽からの逃避行以来であるな。

その後変わりはないか。中牟のご母堂は元気にしておるか」

それを聞いた陳宮は眉間を怒らせて口を利いた。

「なんという皮肉を言う男であろうか!この期に及んで戯けたことを聞きたくはないわ!

さっさと殺せ!いらぬ辱めを与えるのは狭量の証であるぞ!」

「なんの、御身には不殺の恩があるではないか。

わしは御身にそれを返したいと思っているだけだ」

いつもの曹操の口調ではなかった。

「無用である!呂将軍がいない今、わしに行くところはない。高順殿に順じようぞ」

「……陳宮。わしの大志は以前に話したな。

清濁あるのは重々承知の上だが、最終的には戦や貧困ができるだけない、

安定した世の中を創り上げるのがわしの夢だ。それは今も変わっておらん。

御身はそれに同調してくれた一人ではないか。

今はともかく、あの頃のわしはその大志を持て余すだけであった。

しかし、御身が共感してくれたことでどれだけわしが自信を持てるようになったのか。

それは伝えておきたい」

「おう、わしもあの時は確かに共感したぞ。

しかし、結局貴様はわしの思い描いた英雄ではないのだ!」

「聞かせて欲しいぞ、その続きを!陳宮、最後の雄弁を聞かせてくれい!」

口調がいつもの曹操に戻っていた。

「己を知れ、曹操!貴様は人を幸せにする英雄ではないのだ。

貴様は姦雄だ!貴様は梟雄だ!

貴様は己が生き残るためには他人の死も当然とする考えの持ち主であろう!

わしは今でもはっきりと覚えている。

逃避行中に匿ってもらった呂伯奢の家人を我々の誤解で殺してしまった時、

貴様は恨まれるのを恐れて何の罪もない呂伯奢まで斬り殺した。

その時貴様はなんと言ったのか?!」

「この世でわしが裏切ろうとも、わしを裏切るのは許さん。そう言った」

(…………!!)

仲権は絶句した。

つい今しがた、ある暴君が吐いた言葉と全く内容が変わらないのだ。

あくまで平静にそれを言ってのけた曹操がいた。

「覚えているではないか!貴様のその言葉を聞いてわしは貴様を見限った。

あの時、貴様を斬ってしまわなかったことがわしの心残りだ!」

「清濁併呑だぞ、陳宮。この広大な中華を治めるためには小さく動いていては駄目なのだ。

思い切ったことをしなくては、それこそ十年を一年間に縮めるようなことをしなくては

到底わしが死ぬまでに大志を遂げられん」

「――曹操。わしはな、あれからずっと思ってきた。貴様の言う大志は叶わぬ夢だ。

よいか、貴様が本当に民のことを考えるのならば、その大風呂敷を諦めるがよい!

いいか、人間一人の可能性でこの広大な中華は統一できん。

だが、貴様なら一州や二州を隅々まで関知し、立派に治めることのできる才覚があるではないか。

何故そこで現実的な平和を求めない?!

何故中華統一という見果てぬ夢を見て、毎度毎度戦を興す?!」

「陳宮よ、この曹操の器量を見損なっておるぞ!

かつてこの中華を統一した秦の始皇帝!漢の高祖劉邦!

彼らに勝る器量をわしは持っている!わしならばこの大志を遂げることができる!

よいか、それにこの曹操が目指すのはあくまで千年国家だ!

数十年や数百年で次の時代に取って代わられる国家ではない!」

「危ういぞ、曹操。万が一にでも叶った時にはそれでよい。

だが、叶わなかったときにはどうなる?

貴様は貴様一人の夢のために何万、何十万という兵を死なせ、

何十万、何百万という草民を苦しめた暴君として歴史に名を刻むことになるのだぞ!

英雄は英雄でも人を殺し続けた英雄だ。それは梟雄そのものだぞ!!」

「おう、それは望むところだ!よいか、陳宮。確かに叶わぬ夢かもしれん。

ただし、わしという人間にはその可能性があるのだ。

呂布のような男にそういう可能性があるか?

ならばだ、その可能性を若干でも秘めている者がやらねばならぬ!

わしだ!曹操孟徳だ!だからわしはこの道を進むのだ!

その為には陳宮、御身の才能が役立つから、わしを一緒に大志を追え、と言っておるのだ!」

竹馬の友である惇や淵ですら、これほどの曹操の熱弁を聞いた記憶がなかった。

「お断りしよう。わしは全中華を巻き込んでの殺戮に参加する意思はない。

呂布の武を利用して現実的な平和を求めただけであった。曹操、わしを斬ってくれい」

平静にそれを告げる陳宮の冷たい表情。

「陳宮!何故呂布なのだ!あの男に大志があるのか?!

