ケンボックス

小説と写真を高品質で。

顔良と関羽 三国志小説「夏侯覇仲権」9話

投稿日:2003年3月15日 更新日:




曹操も自ら軍を率いて北上し、袁紹に当たろうとする。

しかし、結局両者は矛を交えることがなかった。

袁紹陣営に仲間割れが生じ、それを解決する決断力を袁紹が持ち合わせていなかったことで、

袁紹の進軍が止まってしまったからである。

曹操はその場を見限ると、守備の兵を残し自らは許都に戻った。

すかさず徐州の劉備へと襲いかかる。一対一でまともに戦っては劉備に勝ち目はない。

恃みの綱の袁紹はこの期に及んでも軍を動かさなかった。

劉備は破れ、三義兄弟は散り散りになる。

劉備の家族を守っていた関羽は、一人下邳城に取り残された。

かねてより関羽の武芸や人柄を知っていた曹操は、どうしても関羽を配下に加えたくなっていた。

彼のいつもの癖である。

ふと、張遼が関羽と親交があることを思い出すと、張遼に命じて投降を勧めさせた。

下ヒ城は完全に包囲されていた。援軍の当てはなく、食糧も尽きている。

だからといって劉備の家族を置いて単身逃げるわけにもいかず、

進退窮まっていた関羽は三つの条件を曹操に要求した。

投降するのは漢の帝にであって、曹操にではないこと。劉備の家族を保護すること。

そして、劉備の居場所が分かり次第、自分は曹操を離れ劉備の元へと行くということである。

三つ目の条件は異常である。投降する将にそのようなことを言う権利はない。

しかし曹操はその条件を呑んだ。

これは曹操に、必ずや関羽を己になびかせてみせるという自信があったからに他ならない。

まさに曹操ではの大投資であった。

こうして関羽は曹操軍に降り、許都で生活を始めたのである。

関羽は曹操から与えられた大邸宅には劉備の二夫人を住まわせ、

自らは邸宅の外れの粗末な番屋で寝泊りした。

貰った金銀や錦の戦袍・美女十名などは全て二夫人に献じてしまった。

もっとも、そのぐらいのことでくじける曹操の熱情ではない。

関羽らしいと笑い飛ばす。曹操は何とかして己の気持ちを伝えようとしていた。

話す機会をできるだけもうけ、劉備の夫人に気を配り、褒賞を繰り返した。

中でも、関羽に与えた赤兎馬は彼の気持ちが十二分に籠もった贈り物であった。

――赤兎馬。あの呂布が乗騎としていた駒である。

尋常な人間では乗ることすらできないこの名馬中の名馬を、

曹操は数いる勇将を差し置いて新参の関羽に与えた。

これには関羽も深々と礼を述べた。

ただし、それは劉備の居場所が分かったら赤兎馬で飛んで行けるという理由からであった。

他の将にとってこんなに面白くない話はない。曹操ほどの人物である。

一人を特別扱いすることで、他の大勢を不愉快にさせてしまうことは承知しているはずなのだが、

己の心からふつふつと沸き上がってくる素直な気持ちに負けた。

関羽のような武人が、名馬赤兎に跨って戦場を駆け巡る姿を想像して陶酔したのだ。

曹操は実際に詩歌にも通じた詩人であったが、

美しいものを美しいと感じる詩人の心の持ち主であった。

西暦二百年春。雪解けを待って袁紹が再度曹操討伐の軍を挙げる。

相も変わらず自軍の統制すら充分とはいえないが、

広大な勢力によって大軍を編成し、官渡付近の白馬まで南下してきた。

袁紹軍の先鋒は顔良で、文醜と合わせて双虎将軍と称される剛の者である。

顔良は黄河を渡って白馬へと兵を繰り出した。

曹操軍はおよそ五万、袁紹軍はその三倍近くと、兵力には格段の差があった。

曹操は袁紹本隊が到着しないうちに先鋒の顔良へと戦いを挑む。

両軍は大将同士による口上を省いてすぐさま矛を交えた。

曹操は元呂布軍の宋憲を呼び、顔良を討ち取ってくることを命じる。

宋憲は騎馬隊を率いて顔良の本陣へと迫る。

それを見た顔良は馬を飛ばして近付くなり、たったの一刀で宋憲を斬り捨てた。

曹操軍はその光景を見て動揺する。

すぐさま次の将が前線に躍り出た。同じく元呂布軍の魏続である。

しかし、同じ光景が繰り返される。

魏続もまた数合にして顔良に斬り落とされたのである。

重ねての動揺を隠せない曹操軍に対して、顔良軍は突撃を始めた。

あっという間に曹操軍の旗色が悪くなる。

それを防ごうと次の勝負が始まった。徐晃である。

大斧を手にした徐晃が陣を出て顔良へと撃ちかかった。

さすがに徐晃は宋憲・魏続の類とは違う。顔良と数十合に渡る血戦を繰り広げた。

その一騎撃ちに両軍がじっと見入る。

徐晃の大斧は凄まじい威力で顔良へと襲い掛かるが、

顔良の大剣はそれを弾き飛ばし、逆に徐晃へと剣を繰り出す余裕がある。

一進一退の勝負となったが、得物の重さで疲れたのか徐晃が馬を退いた。

徐晃を退けたとはいえ勝ったわけではない。

顔良も体力を使い果たしていた。

曹操軍には徐晃以外にも勇将がいることを顔良も知っている。

突撃を控え、顔良はその場に踏みとどまる。曹操は一旦軍を退いた。

その夜の曹操軍は、徐晃の敗走の話題でもちきりだった。

決定的には負けてはいないとはいえ、

曹操軍屈指の武将である徐晃が自ら馬を退いたのだから、士気への影響は必至であった。

本陣では曹操と幕僚とが顔良対策に追われていた。

許褚を出せばいい、と言う者。許褚と徐晃を同時に出すしかないと言う者。

その中で、参謀の程昱は関羽を呼び寄せることを献案した。

曹操は関羽が功績を立てて、恩返しは終わったとばかりに

自分の元を出立する気になることを恐れて許都に留めておいた。

程昱はさらに言う。

我が軍には時間がない、袁紹本隊が到着する前に

せめて顔良を討っておくのは勝利の最低条件である、と。

曹操はそれでもまだ渋る。

程昱は声をひそめて曹操に耳打ちした。

自分が密かに調べたところでは劉備は袁紹の元にいる、と。

そして、もしも関羽が顔良を斬った場合にどういうことが起こるのかを考えれば

関羽を呼び寄せるのは上策に値する、と。

愛将の顔良を劉備の義弟が斬ったとなれば心の狭い袁紹のこと、劉備を殺すだろう。

そうすれば関羽はもうどこにも行く場所がなくなる。

同時に、劉備を斬った袁紹に対して闘志をむき出しにするに違いない。

劉備も関羽もまだ互いの居場所は知らないのだ。

まさか敵対している陣にいるとは思っていないだろう。

上手くゆけば関羽を完全に味方につけることが可能となる策であった。

それが関羽との信義に反すると知った上で、曹操は遂に頷く。

そして関羽を呼び寄せる早馬をその夜のうちに許都へと送った。

赤兎馬は一日千里(約四百三十四km)を駆ける。

その伝説に偽りはなく、驚異的な速さで赤兎馬は関羽を乗せて白馬へと駆けつけた。







Copyright© ケンボックス , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.