なんでもありの世界

タモリさん白紙弔事は勧進帳ギャグ、赤塚不二夫を笑わせる

「真面目にふざける」かな。
タモリさんのお顔をテレビで拝見するたび、僕はあの白紙弔辞を思い出す。

渾身のギャグをぶっこんでいることを、誰にも覚られようとしなかったタモリさん。
赤塚不二夫さんの葬儀で弔辞を読んだタモリさん、その文章は美文だった。
美しく修飾しただけ、という意味ではない。

自分のことを「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と末文に言ったこと。
心を込めた文章を弔辞として考えて来て、言いたいことを正確に言うためにちゃんと紙に落とした。
テレビでタモリさんが弔辞を述べている場面を見た僕はそう感じた。

お笑いの大御所と言われるタモリさんでも、さすがに葬式の場ではギャグで笑わせようとするはずはない。
恩人へ手向ける言葉には真剣さが必要なのだろう。 ・・・そう受け止めた人は僕だけではなかったはず。

 

タモリ白紙弔辞

 

まさか、タモリさんが手に持っていた紙が白紙だったとは!
しかもそれを誰に明かすことなく、まるで紙に書かれた文章を読み上げているような様を最初から最後まで、徹底した。

葬儀の場だ、冗談を入れて周りの(一部の)機嫌を損ねることもない。
これが社会のモラルなのだ、と思った僕が恥ずかしい。
弔辞の文中に「おまえも笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」という伏線をはっているとは。

葬儀の後、マスコミによって発見された白紙の弔辞という事実を知ったときの驚き。
「弔辞で笑わす」とはこのことだったのか・・・。
その瞬間は誰にも気がつかれないように、丁寧な弔辞で場を終わらす。

しかし後日、読み上げたはずの弔辞が、実は白紙で、記憶していた文章をアドリブ含めつつ読んだとは。
真面目にふざけてくれた、タモリさん。
僕は大いに笑わせてもらいました。

白紙なのに、書かれた文章を読み上げるふりをして、誰にも気がつかせない。
それはそうだ、あんな場でギャグを入れてくる人を誰も想定していない。

真面目に、ふざける。
タモリさんらしい、あれは赤塚不二夫さんへ贈る最高のギャグだったのですね。