あの男に己以外のことを考える頭はあるのか?!

あの男では良くてわしでは駄目だという理由が分からん!わしには分からんのだ!」

「少なくとも、呂布には純粋さがある!よいか、貴様のような表裏は呂布にはないぞ!

わしは呂布の武を動かして平和な小国を創りたかっただけだ!

ただ、呂布にわしの想いは届かなかった!だから斬れ!既に未練はない!」

「陳宮、それで良いのか。御身の大志はそこで止まってしまっているのか。

生は難し、死は易し。生きてこそ成し遂げられることがある。今一度考えてみよ」

「無駄である。――その昔、人物鑑定で知られる許子将が貴様を見て

治世の能臣、乱世の姦雄と評したそうだな。

わしはな、曹操。貴様には治世の能臣であって欲しかった……。

だが、今という時代がそれをさせてくれなかったようだ。

貴様はわしの屍を乗り越えてさらに大きくなる人間だ。

最早何も言うことはない。さらだ、乱世の姦雄よ!」

陳宮は立ち上がった。遂に、立ち上がってしまった。

最早彼を引き止めるものは何もない。

曹操の口から発せられる言葉もこれ以上ないのだった。

陳宮は堂々と歩き始めた。己の生き様を貫いた男には躊躇などない。

高順に続いて陳宮は呂布の武に殉じる死国の鬼となった。

あぁ、天下無双の武があり、有能な部下を抱えていても、中華を治めることは適わない。

それでは、いかなる者が天下を手中にできるのか。

人を魅せる器量のある人間である。大志を抱く人間である。

すなわち、曹操孟徳のような人物であれば、その可能性がある。

呂布の死は起こるべくして起こった歴史上の事件であった。

弱肉強食の真の意味を天下に知らしめた事件であった。

強い者が生き残るのではない。生き残った者が最終的には強いのだ。

呂布の死を契機として、時代は大きく動いてゆく。

戦乱の中で運を手にしただけの無能な勢力は姿を消していった。

家柄や金だけでのし上がった者も消えていった。

残ったのは節を保ち、大志を抱いた英雄たちである。

呂布の死によって真の三国時代が始まりを告げる。

――許都の夏侯家では、物が割れる音が響いていた。

音は惇の床から毎日聞こえてくる。惇が鏡を投げ壊す音だった。

惇は、鏡に映る己の眼窩の空洞を憎んだ。

仲権を憎んでいるのではなく、己自身の油断を憎んだ。

憎むあまり、鏡に映る姿に耐え切れず、鏡を見ては投げ壊した。

その割に、しばらくすると家人に鏡を持ってこさせるのであった。

噂を聞きつけた曹操が瀟洒な銀鏡を贈ってきた。

事実を事実として受け止めよ、そこから新しい夏侯惇元譲が始まる、

と言う意味が籠もっているのらしいが惇はそれもすぐさま投げ壊した。

今夜も鏡が割れる音が響く夏侯家で、仲権はひとり静かに考えていた。

(あの呂布と曹丞相が同じわけがない。同じわけがない)

どうしても解けない。あの曹操の言葉が仲権にはどうしても解けなかった。

呂布の醜い大声はあの場の誰にでも届いていたし、

その言葉の酷さは万人に伝わるものであっただろう。

だが、まさかそれと同じ言葉が全知全能に最も近いと思われた

曹操の口から出るとは、誰もが予測できない事態であったのだろう。

皆はどうやってあの曹操の言葉を受け止めたのか。

(なにが違うのだ?……呂布。……曹丞相。なにかが違う。違う必要がある)

確かに呂布は武神でもあった。

下ヒ城の主閣で曹仁隊を相手に縦横無尽に暴れる呂布の姿は、

まぎれもなく武の神のそれであったろう。

だが、あの一言が呂布の神の姿を悪鬼に変えてしまった。

人を信じることなく、この世を己の価値だけで考えてしまう鬼だ。

(愚鈍と英才には重なる部分があるということか。そういうことか)

大体は分かる。しかし、深い理解には至らない。

凱旋の道中でもずっと考えていたが、結論はでない。

そして仲権には惇への謝罪と、あの言葉の解釈だけが全てになった。

曹操の確信的な大鉈の振るい方。

呂布の小心からくる傲慢。

結果が同じでもそれに至る過程に天と地ほどの差がある気がした。

(武人としての、将としての責務だ。責務だ。そうだ、それしかない)

目の前のあらゆる物事を責務の重さに変換してしまう仲権にはそれ以外思いつかないのであった。

庭の桑の樹で夜鳥が羽を鳴らす。

仲権の思いはやがてその一点に集中していった。







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