なんでもありの世界

東大寺奈良の大仏様の大きさ、座高約15mの身長の高さ

奈良の大仏の大きさを調べようとは、あなたも好奇心のお強い方。

物質的な奈良の大仏の大きさ なら、お伝えするのは簡単。

大きさ(身長)14.98m、重さ(体重)250t。

鼻の穴の大きさが30cm、頭のパンチパーマのボコボコひとつひとつも30cm。

あなたが聞きたいのは、こういう表面上の、数値化された奈良の大仏の大きさでしょう?

せっかくだから、別の角度から奈良の大仏の大きさ に触れてみようよ。

全国の修学旅行生が訪れる人数は、京都に次いで奈良が二番目に多い。

これはひとえに、奈良の大仏を見ようとしてのこと。

奈良公園の東大寺は修学旅行生の大人気スポット、 普段は神社仏閣に興味関心を覚えない少年少女も、

奈良公園の鹿さんに鹿せんべいをあげて、楽しそうに笑っている光景が見れる。

修学旅行生だけじゃなく、奈良・東大寺には大人の観光客がいっぱい。

奈良のホテルは国内外の観光客で混んでおり、その経済効果たるものは計り知れない。

多くの観光収入と関連する雇用を発生させ、奈良の経済活動に好影響を及ぼしている。

もしも、奈良の大仏が鎮座していなかったら、この人の流れは奈良に向かっているの?

そういう面での奈良の大仏の大きさって伝わるかな?

奈良の大仏の大きさは目に見えるサイズだけじゃなく、存在自体の大きさ

そんなことを想いながら、奈良の大仏に逢いに東大寺南大門から続く参道を歩いて行こう。

先人たちが引き継いできた文化の粋、今も昔も奈良を経済的に護ってくれる。

きっと14.98cmの身長だけじゃなく、もっと他のところに本当の大きさがある大仏だって気付くはず。

仏像に興味がない修学旅行生たちも、奈良の大仏の大きさ を目にしたら理屈なしに誰もがびっくり!

大きいことは誰にでも伝わるシンプルかつクリティカルなメッセージ。

奈良東大寺の大仏の大きさ写真

奈良の大仏の重さですか? はい、250トンだと言われていますが?

あっ、そっちの重さではなく、重みというか、存在の重さってことね、失礼いたしました。

それではお話ししよう、奈良の大仏の罪の重さを

昔話になるよ、創建時、8世紀中頃には賛否両論ある奈良の大仏だったんだ。

当時は民衆が飢饉や疫病に苦しめられていたから、

聖武天皇は負のスパイラルから脱却できるように、と願い奈良の大仏と東大寺を造った。

その願いは良いとしよう、しかしあれほど大きな奈良の大仏だよ、建立には巨額の税金が投入された。

民衆からすればこう言いたくなるだろう。

「そんな無駄な公共工事で金を使うぐらいなら、飢えている民に食い物をまわせ!」

奈良の大仏の意味の重さは今でこそ分かるし、評価もされているけど、当時はそれどころではなかったはず。

自分が死ぬ思いをしながら収めた税金が、豪華なお寺や仏像の建築費に浪費されてしまう。

10年がかりの大仏造立、作業中の事故もあり、水銀中毒によって死亡した作業員もいた。

民衆のためにと造った奈良の大仏が、当時の民衆を苦しめるものにしかならなかったのは皮肉な結果。

奈良の大仏造立を命じた聖武天皇が没すると、橘奈良麻呂が乱を起す。

すぐに鎮静化されたが、理由を「東大寺の造立で人民が苦しめられていたから」と橘奈良麻呂は説明した。

こじつけられた口実と推測するが、「奈良の大仏設立で民が苦しめられた」というイメージは、

その当時は一般的に通用するものであったと窺い知ることができる。

さぁ、どうだ。

今では奈良観光の目玉、福祉社会事業として障害を持つ子供たちへの療育、学校・図書館を備えて、

日本の福祉事業のパイオニアとして東大寺は高名であるが、そこに至るまでの道は苦難の連続。

民のためが結果として民を苦しめ、戦火で失われては再建を繰り返した大仏殿、

時には奈良の大仏は大仏殿に覆われずに野ざらしの状態にあったり、

首から上を失ったままで鎮座していたこともある。

それでも現代まで残り、人々に修復されては今のお姿を留めている。

この長いストーリーにこそ、奈良の大仏の重さ・存在の重みが宿っている気がする。

250トンの重量だけではなく、奈良の大仏の重さをそういう風に計るのが僕の解釈。